第1章 イースポーツ その5
ソウルディバイトを始めてから三日後の夜九時、俊介をリーダーとした大島家パーティは、『迷いの森』に設置された青く光る円状のワープポイントの前に立っていた。
白い樹皮と黒い針葉を持ちながら、らせんを描いて点に伸びる巨木が無数に生い茂るステージで、プレイヤー達が最初に訪れる本格的な攻略ステージである。
MMORPGを謳っているソウルディバイトだが、厳密にはMOとの混合型で、数千人のプレイヤーが参加するMMOエリアと、少人数での攻略を目的としたダンジョン型のMOエリアの二つが存在している。
MMOエリアを冒険又は探索してMO型のダンジョンエリアを見つけ、三人一組で構成されるパーティでダンジョン攻略を行うのがゲームの基本的な流れだ。
MOダンジョンには、MMOマップに固定で存在するストーリー進行用のダンジョンと、入り口がランダムポップするエンドコンテンツ用のダンジョンの二種類が存在し、俊介たちが攻略するのは、前者である。
初日以降俊介たちは、主に哲郎の仕事の都合で一緒にプレイする時間を取れなかった。
各々時間の開いた時にソロプレイでスキル上げを行い、この時点のキャラは――。
〇俊介=ボルト。
種族――ジャーガ♂
メインジョブ――暗殺者
サブジョブ――暗殺者
スキルツリー解放率――暗殺者六十二%
平均装備レベル――四十一
〇洋介=ヘルザー。
種族――ヒューマン♂。
メインジョブ――騎士
サブジョブ――騎士
スキルツリー解放率――全ジョブ百%
平均装備レベル――百
〇哲郎=ピッグマン。
種族――ヒューマン♂。
メインジョブ――付与師
サブジョブ――魔導師
スキルツリー解放率――付与師四十一% 魔導師十五%
平均装備レベル――二十一
となっている。
今日は、初日同様俊介の部屋にPC二台・ゲーム機一台・モニター二台・VRヘッドセット二つが鎮座しており、観客として香まで居るため、八畳の室内は蒸し器の中に居るような熱気と息苦しさに包まれている。
洋介は、憮然としており、声音も冷めていた。
「何で一堂に会さないといけないわけ? オンラインゲームだぜ? オンラインゲームを同じ部屋でやる事の意味を俺に教えてくれ」
哲郎が部屋の湿気に蒸され、脂汗の滲んだ顔を嬉々と輝かせた。
「家族のコミュニケーションだ。こうやって家族で身体を寄せ合い、肌を通して互いの体温を感じ合う。素晴らしい事じゃないか!!」
「いらねぇ。オンゲでそんなもんいらねぇ」
「お前なぁ。そんな事言ってるから、ネットにしか友達居ないし、ニートなんだぞ?」
「ニートじゃねぇし、あとネットにも友達いねぇし……」
「すまん……」
「謝んな……」
洋介と哲郎の応酬が収まるのを待つ間、俊介はワープポイントから迷いの森に入っていく他のパーティを見つけては、
「こんにちは! お疲れです!」
ボイスチャットを使って話しかけていた。
「攻略お疲れです!!」
しかし誰からも反応は返ってこない。それ以前にこれまでの三日間で数十人以上のプレイヤーと出会い、全員に挨拶をしたが一度たりとも挨拶を返されなかった。
俊介は、哲郎に似てコミュニケーション能力が高く、誰とでも気兼ねなく話せる性質。
そこに体育会系部活で培われた経験が相まって、ゲームの先輩方、先に攻略を始める方々への挨拶を本能的に行っている。
部活時代のように元気のいい挨拶できっかけを掴み、他のユーザーとの交流を楽しみたいのだが、なかなか上手く行かなかった。
「兄ちゃん。ゲーマーの人って人見知り多いの? 話しかけても返事がないんだけど」
「ゲーマーには、体育会系のノリが通用しないってのが一つと、このゲームはデフォルト設定だとプライベートボイチャになってるから聞こえてないよ」
「どうすれば聞こえんの?」
