猫と男がくれた夢

第1話

また真夜中になってしまった。

俺は今日も一人きりで町を歩いていた。

誰も帰りを待っていない家に向かって単調に足音を響かせて。

ただ働いて、飯を食い、家に帰って、寝るだけ。

これが貧乏人の家に生まれた俺にふさわしい生活なのかもしれない。

もう、すっかり慣れっこだ。

一人でいることも、真夜中の誰もいない町をただ疲れた体を引きずって歩くこと

も、たいして苦しいわけでもなく、孤独なわけでもない。

しかし、ただ今日に限ってはすこしだけ町の様子が違って見える。

この時間になっても、まだ明かりが灯っている窓がちらほら見える。

今日という日が世間では特別な日らしい。

この日ばかりは、ハードワーカーも夕方には仕事を終え、普段は顧みもしない家族のもとへいそいそと帰る。倦怠感にまみれきったカップルも、この日だけはロマンスを思い出して愛を語り合う。

そうだ！。この日だけはみんな愛を思い出すらしい。

毎日、今日のようにすればいいものを、今日にしか愛を感じることが出来ないかのように、どいつもこいつも今日を待ち望み、そして、飲み、食い、笑い、楽しむ。

全くつまらん連中だ。

そんなつまらん連中に、能無しと揶揄される俺はもっとつまらん人間なのだろうが…

子供たちは、いもしない赤い服の老人から、プレゼントをもらえるとはしゃぎまくる。

夢を与えるといわれる赤い服の老人の正体が、こんなつまらん人間だとも知らずに…。

これはきっと罪だ、そうだ、やつらは嘘をついている。

純真な子供たちを騙し、最後には破れる夢を見させようと言うのだから…でも、ほうっておくさ。

だって夢も見ることすらできなかった俺よりも彼らはずっと幸せかもしれないのだから。

何度も何度も人生において失敗し続けた父や母も、もうこの世にはいない。

人がいい以外、何も取り柄がなかった俺の親は、おそらく今ごろ天国とやらにいるだろう。

だが二人が今日という日に、あのつまらん連中と同じく楽しめるようなことはなかった。

貧しかった二人がたった一人の息子である俺に与えることが出来たのは、ほんの小さなケーキひとつだけだった。

俺は自分の家が貧しかったのを知っていたので、それ以上を求めることもなかったし、欲しいとも思わなかった。

いつも感じていたのは、それだけしか息子に与えることが出来ない両親を、

そんな環境の中で俺という人間を誕生させた両親を憎んだこともある。

だが本当に両親を苦しめたものが世間というものであったと思い至ったとき、憎しみは哀れみへと変わってしまっていた。

そして俺の父親が能無しと言われ続けたのと同じように、俺もまた能無しと言われながら生きている。…生きている？

そうだ。俺はなぜ生きているのだ？

俺が死んだところで悲しむ人間などいるはずもなく、俺は別にこれ以上生きたいなどと思ってはいない。

そうか！死ねばいいんだ！なぜ今までそれを思いつかなかったのだろうか！？

しかし、ただ死んだところで芸がない。

俺たちを追い詰める世間のやつらが幸せや愛を感じているこの瞬間に、もっとも不幸な記事が明日の新聞の見出しを飾るというのはどうだろう！？

そのためには、能無しの俺一人が死んだところではだめだ。

道連れが必要だ。

その道連れには、幸せに包まれているやつほどいい！なぜなら幸せなやつが急に不幸になる話ほど世の中のやつらが喜ぶからだ！

つまりは新聞にでかでかと載る可能性が高いってわけだ！

不幸な俺が死んだところで世の中のやつは見向きもしない！

幸せにしているやつを道連れにしないと！！

俺は、踵を返して、この町で一番大きな家に向かう。ポケットに入っているマッチを手探りで確かめながら。

俺は思った。

今日は、キャンドルの火をもっと明るくしようとみんなが言う。

それならば、この町で一番大きなキャンドルを俺が灯してやろう。

そして、俺はその炎に身を包まれて死ぬ。

俺が、おまえたちのキャンドルになってやろう！

そうしてこの町でもっとも大きな家にたどり着いた。

門のかんぬきは無用心にも外れていたが、玄関の鍵はさすがにかかったままだった。これでは家の中から火をつけるのは無理だ。

だが、ここまでの道のりで農家の脇に放置されていた藁を拾ってきている。

これを、この家のもっとも燃えそうな部分に置いて、ポケットのマッチで火をつければ十分なはずだ。

さすがにもう寝静まっているらしく、窓からはどこにも明かりは漏れてこない。

いける！

俺の人生最後にして、初めて俺の計画どおりに行きそうだ！

大きな家だからすべてを燃やすには時間がかかるかも知れないと思ったが、幸いにして今夜の空気はかなり乾燥しているし、火の付け所がよければ簡単に全焼させることが出来そうだ。俺はこの家で一番燃えそうなところを探した。

そしてもっとも簡単に火を走らせることが出来る部分を見つけた。

屋根だ。

その屋根から伸びる煙突。

その中に、火のついた藁を一気に落とせば、中の絨毯に火が燃え広がり…

という寸法だ。

俺は家の脇に生えている木と藁を抱え、片手と両足で、必死に登った。

手のひらがささくれ、シャツの中を汗まみれにしながら俺は木を登り、家の屋根に飛び移る。

屋根の端の煙突を上から覗き込んだ。思ったとおりこの煙突の下は、この家の居間にある暖炉だ。ここから火のついた藁をたたき落とせば、中に火を広げることがきっと出来るに違いない。そう考えて俺は藁に火をつけようとマッチを擦った。

「もし？、いったい全体何をなさっているんですか？」

突然、背後から聞こえた甲高い声に俺は心臓をたたかれたような思いがして、振り返った。