【Phase.9-4】Hello、my Dearest Partner!

「……うぉっ!?」



 たじろいだ男。

 彼は逃げ足に自信があった。

 だからこそ『あの場面から最短距離で走って来た。わざわざ声を掛けて探りも入れた様子から独りだった筈……いや、この女が顔見知りだとしたって先回り出来る筈が無い』という自己上位の看做みなし思考が、突然現れた華音という異分子におののいていた。



 ――向かい合う華音が先回りした手段は、高さ7メートルもある2階部への最短ルート……を利用したショートカットだった。


 このエスカレーター広場は高名なデザイナーが考案した、長さ不揃いのドーリア式ピラー(パルテノン神殿にも使われたギリシャ様式の柱)のモニュメントが六角ヘキサ状の幾何学模様に配され、各々が1メートル間隔で垂直に連立している。

 短い柱なら高さ0.5メートル程度だが、一番長い柱は6メートルに達するものも存在していた。


 華音はこの柱上の天面を階段の様に跳躍して渡り伝い、最後6メートル柱から2階部へ飛んで登り切ったのだ。

 勿論、非常に危険であり、且つ普段ならば試そうとすら思わない理外の行為・行動だろう。



 男は「謎の女、出現!」に因る戸惑いの内から脱却出来ぬまま。

 誤魔化して乗り切る等の選択肢は、冷静さと共に思考から削られていた。



「ぬあぁっ!」


「諦めなさい!」



 華音の方が身長も高く、力押しは通用しなそうだという印象を抱いた男。

 そこで逃げ足に賭けた突破の一手を選択するも実らず。

 一気に通路を駆け抜けようと試みたが、嵩張かさばる盗品の取り回しから華音側にフットワークの利があるため、容易に進路を塞がれて焦れ出す。


 そのうえエスカレーター近くという事もあってか、通行人らも次々と増えてゆくばかり。

 見目にも際立つ華音と、対峙する男の様子にただならぬ空気を察して、次第に足を止める者も出始めていたのだ。



「クッソ……仕方ねぇ」



 強奪した戦果は惜しいが、目撃がこれ以上増えれば可愛い我が身を滅ぼしかねない。

 男の中では、保身が勝る瞬間を迎えた。



「ハイハイ、解ったよ。解ったって」

「……」



 男は諦めた風の素振りを言葉では告げるも、その瞳はギラついたままだった。

 華音も男の盗心は未だ盛っているだろうとして、逃すまいと距離を詰める。


 ……直後、男の口元が歪んだ。



「返せば良いんだろう……ヨッとぉ!!」


「……あっ!」



 一拍の後、男は手にしていたリゼのキャリーを振りかぶり、そのまま力任せに宙へと放った。



 其れなりの重量物と思われるキャリーが空に舞えば、遠巻きの傍観者らも「自身に被害が及ぶかも知れない」なる自衛心理が働き、男女様々な叫びが一帯に響き渡った。

 或る者は悲鳴を上げ、また或る者は頭を抱えてその場に屈み込む。



「貴方……なんて事を!」



 そんな荷の行方は華音のすぐ真横を抜け、2階部の手摺りを飛び越え……そのまま吹き抜け広場のそらに舞う。


 物盗りが盗品を投げる、という不意打ちだった。

 此れにはギャラリーだけでなく「少女のキャリーを取り返す」を第一目的としていた華音も、視線は男から吹き抜け側へと向きを変えてしまったのだ。



 男はこのタイミングで『しめた!』と騒然とした場に乗じ、人の波へと溶け込み消えた。



 ≫ ≫ ≫



 幾多もの人々が、空にアーチを描くリゼの赤いキャリーを目で追う。


 火急の事態は施設の2階フロアだけでなく、その下を歩く1階の買い物客らにも波及していた。

 混雑した現時間帯に於いて、重量のある落下物……万が一にも通行人に当たろうものならば、二次的被害を被ってしまうのだから。



「大変! 落ちたわよ!?」

「上から何か降ってくるぞ!」

「下の人たち避けてー!」

「当たるとマズいぞ!」

「危なーい!」



 各フロア客らの声は混ざり合い、上下不覚な言葉として飛び交うも、真偽を精査する時間もなくキャリーは落下運動を開始――とはならず。