「話しかけない方がいいぜ。日本人は、体育会系とボイチャ嫌い多いから」
「そうなの? なんで?」
この疑問に答えたのは、香であった。
「洋介のボッチ振りを見れば分かるでしょ。オタクというのは、対人コミュニケーション能力が難ありなのよ」
「オタク差別おつ。と言いたいとこだけど、まぁ遠からずだな。ゲームと現実は、切り離したいって人が多いのかね」
「へぇ。そう言うもんなんだ」
「だから日本人相手には、テキチャ推奨。偉そうな口調の奴に会っても適当に合わせとけよ。そういうキャラを演じてるって事もあるから」
「演じる?」
「役割を演じる(ロールプレイング)のさ。じゃあ俺達もダンジョン行こうぜ」
オンラインゲームの世界では常識でも、俊介には理解しがたい世界だ。
何を演じた所で、自分という人間の本質は、変わる事はない。自分は、何処まで行っても自分だろうに。
だが、ことわざにもあるように、郷に入っては郷に従えだ。ソウルディバイト特有のルールに慣れていくべきだろう。
三人がワープポイントの円に入って五秒待つと、俊介の視界いっぱいに森の景色が広がった。
生えているのは、白い樹皮と黒い針葉のらせんを描いて伸びる奇怪な巨木ばかりで、霧が掛かっており薄暗い。
木々は、かなり密集して生えており、俊敏特化の俊介のキャラとは相性が悪そうだ。
ヘッドホンからどこからともなく湿った水音が響いており、ファンタジーというよりホラーゲームをやっている錯覚に捉われる。
「俊介。手を握っててやろうか?」
「いや。父さんがビビってるだけだよね。声震えてるし」
俊介は、哲郎の提案を素気無く断り、先頭を歩く洋介の操るヘルザーの背中を追って歩き出した。
一分ほど歩いても、敵の姿はない。
『迷いの森』は、雑魚敵が隠れて配置されており、あらゆる方向から奇襲を仕掛けてくる。
マップの序盤では敵との遭遇は少なく、プレイヤーが油断をしたところで一気に襲い掛かってくるのだ。
洋介から事前に聞かされていた俊介は冷静に構えており、周囲への経過を怠らない。
一方で哲郎は、モニターでプレイしているだけなのに、ホラーな雰囲気にすっかり飲まれており、荒い鼻息が部屋中に充満している。
「父さん。俊介」
ヘルザーが立ち止り、片手剣と盾を構えた。
「ここらへんで敵が奇襲してくるから気を付けろよ。襲ってくる位置はランダムだ」
「了解――」
「そこだあああああああ!!」
突如、哲郎の悲鳴とも雄叫びとも取れる奇声が轟き、ピッグマンが杖から初級魔法フレイムボルトを放った。
放たれた炎弾は、俊介から見て左側に飛翔し、何かに衝突すると小さな爆炎を噴き上げた。
奇襲を仕掛けようとしていた雑魚敵にピッグマンが先制攻撃を仕掛けたのだろう。
俊介の操るボルトがナイフを構えつつ着弾点を見やると、そこには黒い毛並みの獣が佇んでいた。
二足歩行である。腕はゴリラみたいで、足は熊に似ていた。
面立ちは、犬の頭骨に猿の眼とカラスの嘴が付いており、額には拳大の赤い宝石が埋め込まれている。
気味の悪い姿をした敵である。VRのせいで余計に生理的な嫌悪が煽られた。
さっさと倒してしまおうと、ボルトが踏み込もうとした瞬間――。
「何してんだよ親父!?」
ヘルザーが焦燥の声を上げた。
「なにって、先手必勝だ。これで俺は並み居る強敵を倒し、学園のマドンナである母さんをゲットしたんだ」
「いやだ哲郎さんったら!! そんな昔の話!」
惚気だした両親に、ヘルザーの語気は刺々しさを増していく。
「馬鹿! あれはレアエネミーって言って」
「なんだボスか?」
「違う!!」
「なら雑魚か。だったら別にいいだろう」
「いやいや!! あのレアエネミーは、ジョブのスキルツリー全開放且つ平均装備レベル七十越えのパーティ向けなんだよ!」
――今なんて?
