第2章 ヴァルサス その6

 ザリア湿地帯の濃霧を断ち切るように、紫に輝く鋭い剣閃が踊った。

 三人の剣士の追撃は、空しく空を切り、ボルトに一切の打撃を与える事は出来ない。

 ボルトの装備レベルは現在百。相手も同レベル且つ三人のパーティだが、数的有利でも覆せない歴然とした差が、ボルトと彼等にはあるのだ。


 一人目を容易く屠り、二人目を歯牙に掛けず、最後の三人目は懐に滑り込み、慣性を活かしつつ胸部を短剣で打ち抜いた。

 対人戦における高等技術の全てをボルトは、手足のように使いこなしている。

 ボルトがたった一人でパーティを壊滅させる様を観戦していたキャミーは、エモートも使わず驚愕の言葉をヴァルサスに掛けていた。


「すごい。スエスラやらステアサ教えてまだ一週間なんでしょ? 何あれ。完璧じゃん」


 ボルトへの賛辞が、ヴァルサスには我が事のように心地良い。

 初心者に容易く並ばれた事に対して、嫉妬はなかった。


「今日一人でやると言った時は、さすがに面食らったが杞憂だったな。ボルトは、相当センスがいい」

「ヴァルたんがレベルが下の初心者に、追いつめられたって聞いて信じらんなかったけど今なら分かるわ」

「ヴァルたんは、やめろ」

「フォフォフォフォ」


 キャミーは、両手でピースサインしながら、左右にステップを繰り返している。

 ヴァルサスが無視を決め込んでいると、キャミーはがっくりと肩を落としてからこちらに手を振るボルトを見やった。


「でもAGIステ三百越えのHP初期値とか、よく使いこなせるなー」

「初心者には、あんな極振りビルドやめろってアドバイスするけどな。ボルトは例外だ」

「確かにね。ヴァルサス、ちょっと真剣に考えてみない?」

「何をだ?」

「全国大会」


 ボルトの実力は、万人が認めざる得ない規格外だ。大会に出ても好成績を収めるはずだ。対人でも、PVEでも、どちらでも。

 それでも――。


「無理だろ。さすがに」

「行けるって。べーさん誘って、あんたとボルトで組んでさ。大会出たらいい線行くって」

「ボルトはともかく俺の事を買いかぶりすぎだ」

「賞金結構出るじゃん」


 キャミーの言わんとする事が察せた。


「だからなんだよ」


 ヴァルサスの口調が崩れた。

 一番大嫌いな人格アキラが出てこようとしている。

 ヴァルサスは、ヴァルサスとしての意識を手放さすように歯を食いしばった。


 ――自分を取り戻すんだ。


「少しは、楽になるんじゃん。お金の関係とか、さ」

「キャミーには、関係ない」


 ――今は、あいつじゃない。


「分かってる。関係ないよ。でも心配なんだ。身内だから」

「俺が出て、賞金取れるほど甘い世界じゃない」

「可能性はあるでしょ? 百%はなくても、〇%でもないんだよ」


 ――大嫌いな世界リアルの事は考えたくない。


「ボルトが大会に興味があるとも限らないだろ。もういいだろ、この話は」

「でもさ――」

「俺にとってゲームは、もう一つの世界なんだよ。現実と混じるのなんかごめんだ」


 現実なんかどうでもいい。

 あの世界では、全てが望まない方向に行ってしまう。

 どれほど堪えようとしても、どれほど抗おうとも、必ず行きたくない結果に導かれる。

 だったらあんな世界は、もういらない。

 望むままに、思うままに、生きられる世界があればいい。

 この世界ソウルディバイトがあれば、それだけで。


「それに――」


 ヴァルサスは、右手で片手剣を左手で短杖を持ち、ボルトへと歩み寄った。


「敵が来た」


 ヴァルサスとボルトに向かってくるのは、ブレッグの男女の魔導師が二人。

 大盾とメイスを装備したタンク役と思しきガンダルの男が二人。

 魔法剣士のジャーガの女とジャーガの男が二人だ。

 ヴァルサスは、ボルトの左横に並んで呟いた。


「六人パーティか……手段を選ばん連中だ」

「システム的に三人までしかパーティ組めないんですよね?」


 ボルトの言う通り、通常パーティは、三人一組となっている。