「――ふぃー! 盗っておいて投げるなんて酷いヤツだなぁ」



 キャリーは直後、フワリと停滞する様に浮かぶと、緩やかに1階部フロアへと降下を開始。

 よくよくと観察すればキャリーの下部車輪は変形し、一台の赤い『ドローン』として飛行している。


 その着陸点では走って脇腹を痛めたリゼが立ち、片手で悠々と自らのキャリーを出迎えた。



「うーむ……相手が手離してくれないと、内部のドローン機能が働かないっつーのがネックだったか」



 呑気な彼女の言葉。


 周囲は一瞬の沈黙の後、直ぐ真横に立つ少年から間もなく「……スッゲー!」と拍手が贈られる。

 其れは瞬時に伝播し、数秒後には「歓声」という鉛弾が幾つもリゼに浴びせられた。



「ぬぉ!? 何、コレ……?」



 施設内広場はコンサートさながらのスタンディングオベーション状態となり、戸惑いに包まれるリゼ。

 個人の心情として、自分は放られたキャリーをドローンとして呼び戻しただけであり、大方は見知らぬ女性がアグレッシヴなまでに協力してくれたからこそ荷を取り戻せた……だのに、自身が渦中に立っている意味が解りかねていたのだ。


 盛るばかりな拍手だが、その理由を告げてくれる人物は直ぐに現れた。




「――Maybe They were relieved(キャリーケースが誰にもぶつからず、,because it didn't hit皆さんが安心したからでしょうね) anyone」

「さっきの女のヒトだ……って、日本語でオケだよん」

「あら、失礼しました」

「いやいや、見た目こんなんでも生まれてからずーっと日本育ちだからねぇ……ソレよりアンガトね! ほーんと、助かったよ」



 次第に収まる喝采の中――向こう側より歩み寄ってきたのは、2階からエスカレーターで降りてきた華音であった。

 彼女が指差しをするキャリーから「そっか、他の人はコレが『ドローン機能内蔵』なんて解んないもんなぁ」と得心する。


 ……だが、口を吐いた台詞とは無関係に、リゼの視線は華音に釘付けだ。


 その声は《MateRe@LIZE Nexus》内の相方『アルマ』と同じ……否、声だけではない。髪型・髪色・服装以外は完全に一致している。リゼの『完全記憶』が、彼女こそアルマ本人に間違いないであろう事を告げていた。



「んんー? やっぱそーだよなぁ……」

「はい?」

「身長や目鼻立ち、あと声もか……ホント、髪色以外はそのまんまだねー」

「ええと……何がそのままなんです?」


 まじまじと自分を見つめる金髪の少女 (外見のみは少女に見える)に、華音は少し当惑して尋ねた。


「いや……そりゃあ『アルマ』に、でしょ?」



 あっけらかんと返ってきたリゼの言葉に固まる華音。

 突然、初見である筈の少女から自身の『アバター名』が飛び出たのだ。それも仕方なかろう。

 不意打ちを受けて継ぐ言葉は出ず、笑顔と真顔の真ん中という微妙な表情は年下にも見えるリゼを捉えたままだ。



 ――直後。

 リゼには人混みを掻き分けて警察官と施設警備員が数名、フロア2階の奥から1階のこの場所を目指して来るのが見えた。


 気付けば観衆は大分と減っており、近くにいた少年も既に母親とこの場を離れていた。

 野次馬の大多数が日常へと戻り、残るは目立つリゼら(特に大立ち回りをした嬋媛せんえんたる華音)と警察たちの接触を傍目で見ようという興味本位の者たちばかり。



 「マズいな……」とリゼが一言。

 何せ先程まで随分と場を、意図せずも賑わせてしまった当事者たちだ。


 被害者の側ではあるものの、リゼは『失った過去の記憶』に係る出来事から、個人的心情として警察を好ましいとは思っていなかった。

 そのうえ華音は現行犯強盗を追跡していたとは云え、モニュメントを駆け渡る危険行為までしている。それは後追いをしていたリゼの位置からも見えていたため、聞き込みや監視カメラ等で直ぐに明らかにされる筈。

