【Phase.9-1】彼女たちの日常、追憶は白の愁情

 ≫≫ 11時31分_埼玉県さいたま市 桐生邸前 ≪≪



 リゼが家の門を潜り出ると、目の前には一台の小型車が無人で停まっていた。車は前後座席のツーシーターであるが、

 彼女は迷わず車の前に立つと、ドアはスライド式に自動で開かれる。そこへ「当然」とばかりに迷う事なく、前部シートへと乗り込んだ。



「えーとぉ……うっし! この時間なら待ち合わせより前に、ギリで秋葉原に寄れそーだ」



 目的地までを備え付けの車載ナビで確認し、遠慮なくシートで伸びをして「ふぃー!」とくつろぐリゼ。

 直後、彼女のアクションと連動する様に車はナビのルートに沿って走り出す……が、この車は桐生家の自家用という訳では無く、れっきとした「公共の交通機関」である。



 ――交通機関の仕組みはここ近年で大きく様変わりをしていた。

 特に都市部でのバス・タクシー等は、特定企業が利用するのみで殆どが姿を消していた。


 代わりに街の乗り物として台頭してきたのが、10年ほど前より普及し始めていた車や自転車のシェアリング……そこへタクシーの要素を折り込んだ発展型の交通車輌『リモート・オムニバス(オムニバスはバスのラテン語源)』――通称『リモバス』だ。


 街の至る場所には、リモバス専用のステーションが点在しており、最大二名乗りの小型四輪が配備されているのだ。

 利用者はウェアラブル端末より、乗り場と行き先の座標 (ないし名称)を登録すると、指定した時間と場所へリモバスがオートで送迎する仕組みだ。



「駅みえてきた……ってか、都内なんて1クォーター(3ヶ月)は行ってないなぁ」



 走行時間は約8分。

 目的地の「大宮駅」西口へ着いたリゼが下車をすると、無人となったリモバスは管理AIに従って格納ステーションへの自走を開始する。

 このように利用者に一切の手間が掛からない事や、変形ながら「バス」の名称を引き継いだ事も、リモバスが一般普及した要因だろう。



 リゼはリモバスから視線を切ると、眼前にあるエスカレーター(一見はステップ型の床タイル)へと立ち乗る。

 直ぐにエスカレーターは動き出すと、そのまま彼女はステップより一度も降りる事なく、駅のコンコースを抜けてホームへとで移動してゆく。


 ……このエスカレーターもリモバス同様、ステップ毎にウェアラブル端末の登録情報と連携し、改札処理を含めて利用者を運んでくれる公共移動システムのひとつであった。



 エスカレーターステップが停止すると、目の前は電車のドアだ。

 僅か一歩だけで日中の空いた車輌へ乗り込むと、リゼ(のみならず大衆)の大好きな端の座席へ腰掛ける。



「ま、に通ってたらしいって時よか、だいぶ楽んなったよね」



 閑散とした車内には、リゼを含めて三名のみ。

 程なくして電車は一路、東京方面へ向けて走り出した。



 ≫ ≫ ≫



 秋葉原駅までは約30分の旅となる。

 車窓より流れゆく景色を見ながら、ふと……リゼは過去を思い返していた。


 恐らくの発端は、さきに呟いたという言葉からだろう。10年ほど前に『高等学校同等卒業認定 (略称:高認、旧呼称:大学入学資格検定)』を経て入学した大学時代が、のまま脳内再生される。