 ゲームモードによって人数に差異はあるが、三人一組がソウルディバイトのパーティプレイにおける基本だ。

 PKの出来る対人可能エリアにおいても同様だが、抜け道というのはいくらでもある。


「単純に三人パーティ×二だ。互いには攻撃しないと事前に取り決めている」


 対人可能エリアでは、パーティ以外のプレイヤー全員に対して攻撃判定が発生する。

 そのため複数パーティでのPKは、事前に協力者のパーティに攻撃を加えないと決めておき、狩りの対象となるパーティを一方的に狩るスタイルだ。


 このプレイスタイルは、フレンドリーファイアの危険性が高いため、タンク役と火力役の遠距離ないし中衛職が対象パーティを挟み撃ちにし、火力役がひたすら魔法を撃ち続け、反対側のタンクが盾でフレンドリーファイアを逃れつつ、魔法攻撃を逃げようとする対象を攻撃し、行動を制限する。

 ヴァルサスが知る限り、最も悪辣なプレイスタイルの一つだ。


「なんというか卑怯ですね」

「勝負に卑怯もない。俺はやらないが」

「どうするんですか?」

「いつも通りだ」


 この手のパーティは、挟み撃ちこそ脅威だが、実のところフレンドリーファイアの所為で動きがいくらか制限される。

 ヴァルサスとボルトは、互いに示す合わせる事もなく同時に飛び出した。

 包囲される前に一気に叩き、乱戦に持ち込んでしまえば相手も迂闊に魔法を撃てない。


 ヴァルサスより先んじて敵陣に潜り込んだボルトは、魔法剣士のジャーガの男をターゲットにし、速度を落とさず懐に飛び込んだ。

 魔法剣士は、まっすぐすぎるボルトの動きになんの猜疑心も抱いていないらしく、カウンターを合わせるため、片手剣を振り下した。


 しかしボルトは、これを読んでいる。

 ステップで背後に回り込みつつ、慣性を活かして短剣を振るうとジャーガの男は、一刀の元灰に姿を変え、電光石火の所業は、残った五人の意識を釘付けにした。

 生じた隙は致命的。一手遅れて到着したヴァルサスは、ガンダル一人の背中を取り、片手剣を突き刺した。

 しかしさすがにタンクだ。一撃では仕留めきれていない。

 片手剣を引き抜くと、ボルトに向けられていた敵パーティの敵視がヴァルサスに集中する。


 ――そうやって一人に集中し過ぎるから。


 ヴァルサスに魔法を放とうとしたブレッグの魔導士一人がその身を灰と化して崩れていく。


 ――ボルトにやられるんだ。


 全員の注意がヴァルサスに向いた瞬間、ボルトが背後から奇襲したのだ。

 残った四人の動きはぎこちなく、ヴァルサスとボルト、どちらを先に倒そうか迷っているようだった。

 迷いの分だけ動作は、緩慢になる。緩慢になるだけ、付け入る隙も増えていく。

 手負いとなったタンクは、前後不覚に陥り、ガード方向が定まっていない。

 いくらタンクと言えど、盾を満足に扱えなければ案山子と同じだ。


 ヴァルサスは、跳躍してタンクの頭上を飛び越えて背後に回ると、すかさずアサルトダンスの軌跡を背中に刻み込み、タンクの身体を灰と化した。

 残る敵は三人。これで数は対等だ。しかしキャミーは、ヴァルサスとボルトの早業にすっかり出遅れ、開き直って観戦を楽しんでいる。


「もう二人だけの世界なんだから。まったく」


 立ち入る隙がない。

 熟練したプレイヤーであるキャミーにそう思わせるだけの連携をヴァルサスとボルトは、見せている。

 ヴァルサス自身、ボルトとは、旧知の仲であると錯覚させた。

 ボルトは、背中を取られても振り返らない。ヴァルサスがフォローすると信じているから。


 ヴァルサスも、敵に背後を取られても焦らない。ボルトが何とかしてくれると確信しているから。

 互いの不足を補い合い、互いの窮地を救い合う。

 彼となら或いは、夢を見られるかもしれない。

 ヴァルサスとしてではなく、


 ――何考えてるんだ?


 最後に残ったジャーガの女を切り倒した時、ヴァルサスの意識は、夢想から引きずり戻された。

 大会に出て、もしも勝ち進んだら現実のボルトと会わなくてはならなくなる。

 会ってどうする?