 状況から騒乱罪等までは至らず、酌量からの注意ないし不問になるであろう……が、調書・被害届・その他の手続きで拘束され、今日という1日が潰れてしまうのは明らかだ。



 リゼは恩人にして友人 (だと目した)の華音の手を掴み、警察らとは反対方向へと彼女を引いた。



「コッチへ!」



 対してフリーズしていた華音は、リゼに手を引かれた瞬間に我に返る。

 トリガーは彼女より伝わる体温であった。



 ――ゲーム内で初めてリーゼと組んだ昨日。

 ファンタズマのロビーで引かれたリーゼの手が今、現実の熱を介して華音の手に重なった瞬間だった。



「……貴女が『リーゼ』さん、なのですね?」

「正解だよ、愛しの相方さん! ってか、本人はこーんなチンチクリンだから、昨日は言いづらくて……ゴメンね?」

「随分と可愛らしい女の子、だったんですね」

「可愛いって!? いやー、それほどでも……あ、女子バレの方はしてなかったん?」



 脇腹を押さえながら、歩くような速度で迫る警備員と警察官から遠ざかるリゼ。

 フレンドのミレイに一瞬で性別バレをして以来、プレイヤーセクシャルの意識が無自覚に薄れていたリゼは、勝手に華音が気付いているものとばかり思っていたのだ。



「私が『オトコノコですね』って言った時に否定されませんでしたので、てっきり男性だと思って探しちゃいました……」

「うっ……ソレもすんまそん!」



 此処まで話した二人だが、いよいよと警察官と警備員が1階へと到着してしまった。

 混雑した人混みも掻き分け、彼らの帽子がコチラ側からでも見える。接触までの時間的マージンは間もなく限界だろう。

 リゼは運動不足で痛む脇腹に耐えながら、華音の手を先程よりも強く引いた。



「……ってか、そーいうの後で話そう! 今は取り敢えず走って走って……ええとー、アルマ、じゃなくて――」



 現実界でアバター名を呼ぶのは、ネット界を日常とする者にとって違和感ばかりが先立ってしまう。

 『何と呼べば良いか』と当惑するリゼに対し、華音が「クスッ」と笑って答えを告げた。



華音かのん――私は黒咲華音くろさきかのんといいます。では急ぎましょうか」



 海外暮らしの慣れからファーストネームが先となる自己紹介をしつつ、華音はリゼと入れ替わる形で前に出る。


 今度は華音が手を引く側へと回ると、その加速度から勢い良く引っ張られた形となり、「うわっとぉ!?」と驚きの声を上げたリゼ。

 何せ俊足の盗難男に追い付く程の足だ。リゼにとってはチョットした絶叫マシン気分にも感じられた。



「速ぁっ! えーと……華音ちゃんか。アタシは桐生きりゅうリゼだよ……んだけど、後の紹介は走り終わったら話そぉーっ!」

「リゼさんですね……解りました。ではスピードを上げますよ!」

「ウッソ!? まだ速くなんの……ぬおぉっ! フィジカルモンスタァーッ!」



 手を引かれる分だけ衝撃は分散され、脇腹は幾分か楽になった……が、それでもリゼの肉体と声が悲鳴を上げてる事実は揺るがない。きっと明日には筋肉痛もプラスされるだろう。


 華音の加速から半ばリゼは引き摺られ、二人は揃って雑踏の向こうへ消えて行った。



──────────────────────────────



 ≫≫ 13時27分_飯田橋駅ビル内2F_元ブティック店内部 ≪≪



「クソッ! 目立ちすぎて警察まで来やがった……あのデカい女が来なければ!!」



 先程の盗難男は施設を抜け出ようとするも、正面から警察官に踏み込まれたためUターンをして施設内に隠れていた。

 場所は監視カメラの死角となる2階の空きテナント、その壁面裏だ。


 ……現在、近くでは巡回の人員も増加され「盗難チェーン男」を捜索している会話も耳にした。

 野次馬の目撃報告や監視カメラ等から特定され、情報共有されてしまったのだろう。


 男は腰に光るウォレットチェーンを引き千切って捨てる――同時にその瞳にはチェーンの反射光を上書く程の、怨嗟の炎が宿っていた。



 ≫ ≫ ≫



 一方では今回の問題を傍らに置き、商業施設を後にしたリゼと華音。

 彼女らは一路、リゼの案内で昨夜予約をした近隣のレストランへと向かっている。



 けれども遠くない未来。

 男が燻ぶらせる復讐心は炎と化し、二人に襲い来る事となる――が、今はその事には気付けずにいた。

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