第1章 イースポーツ その2
翌日。俊介と洋介、哲郎の三人が秋葉原に着いたのは、午前十時を過ぎた頃だった。
俊介は、灰色の開襟シャツとデニムパンツという格好だが、哲郎と洋介は昨日とまったく同じである。着替えていないわけではなく、着やすいからと同じ物を何着も持っているのだ。
香も着易いからとシャツとデニムの組み合わせが殆どで、服のバリエーションという意味では俊介が一番豊富である。
哲郎の足取りは新鮮な羽毛のように軽く、家から秋葉原に着く道中の間、一度たりとも鼻歌が途切れる事はなかった。
久しく見ていなかった父の喜ぶ姿に、俊介の表情も綻んでいた。
思い切ってみて、良かったかもしれない。
背中を押してくれた洋介への感謝を抱きながら俊介は、彼の案内でPCショップに着いた。
店舗の一階のワンフロアがゲーミングPCコーナーとなっており、自宅にあるデスクトップを圧倒する巨体が所狭しと鎮座している。
モニターには、多様なゲームのプレイ画面が流されていたが、俊介の興味を引く物はない。
幼い頃からゲームという媒体に興味を抱いた事がない俊介にとって、頭の中に浮かぶ感想は、映画みたいとか、画面きれいとか、その程度。
後は、なんでパソコンでテレビゲームとか、なんでこの女の人は、水着みたいな恰好でモンスターと戦っているんだ。余計な事に気を取られ、強い関心を惹かれるモノは見つからない。
対照的に哲郎と洋介は、ゲーム画面に食い入り、年甲斐もなく無邪気にはしゃいでいる。
「洋介!! このお姉ちゃんいいおっぱいしてんな!」
「それゲーム画面だから。あとでかい声で騒ぐな。恥ずかしい」
「ゲームなのか!? 実写じゃないのか!? この子なんて母さんの若いころそっくりだぞ!」
「自分の嫁過大評価しすぎじゃね?」
「お前も結婚すれば分かる。孫の顔は、まだか!?」
「少子化だからねぇ」
「だからこそ貢献せんか。それともこういう子がいいのか? これは作り物だぞ。現実を見ろ」
「さっき実写と勘違いしてた人間がよく言うよ……」
俊介そっちのけで盛り上がってるのは、少々呆れされられるが、
――そっとしておこう。
俊介は、哲郎と洋介から離れ、ぷらぷらと店内を気ままに歩いた
別に無理に欲しいゲームを見つけようとは思わない。
多少なりとも哲郎や洋介と会話のネタになる物があればよかった。
俊介がモニターを流し見ていると、
『速さを制す者がこの幻想世界を制す』
そんなキャッチコピーが視界の端に入ってくる。
足を止めてモニターを眺めると、中世風の街並みにファンタジー映画に出てくるようなモンスターたちが跋扈している。
主人公と思しきキャラクターたちは、剣に、斧に、槍を片手に怪物の群れを次々に倒していく。
キャラクターの背中を映していた映像がキャラクターたちの視点に切り替わった。
草原や廃墟を駆け、巨大な竜の懐に飛び込み、斬り伏せる。
虹色に溶けていく風景は、まるで走った時に見えていたあの光景そのままで――。
「俊介、それがいいのか?」
洋介に声を掛けられ、理解する。
自分がファンタジー世界の住人でない事を。
完全に入り込んでしまっていた。意識が丸ごと画面の中に吸い込まれたようである。
「兄ちゃん。これどういうゲームなの?」
「ああ、これね。ソウルディバイト。俺も持ってる。MMO型のアクションRPGさ」
「MM? アク……ション?」
辛うじてRPGの意味は分かる。
だがそこにアクションやMMOが付くと、一体どうなるというのか?
モニターに映っている画面は、俊介の知っているRPGの画面とはかけ離れている。
攻撃とか魔法とかのコマンドを選ぶと、キャラが動くというのがRPGのイメージだ。
ここにアクションが加わると何がどう違うのか。
俊介の困惑を察知したのか、洋介が口を開いた。
「ゲームの基本としては、やりたいジョブを選んで、ジョブのスキル上げしてスキルツリーを開放して――」
「ジョブ? スキル上げ……なんだか新人社員の研修的な感じ?」
「……よし。一からゲームの解説だなー」
ソウルディバイトは、キャラレベルの概念が存在しないスキル制のMMORPGだ。
魂の流刑地『ザリアス大陸』を舞台にしており、プレイヤーは死した後、再び肉体を得てザリアス大陸に転生したという設定である。
プレイヤーは、五種類の種族と複数用意された職業(ジョブ)から自分好みのものを選ぶ。
スキル上げとは、ジョブごとに用意されたスキルのレベルを上げる事で、特定の条件を満たす事でスキルの性能を向上させられる。
スキルツリーは、特定のスキルが一定レベルを超えると解放可能で、スキルレベルを上げてスキルツリーを開放するのがキャラ育成の基本だ。
これだけならよくあるアクションRPGに過ぎないが、最大の特徴は圧倒的なスピード感である。
ソウルディバイトには、独自の物理演算が採用されており、物理攻撃の際ステータスの数値だけはなく、攻撃速度と装備の重さもダメージ計算式に採用されている。
例えば、攻撃力二十の剣士と攻撃十の剣士が居たとする。
攻撃二十の剣士の攻撃速度を百。装備している剣は、攻撃力が十で重さが三。
対する攻撃力十の剣士は、攻撃速度二百。装備している剣は、攻撃力が十で重さが五.