 ――その頃は千葉県千葉市、JR千葉駅より程近くの場所に住んでいた。


 当時17歳のリゼは高認取得後、飛び入学を受け付けていた千葉の国立大学に合格する。

 好きなゲームの根本にも触れられるだろうと電気電子工学の分野へ進み、次第に没頭していった。

 この分野にハマったリゼは、翌年18歳になると更なる高みを目指し、国内に於ける同分野の最高峰とされる東京の国立大学へ再入学を果たした……



「……」



 自己の経験がたる理由。


 彼女には二つ、が存在する。

 一つは9歳のときの7月15日。

 そしてもう一つが、千葉~東京の大学へ移るもの記憶だ。



 千葉の大学では互いの家に泊まり合うくらい、仲の良い女友達が居た


 当時、千葉の大学へは無頓着にも白衣・ボサボサ頭で通っていた


 今のロックなコーディネート趣味も、ロックバンドを組んでいる女友達の影響で変わった


 移った東京の大学では、尊敬する教授のゼミに所属していた


 専攻する研究分野でリゼは、今日のAIを支える鍵を発見した




 ――彼女の『完全記憶』を以ってしても顧みれぬ過去。

 伝聞ではない自らの遡った記憶は、千葉の大学で受験をした所で切れ、東京の大学を辞める時から再開する。


 そんな「記憶に無い記憶」の空白リプレイはここで終わりを迎えた。

 ……否、記憶に準ずるのであれば、元より想像でしかない過去だ。


 知らぬ交遊関係・知らぬ顔・知らぬ人生――あらゆる二義的な記憶を恐れ、怯え、全てを捨てて逃げたのが現在のリゼだ。



「全部周りから聞いたコト。アタシは何一つ自分じゃ覚えてないんだよね」



 憂いを帯びた表情は窓の向こう……流れる景色へと褪せては沈んでゆく。


 それでも電車は規則的なプログラムに従い、メランコリックな彼女の心を乗せたまま走り続けていた。




 ≫≫ 12時10分_東京都新宿区神楽坂_ハヤマリ・バレエアカデミーにて ≪≪



「今日はありがとうね、華音かのんちゃん。お母さんにもよろしく!」

「はい。母にちゃんと伝えておきます」

「うちの生徒たちも喜んでるし、また来て欲しいわ」



 ここはJR飯田橋駅より徒歩10分程の場所。

 現在、神楽坂に構える有名バレエ教室の入り口では、二人の女性が別れの挨拶を交わしていた。



 一人は『葉山麻里奈はやま まりな』という女性で、此のスタジオのオーナーだ。

 彼女は40代という年齢であるものの、婉容えんようさを帯びたフェイスラインと、引き締まったボディーラインが若々しさを放つばかりで、外見から年齢を推し量るのは困難を極めるだろう。

 若い時分より『ハヤマリ』という愛称で親しまれ、ドイツにて活躍していたソリスト(公演でソロパートを任されるダンサー)であった。


 そしてもう一人は高校生にして、留学先ポーランドで現在活躍中の若手バレエダンサー、黒咲華音。

 彼女の元々人目を惹くビジュアル・プロポーションに加え、最近ではクラシックバレエ(定められた『パ(動き)』を踏むダンス)のみならずコンテンポラリー(決まりの無い創作型ダンス)にも注力し、その表現力の高さから業界では注目され始めている未来のステラだ。



 ……実のところ、麻里奈は華音の母『黒咲一華くろさき いちか』と幼馴染にしてライバル関係であるため、華音にとっては幼少より世話になっている叔母の様な存在である。



「こちらこそ是非お願いします。本当にこの教室の生徒さん、良く練習されてますよね。私も刺激になりました」

「でしょう? 華音ちゃんにも胸を張れる自慢の子たちよ。でも今は――」



 そう言って麻里奈は、自らの生徒たちを横目で一瞥した。


 現在、この教室ではジュニアクラス(18歳未満の中学生女子がコア層のクラス)のレッスン中だと云うのに、彼女らは完全中断モードで「キャッキャ」と華音を見つめる熱い視線が途切れる事はない。応えて華音が笑いかけると、「ワッ!」と一層の歓声が上がった。

 未来のプリマを目指す彼女たちにとって、世界に翼を広げる華音は正にシンデレラストーリーを歩む憧れとして映っているらしい。



「――午後のレッスンは少し厳しくしないと、ね?」

「アハハ……」



 麻里奈の言葉に苦笑いを浮かべた華音だが、彼女の向こう側に見えた時計を目端で捉え『あっ!』という表情に変わる。

 けれども、直後には何処か期待感を含む笑顔へ変わり「それでは麻里奈さん、本日はありがとうございました」と、続けて暇の一礼を伝える。


 その言葉を受け「あらあら、長々とごめんね――」と返した麻里奈は、華音の時計チェックを見逃しておらず。ゴシップ的な意図を含んだ笑みで言葉を続けた。



「――じゃ、デート頑張って!」

「デ……デート!? いえ、確かに待ち合わせですけど……今日初めてお会いする方ですし、普通の『お友達』ですよ?」

「今はお友達かもしれないけど……華音ちゃんにそんな楽しそうな顔をされたら、男はよ」



 この後に控える待ち合わせの約束を見抜かれた事に驚くも、「デート」だと勘繰られたのは更なる想定外であった華音。

 今日び聞きなれない麻里奈のであったが、意だけを解した華音は再びの苦笑いを浮かべる。




 ――五分後。


 麻里奈とジュニアクラスの生徒らに挨拶(に加えて、さんざと揶揄からかわれつつ)を済ませた華音は表情を変えず。けれども、少しばかり期待に足取りは軽く、本日待ち合わせをしている『お友達』へ会うため飯田橋駅方面へと歩き出していた。



「そういえば、実際の『リーゼ』さんかぁ……どんな男性ひとなんだろう?」

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