第4章 逃げない勇気 その5

 エンチャント・防御・バフ・回復・支援射撃。ピッグマンの支援は、これまで見た事がないほどの精度を誇り、ボルトの攻勢を支えている。

 歴戦のヴァルサスでさえ、これほど高精度の支援を見た事はない。

 技術云々で到達出来る域ではない。ピッグマンに宿るのは執念だ。

 絶対的な意思を抱えた人間にしか出来ない業は、容易に破れるものではない。

 突破は、困難。


 しかしヴァルサスだって退けない。もう逃げないと決めた。だから退かない。いや退きたくないのだ。

 何故か?

 楽しいからだ。ゲームをプレイしていて、こんな感情を抱けたのは、何年振りだろう。

 避難場所としてのゲームではなく、娯楽としてのゲームに向き合っている久方ぶりの瞬間がたまらなく愛おしい。

 ボルトの攻撃を掻い潜り、ピッグマンを牽制しながら前進し続ける。

 ただひたすらに。がむしゃらに。


 ――そうだ。この気持ちは。


 初めてソウルディバイトと出会った時と同じ感情だ。

 そして湧き上がるもう一つの衝動がある。

 勝利への飽くなき欲求だった。

 この親子に勝ちたい。明としても、ヴァルサスとしても、この戦いには負けられない。


 ヴァルサスの繰り出す攻撃は、ボルトの精度を遥か上回り、追いつめていく。

 しかし切れ間なく施されるピッグマンのエンチャントがボルトをヴァルサスと同じ領域に昇華させ、食い下がらせていた。

 哲郎の指は、限界を迎えている。人差し指だけでなく庇っている他の四指も攣ったように動かず、ヴァルサスが放つ牽制の魔法攻撃を避けられなくなっていた。


 中途半端に避けようとすると支援すら出来なくなってしまう。ボルトがヴァルサスに大きく一歩踏み込んだ瞬間、哲郎は歯を食いしばり、痛みを殺して闇の血牙のエンチャントをボルトの右拳に施した。