この条件で攻撃した場合、攻撃十の剣士は、ステータスこそ劣るが、攻撃速度の差と剣の重さの差も計算され、実際に与えるダメージは、攻撃力二十の剣士より高くなる。
ダッシュやジャンプ、自由落下等、あらゆる速度がダメージ計算式に反映されており、ゲームスピードも既存のアクションRPGに比べ、かなり速い設計だ。
「スピードに特化したジョブなら、体感速度は、時速二百キロを超えるぜ」
「二百キロ!?」
あのウサイン・ボルトですら、時速約四十五キロと言われている。
人類最速の四・四倍の速度で走る感覚。
――体感してみたい。
ゲームという非現実空間の中の出来事だとしても、もう一度あの光景を見てみたい。
風を肌で感じられなくてもいい。
せめて視覚だけでも、もう一度あの世界に戻ってみたい。
「俊介。これにするかい?」
哲郎の問いに、俊介は画面を見つめたまま頷いた。
「これがいいならPC買った方がいいかもな」
洋介の提案を、哲郎は訝しんでいる。
「ゲーム機で出来るんだろ?」
「出来るけどフレームレートが安定しないんだよ」
「……洋介。日本語をしゃべりなさい」
「静止画像数」
「は?」
「じゃあコマ数」
「分かるように説明しなさい!」
「ああ、もううっざいなぁ!!」
「ウザイだと!? それが父親に対する口のきき方か!?」
「うるさいな!! あんまりごちゃごちゃ言うなら、秘蔵コレクションの事、母さんにばらすぞ!!」
「洋介様。この愚父に分かりやすく解説をお願い出来ないでしょうか?」
哲郎を大人しくさせた秘蔵コレクションの正体が気になる俊介だったが、聞いても碌でもなさそうだし、くだらない秘密を共有したくもないので、問い掛けを飲み込んだ。
「一秒間に表示されるフレーム……つまり画像の数」
「画像の数?」
「映像っていうのは、連続する画像を人間の脳が補間して、動いてると認識する現象の事なんだ。この時使われる画像の枚数をフレームレートっていうの」
「で、その枚数が多ければいいのか?」
「そうとも限らないんだけどね。媒体によって最適な枚数は異なる。映画は二十四枚。テレビは三十枚。ゲームは三十~六十枚。ゲームの場合は、フレーム数が多ければ多いほど滑らかな動きになっていいって言われてるんだ。ソウルディバイトだと高いに越した事ない」
何時にもまして饒舌な洋介を俊介は物珍しく見つめ、哲郎は嘲笑を露わにした。
「どうしてオタクって奴は、自分の好きな話題になると、嬉々とするかね」
「……秘蔵コレクション」
「洋介様。どうかこの哲郎めに、オタクの世界をご教授ください」
「とにかくPCが一番ゲームを快適に遊べる媒体っていうのは確かだよ。性能が固定されてるゲーム機と違って、PCは好きなパーツを積めるからな」
「長男よ。話は一割ぐらい理解したのだが」
「父さん一割も理解してないだろ……」
「そのパソコンは、いくらぐらいするんだ?」
「最低でも……二十万ぐらいかな」
「兄ちゃんマジで!? そんなにすんの!?」
俊介は、思わず悲鳴のような声を上げ、周囲の視線を一斉に集めた。
気恥ずかしくなり、萎れていると哲郎が肩を撫でて、慰めてくれる。
「父さんも、俊介の驚きはよく分かるよ。何と
「違うわ……」
「そうやって業界でのし上がってきたのか……」
「もういいや。突き詰めるともっとするけど、とりあえずは二十万で組めば、俊介を満足させられると思う」
「俺が帳簿付ける時に使うノートは五万だぞ」
「いや、全然仕様が違うから。まぁ安くない買い物だから、いきなり買うよりは、体験してみるのがいいと思うぞ。あっちに体験コーナーあるから行こうぜ俊介」
感慨にふける哲郎を尻目に、俊介と洋介は、ソウルディバイトの体験コーナーに向かった。
体験コーナーのPCは、デスクトップが一台とノートPCが二台用意されており、その全てにゲーム用のコントローラーが取り付けられている。
デスクトップには、VRヘッドセットも用意されており、これに一番関心を示したのは、腹の肉を揺らして後を追ってきた哲郎であった。
「これはなんだ?」
「VRヘッドセットだよ」
首を捻る哲郎とは対照的に、俊介の顔色が明るくなった。
ゲーム音痴の俊介だったが、VRはテレビで芸能人が使っているのを見た事がある。
「これなら俺も知ってる。頭に付けるやつでしょ」
「俊介も被ってみたらどうだ? けっこう没入感上がるぜ」
「没入感ねぇ……」
あの走っている時の景色をもっと間近に感じる事が出来たなら――。
俊介の手は、自然とVRヘッドセットに伸びていた。
ヘッドセットを身に着けると、眼前の景色がどこまでも広がる一面の草原に変貌する。