 失望されるのがオチだ。

 現実世界のヴァルサスは、古強者の魔法剣士等ではない。

 母親一人にすら反抗出来ない情けない人間だ。

 このままゲームの中だけで完結する付き合いの方がいい。


「やりましたね、ヴァルサスさん」


 今の関係で居る事が一番だ。

 がっかりされるぐらいなら、変わらない方がずっといい。


「おつかれー息ぴったりじゃん」

「キャミーさんも手伝ってくださいよ!」

「めんごめんご」

「でも楽しいですね、対人戦も。迷うなぁ」

「ボルト先生は、何を迷ってんの?」

「家族でソウルディバイトの大会出ようと思ってるんです」


 ――そうか。


「モンスターの討伐タイムを競う方に出るつもりだったけど、対人戦も面白いんで迷ってて」


 ――誘った所で一緒に出てはくれないんだ。


 はっきり答えを出されて、落ち込んでいる自分に気付いた。

 キャミーもヴァルサスに何も言ってこず、バンザイのエモートを連打しながら視線はボルトに向けられていた。


「そっか。応援するから、ちばりなー」

「はい。あ、そろそろご飯の時間なのでここらへんにしておきます」


 ボルトは、そう言い残して転送石を使いザリア湿地帯を去ってしまった。


「残念だったね」


 キャミーからチャットが送られてきた瞬間、ヴァルサスの手は咄嗟に何かを掴み、視界は暗黒へと落ちていった。







 漆黒に染まった部屋で明は、全力疾走した直後のように息を荒げていた。

 震える手には、ゲーミングPCの電源コードが握りしめられている。

 VRヘッドセットを無造作に投げ出し、電源コードを床に叩きつけた。

 何も考えられない。思考がぐちゃぐちゃに煮詰まっている。


「ご飯よ! 聞こえないの! 早く下りてきなさい!!」


 階下から響く金切り声が鬱陶うっとうしい。


「早くしろよ!!」


 なんでいつも、あいつは心を逆なでてくるんだ。

 それでも明の身体は逆らえず、反射的に部屋を出て階段を下り、リビングへと導かれた。

 リビングに足を踏み入れた瞬間、苛立ちで顔を歪めた絵里が一層鋭い声で叫んだ。


「夕飯の支度ぐらい手伝ってよ!! 私は、疲れてんだから!!」


 キッチンには、パックに入ってまだ切られていないカツオのたたきがある。

 明は、無言で食器棚から茶碗や皿等の食器を取り出した。


 ――これであの女を殴って、罵声の一つも浴びせられたらどれほどいいか。


 けれど、そんな事は出来ない。

 こんな女のために人生を棒に振る事ほど無価値な事はない。


「明。それ切っといて」

「カツオって……どう切ればいいの?」

「好きに切ればいいだろ!!」


 絵里は、食洗機から乱雑に包丁を取り出して、まな板に投げ捨てた。

 明は、何も言わずに包丁を手にして、パックから取り出したカツオを一切れ切った。

 途端に、絵里の怒声が鼓膜を破らんほどに激しく打ち付ける。


「馬鹿か!! お前は!!」

「え?」

「そんなに厚く切ったらまずいだろうが!! 身もぐちゃぐちゃだろ!! なんでそんな事も出来ないんだ!!」

「でも……」

「下手くそ!! お前は、もう味付けしとけ!!」


 絵里は、明の手から包丁を攫うと、切っ先でお湯と豆腐の入った鍋を指示した。

 味噌を入れて味噌汁にしろという事だろう。

 冷蔵庫から味噌を取り出して、大匙で適当に味噌を三杯入れた。

 味見をしてみるが、米と一緒に食べるのだからこれぐらいだろう。


「これぐらい?」


 絵里に尋ねると明の手から大匙を取って味噌汁を一口含んだ瞬間、顔を真っ赤に染めて大匙を明に投げ付けてくる。


「何でこんな味濃くするんだ!! まずい!! 折角の出汁がもったいない!! 味噌を煮詰めたみたいな味だ!! なんで味付けもろくに出来ないんだ!!」


 そんなに言うなら自分で味付けをすればいいじゃないか。

 明は、これが美味しいと思ったのだ。

 何故こいつにここまで言われ続けなければならないのか。

 あの包丁を奪って、こいつを殺してしまえたら。

 考えるだけで実行に移せない自分の臆病さに愕然としながら明は、立ち尽くして絵里の背中を見つめていた。


 こんな自分と出会えばボルトは、きっと失望するから二人の関係は、今のままでいい。

 絵里が居る限り明は、自由になれない。

 彼女が息絶えるまで続く呪い。

 明は、自分の人生を諦めていた。

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