 刹那、ボルトの攻撃を回避しつつ放たれたフレイムボルトがピッグマンを焼き尽くした。


 最後のエンチャントが切れるまで二分間。

 この二分に望みを託して攻勢を強めていくしかない。

 ボルトとヴァルサスの攻防は、見守る者の胸中を狂おしいほどに熱くさせる。

 やばいプレイヤーが二人いると、予選を見ている観戦者がネット上で話題にしていた。


 所詮は予選会。有名プレイヤーが参加している試合以外の観戦は、閑古鳥が鳴いている。

 しかしボルトとヴァルサスの評判が口コミでネット上に広がり、中継を見始めた観戦者が中継のURLを各所に貼って、加速度的に二人のプレイヤーの名前が拡散していく。


『ヴァルサスってPPK野郎じゃん』


『ボルトって漫画かよw』


『PKKとボルトw 中二病対決www』


 最初は声援にほど遠い罵倒ばかりであった。

 しかし――。


『ヴァルサスと戦った事あるけどすごい強かった。互角に戦ってるボルトって人すごくね』


『普通に高等テクの応酬じゃん。これは燃える』


『てか二人ともやばくねこれ? 普通にプロレベルじゃん』


『ボルトって人、プロのサブ垢か?』


 いつしかネット上の声は――。


『やべぇ。これは見入る』


『どっちが勝ってもおかしくねぇわ。てか、どっちが勝っても全国大会まで追っかける』


『熱すぎるでしょ。これ』


『ヴァルサス頑張れ!!』


『ボルト負けんな!!』


『うおおおお!! これ普通に世界大会レベルじゃねぇかぁ!?』


 膨大な声援の渦となってSNS上を駆け巡っていく。

 そんな様子を哲郎・洋介・香の三人は、タブレットでSNSを、試合の中継をPCモニターで食い入るように交互に見ている。


「俊ちゃん。みんなが応援してくれているよ! 頑張れ!!」

「俊介!! 全国行くんだ!!」

「息子よ!! がんばれ!! 父さんの屍を乗り越えて進むんだ!!」


 そして薄暗いリビングでスマホを使い、二人の戦いを見守っているのは――。


「明……」


 貴美から送られてきたURLを海藤絵里が開くと、そこにはゲームの画面が映し出された。

 戦うヴァルサスに、SNS上で多くの人々が応援のメッセージを送っている。


「あの子をこんなにたくさんの人が……」


 明は、引っ込み思案な所があって、目立つ事は今まで一度もなかった。


「初めてだ」


 しかし娘の頑張る姿を見て、これほど多くの人が熱狂している。

 もう、あの子は、絵里を母親だと思っていないかもしれない。

 例えそうだとしても、絵里にとって明の奮闘は今まで経験した何よりも誇らしかった。


「がんばれ明――」


 ボルトとヴァルサスの応酬した攻撃の数は、優に数百を超えている。

 お互いにエンジンを全開にした激しい戦闘の中で、ボルトは光速の如く成長していき、ヴァルサスの動きに対応しつつあった。

 ヴァルサスの攻撃が全く当たらず、しかしボルトの攻撃は、吸い込まれるように命中する。

 素手のため、エンチャントをして尚致命的ではなかったが、着実にダメージを重ねていた。


 ヴァルサスとしてはこの状況、距離を放してしまうのがセオリー。

 けれども逃げたくないという思いが、逃げて勝ちたくないという思いが後退を拒絶し、ヴァルサスに剣を振るわせた。

 だが大ぶりな横一閃は、後方へ回り込まんと左サイドステップをするボルトを切っ先で掠める事すら叶わず、ヴァルサスは無防備を晒して絶好の攻撃機会を与えてしまう。


 ――これでトドメ。


 確信と共にヴァルサスの背中へと放たれたボルトのソニックピアシングだったが、


 ――それはこっちの台詞だよ。大島くん。


 ヴァルサスの身体が青く光り輝き、ソニックピアシングを背中で受け止めると、振り返りながら返した剣がボルトの胴体を両断し、灰に帰した。

 それは、成立猶予一フレームの超高難易度の剣士用の当身技『レッキングカウンター』だ。

 ダメージを完全無効化しつつ、敵の居る方向へ素早く自動反撃に転じる。

 成立条件の厳しさの割に、極めて威力が低い事から本来は、産廃技として扱われている。


 だがある一定条件が揃った時、有用なメタとして機能する。

 スティンガービルドに対するカウンター攻撃だ。

 基礎威力の低いスキルでもカウンター判定による威力上昇と、スティンガービルドの体力と防御力の低さが揃った時、産廃スキルは一撃必殺にして起死回生の切り札となる。


『試合終了。勝者:チーム・ヴァルサス』


 VRヘッドセットの画面上にヴァルサスへの凱歌が表示された瞬間、俊介はVRヘッドセットを外して椅子から転げ落ち、床に寝そべった。


「くっそ!!」


 俊介は、天井を仰ぎながら悔しさを滲ませ、


「負けた……」


 しかし声には喜色を混ぜて敗北を噛み締める。


「スポーツであいつに負けた」


 今までスポーツの世界では眼中にすらなかった相手に、完敗を喫した。


「初めて負けたよ」


 悔しいけれど、不愉快ではない。

 予選終了まであと三十五分。

 チャレンジマッチに敗北で千ポイント弱を失った現状。

 予選敗退は確実だ。

 だけど家族と過ごしたこの夏は、陸上をやっていた時よりも、充実していた気がした。


「そうだ!! 父さん。早く病院行かないと!!」


 俊介が飛び起き、哲郎の右手を見ると、包帯から血が滲み出している。

 自分のために、哲郎の商売道具を犠牲にしてしまった。

 それなのに、哲郎は笑みを浮かべている。


「よくやったな俊介」


 哲郎は、俊介の頭を左手で撫でてくれる。

 よくやったという言葉と頭を撫でてくれる行為は、いつも俊介が陸上の大会を終えた時にしてくれた事。

 以前は恥ずかしかったのに、今では懐かしくて、嬉しくて、涙が頬を伝い落ちていく。


「そんなに悔しかったのか?」

「それもあるけど……なんかよく分かんねぇ」


 でも素直に嬉しいとは言えず、俊介は誤魔化すように微笑んだ。


「なんか分かんねぇけど、すげー楽しかった!!」

「父さんもだよ」


 こうして大島俊介の夏は、終わりを告げた。

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