眼球を上下左右に振っても、頭をどこへ向けても、PCショップの内観や洋介と哲郎の姿はなく、幻想世界が俊介の視界を覆い尽くしていた。
素人目に見ても、風景がCGで作られていると分かる。
時々テレビで見るハリウッド映画のCGの方が余程綺麗に見えるのは間違いない。
所詮は、それなりに出来た作り物。なのに俊介は、堪え切れずに破顔していた。
「すごい。本当に、別の世界に居るみたいだ」
作り物の仮想空間だとしても、この場に居るという錯覚を、これが一つの世界なのだという虚飾を信じたいと願ってしまう。
「動かしてみな」
洋介の声が背後から聞こえ、思わず振り返る。
しかし洋介の姿は、何処にもない。
頭の中に直接声が聞こえてきたような不思議な感覚だった。
「コントローラー渡すぞ」
両手をお椀型にして待っていると、ずしりとした重みが乗せられる。
ゲームのコントローラーを持つのは幼い頃、洋介が遊んでいるゲームを触らせてもらって以来だ。
感触を確かめるように握ってみると、小さい頃よりも手の形に馴染む気がする。
期待感に身を任せて、左手の親指でスティックに触れた。
慎重にスティックを倒していくと、突如視界が上下に揺れる。
「うわっ!?」
「大丈夫か、俊介!」
哲郎の気遣う声に、俊介は無言で頷いた。
身体は動いていないのに、視界だけが歩いていている時のように動く。感覚のギャップに戸惑わせられる。
「だ、大丈夫」
もう一度ゆっくりと左スティックを倒してみる。
視界が上下に揺れ、景色が手前から後方に流れていき、歩いているようだ。
思わず足を動かしそうになるが、傍から見たら滑稽だろうと思い、懸命に堪えた。
しばらく歩いていると感覚のギャップが薄れていき、慣れてくる。
「兄ちゃん。これ走るのどうすればいいの?」
「今動かしている左スティックを押し込みながら奥に倒せ。走るのやめたい時は、押し込むのやめればいい」
「りょーかい……」
きっと走っている時は、歩く時以上にギャップを感じるはず。
覚悟を決めて、俊介はスティックを押し込みながら倒した。
刹那、風景が虹色に溶けて、視神経に雪崩れ込んでくる。
圧倒され、たじろぎそうになるも、歯を食いしばって堪え、踏み止まった。
――懐かしい。
二ヶ月ぶりに出会う、走っている時に見える景色だった。
もう二度と見られないと諦めた景色。もう訪れる事の出来ないと思っていた世界。
左手の親指しか動かしていないのに、身体の全神経が最高速度で走っていた頃を思い出したかのように熱を放って暴れている。
快感が奔流と化して全身を駆け巡り、歓喜が止めどなく溢れ出した。
失ったはずの大切な場所に、再び訪れる事が出来た高揚感。平静で居られるはずがない。
「これ……欲しい」
無意識の内に、願望が声と成って零れていた。
「俊介!!」
哲郎の呼び声と共に、突如広がる景色が草原ではなくPCショップとなっていた。
状況の変化を受け入れられず、周囲を見回してみると、VRヘッドセットを両手で持って破顔する哲郎の姿があった。
「よし!! 買おう!!」
哲郎は、VRヘッドセットを俊介に返して、レジカウンターに向かった。
哲郎の咄嗟の行動を唖然と眺めていた俊介だったが、
「って、確か二十万するんじゃ!?」
衝動買いしていい金額じゃないし、まして父親に買わせるのは憚られる。
陸上を止めて時間はいくらでもある。バイトをするなり、店を手伝うなりして、自分の金で買うべきに思えた。
哲郎を止めるためレジに向かおうとしたが、洋介の視線がやんわりと静止する。
「俊介、父さんの好きにさせてやれ」
「でもさ!」
「いいんだよ。ここは買わせてやるのが親孝行なんだよ」
レジカウンターで店員とやり取りする哲郎の表情は、満面の喜色に満ちている。
甘えていいのだろうかと自問したが、すぐにそれでいいんだと悟った。
子供らしく素直に甘えさせてもらおう。
俊介がそう決めると、洋介は体験コーナーのデスクトップを見つめながら顎を撫でている。
「って、これそのまま買うのもちょっとだな。俊介、ここで待ってろ。俺も行ってくる」
「え? なんで?」
「PCの仕様をもっとソウルディバイト向けにカスタムしてもらう」
こうして俊介は、ゲーム用のデスクトップPCとVRヘッドセットを購入してもらった。
帰りの道中、一番嬉しそうにしていたのは俊介でも哲郎でもなく、楽しそうに会話している二人の背中を眺める洋介であった。
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