ボルトは、耳を疑った。序盤のマップでスキルツリー全開放推奨なんて、ゲーム初心者でもバランス設定がおかしい事ぐらい分かる。
しかしピッグマンは、尚も状況を理解していないらしく呑気な調子を崩さなかった。
「お前スキルなんちゃらマックスじゃないか?」
「パーティ全員って言っただろ!? 親父と俊介まだ全開放してないだろ!? しかも装備レベルは俊介で四十一、父さんなんて二十一だぞ!?」
「お前、装備レベルが二十でスキルツリー二十%も開放してあれば、鼻ほじってても余裕って言ったじゃないか!?」
「ボスの話だ!」
「何で森を収めるボスより珍しい雑魚の方が強いんだ! おかしいだろ!?」
「いいえ哲郎さん。雑魚でも美味しい魚は、いっぱいいるわ」
「美味しかろうが、珍しかろうが雑魚は雑魚だろ!!」
「とにかくそう言うゲームなんだよ!」
「クソゲーだ!!」
「GOTY取っとるわ!!」
ヘルザーとピッグマンの応酬等、お構いなしにレアエネミー『森の殺戮者』は、両腕を広げてボルトたちを狙い澄ましてに突進してくる。
――速い。
圧倒的な初速をボルトの眼は正確に捉え、反射的に左方向へのサイドステップによる回避行動を取らせた。
暴風のような爆音を纏った突進は、ボルトを掠める事も出来なかったが、言い争いのせいで反応が遅れたヘルザーとピッグマンを容赦なく蹴散らした。
森の殺戮者の一撃は、容易くピッグマンのHPを粉砕し、身体が灰のように崩れていく。
ヘルザーは、さすがに完成されたキャラだけあって堪えているが、それでもHPの二割が消し飛んでいた。
耐久力に優れるタンクでも防御行動なしで耐えられる火力でない。
ヘルザーが盾を構えた瞬間、背中に突き刺すような衝撃を覚えた。
「お前のせいで死んじゃないか!? このごく潰し!」
哲郎が洋介の背中を爪先で刺すように蹴っているのだ。
「ゲームが下手だからって、リアルアタックしかけてくんじゃねぇ!!」
「哲郎さん子供じゃないんだからやめなさい!」
VRヘッドセットを外した洋介と香のタッグが哲郎を容易く制圧し、
「お待たせ俊介」
ソウルディバイトの世界に帰還した兄に、ボルトは問うた。
「どうすんの兄ちゃん?」
「俺、ガチタンクのビルドだから火力低くてな。ソロで倒すの時間掛かんだよ。振り切るのも面倒だし、ここでわざとやられるか」
倒せない事もないが時間の無駄。確かにそうだ。また適正レベルになってから出直せばいい。
だけど――。
「でもさ兄ちゃん。俺逃げたくない」
逃げちゃいけない気がした。
これは、ゲームだ。単なる遊び。ただの娯楽。
でも陸上だって短距離走だって、突き詰めてしまえば、かけっこだ。子供の遊びだ。
遊びだから面倒になったら逃げてもいい。そんな考え方でいたら、例えゲームだって上手くなれない。
森の殺戮者がボルトにターゲットを合わせ、飛び掛かってくる。
ボルトの視覚は、六十フレームを余す事無く認識し、必要最小限度のステップ回避により、森の殺戮者の一撃を躱し、攻撃後の僅かな硬直にナイフの一閃を滑り込ませた。
カウンターダメージとなり、森の殺戮者が怯み、一歩後退する。
ソウルディバイトのシステム上、カウンター攻撃によるダメージは、装備レベルが低くとも有効打になり得る。
しかし森の殺戮者の体力バーの減少は、肉眼で視認するのが難しいほど微細だった。
けれどゼロダメージではない。ゼロではないなら倒せるはず。
「難しい方が楽しいじゃん。出来ない事、出来るようになる方が面白いじゃん」
もう逃げたくない。足を故障して、全てを投げ出していた頃には戻りたくなかった。
二度と陸上をする事は叶わないだろう。夢は、破れたままに捨てていくしかない。
けれど家族が教えてくれたのだ。立ち止まっているままでは、居られないと。
新しい夢を探していいのだと。楽しい事を全て諦めてしまってはいけないのだと。
これはゲームかもしれない。遊びかもしれない。
他人から見たら真剣になっているのが馬鹿らしく見えるだろう。
でも、楽しいからこそ、やりたいと思ったからこそ、真剣に向き合いたかった。
「やらずにダメだとは、決めたくない」
目の前に壁があるなら、回り道をするよりも乗り越えてみたい。それは大島俊介にとって、絶対に変えられない生き方なのだ。
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