辿り着く先は二択ではない

位月 傘


 本当にただのうっかりだったのだ。本人に言うつもりは毛頭なかったし、自分のこの性は、どうしようもなく忌むべきものだということも、分かっているつもりだった。

 伸ばされた手を払った男は、怪訝な顔で膝をついたままこちらを見上げる。やってしまったと理解するのは、一瞬だった。

「今、なんて?」

「あのー、言葉の綾ってやつでして……」

「別に怒ってるわけじゃない」

 ただ理由を知りたいのだと、男は言う。悪ぶっているけれど根は真面目とか、少しずるいと思う。これじゃあ、口を滑らせたって、しょうがないじゃないか。

「それじゃあ、大の男を捕まえて、可愛いなんて言った理由を聞かせてもらおうか」

 美人が凄むと迫力があるなぁ、なんて現実逃避をしながら、視線を逸らす。もとより嘘が下手な私と、その私が好きな相手なら、どっちに軍配が上がるかなんて、言うまでもないだろうけれど。


 当然の様に話した、洗いざらい話してしまった。だって誤魔化そうとしても、人間ウソ発見器かというくらいすぐにばれるのだ。

「つまり君は、俺の生い立ちに愛着を持つ、と」

「生い立ちっていうか、君にというか」

 村焼かれてたけど一人だけ生き残っちゃいましたーとか、その犯人探してこんな仕事してまーすとか、全部我らが上司に聞いちゃいました、ごめんね!でもこれは勝手に全部話されたことが悪いので、私は悪くないはず。

 ただ厄介だったのは、それに対して私が可哀想!と思うよりも先に可愛い!ってなっちゃったことだ。我ながら最低である。

 人を信じられないのか、距離を詰めたくないのか分からないけれど、こちらが傷の具合を確認しようとして伸ばした手を払うとか、最高に不憫で可愛い。それもこれも全部君の顔がタイプなのが悪い。

 ここまで話して分かる通り、やけくそだ。大の男って言ったって、自分より年下の男の子に詰め寄られて、申し訳なさと不甲斐なさで、完全に振り切れてしまったと言った方がいいかもしれない。

「しかし難儀な性癖だな。君はいちいち道端に捨てられた畜生に興奮するのか」

「ちがいますぅー」

「ふぅん、何故?人に対してだけなのか?」

「そりゃあ、好きな人限定でしょ」

 そこまで言って、男がピタリと動きを止める。疑問に思うよりも先に、また口を滑らせらのだと理解する。

 またやってしまった。やけくそになりすぎて、リミッターが外れている。

 さすがにこれは笑い話に出来ない。だって重荷になる。変な性癖を向けられてるとか、とんでもない先輩を持っちゃったこと以上にひどい。確かに苦しんでいる貴方は好きだけど、別に意図して苦しめたいわけじゃない。

 人から差し出された手を自分で跳ね除けておいて、申し訳なさそうな顔をする人間が、他人からの好意に苦しまないはずがない。

「な、なんちゃってー、とか、言ってみたり……」

「すぐに分かる嘘を吐くのはやめろ。狼少年になるぞ」

 あー、とか、うー、とか、意味のない言葉が苦し紛れに漏れる。沈黙と自身に向けられる視線に耐え切れずに、視線を足元にうろつかせる。今すぐにでも逃げ出してしまいたい。そんなことは何の解決にもならないから、しやしないけど。

「じゃあ、付き合ってみるか」

「えっ、それは無理」

 ろくでもない言葉が聞こえて、考えるより先の口が動く。本当に口にチャックを付けたほうが良いのかもしれない。

 でもよく考えたって無理だ。私じゃあ、だめだ。

「……理由を聞いても?」

「大人をからかおうとしても駄目ってことだよ」

「俺は本気だよ」

 手をとられそう言われて、驚きのあまりを男の顔を見る。同時に、ぐっ、とまた意味のない音が喉の奥からせりあがる。どこでそんなの覚えてくるんだ。そんなに真剣な顔されたって、無理なものは無理だ。

「貴方はちゃんと、自分のことを好きな人じゃなくて、自分が好きな人を選ばなきゃだめだよ」

「別に俺と付き合うことが嫌な訳じゃないんだな」

「そういうの揚げ足取りって言うんだよ、後輩くん」

 なんだこいつ、人と距離を取ってるんじゃなかったのか。欲求不満なら他所でやってくれ。ストーカー相手に付き合ってくれ、と言っているようなものだぞ、後輩くん。いや別にストーカーしているわけではないけども。

「何か勘違いしているようだが、俺は君のことが好きだよ」

「はっ?」

「憎悪に身を委ねていることを知れば、君はさぞ軽蔑するだろうと予想していたが、どうやら杞憂らしい。それなら、もう何に気兼ねする必要もないだろう」

 嘘に決まってる。このやたらめったら美形の男は、私のことを騙そうとしているに違いない。もしくは、そういう目で見られていることに対する意趣返しだ。

 わかっている。わかってるのに、こんなに鼓動が早くなるなんて、どれだけ単純なんだろう。

 たった一言、それだけで理性は瓦解して溶けてゆく。ぐずぐずとろけて、煮詰めて、甘ったるい思考は、常時だったら恥ずかしくて耐えられないだろうに、突然飛び込んできた非日常によって、隠してきた本音を引きずり出される。

「だ、だめだよ」

「何が?」

「わたしじゃ、だめだよ。貴方を救えない、救おうとも、思えない」

 貴方には太陽のような子が似合う。否、そうでなければならない。

 手を引いて光の下に連れ出せるような、貴方の恨みを嘆いてあげれるような人間じゃない。そうはなれない。

 だってわたしは、そのままの貴方が好きだ、全てが愛しくてたまらないのだ。そのかんばせも、不遜な態度も、可哀想な生い立ちも。

 貴方を形成するものを、肯定することは出来ても、否定することはできない。大概狂った私には、その恨みが不当なものだとは思えない。

 だから、駄目なのだ。きっと、過ぎた復讐心を沈めるよりも先に、その炎が燃え移ってしまうから。

「別に、救ってほしいだなんて思ってない。誰かに押し付けるつもりもない」

「うん、うん、わかってる、わかってるの」

 これは全部、わがままだ。勝手な思い上がりだ。恋した貴方が幸せになれますように、なんていう身勝手な祈りを捧げているだけだ。いざ彼が誰かと光の下で笑い合っていたなら、嫉妬で身を焦がしてしまうと分かっていても、傷を残してやるような勇気も持ち合わせていない。

 こんな邪だらけの願いだったから、バチがあたったんだ。そうじゃなきゃ、こんなおかしな状況になんて、なりやしない。

「今、俺が欲しいのは安息じゃない、君だよ。この復讐を肯定してくれる君だ」

 そんな目で見ないでくれ、その縋るような瞳に弱いのだ。これが庇護欲から来るものなのか、実は加虐趣味があるからなのかは分からないが、どちらにせよ相手のためになるようなことは絶対にない。必死に逃げ道を探して落とした視線の先に、未だに握られた手が視界に入って墓穴を掘る。

「べつに、付き合わなくたって、いいじゃん」

「この場で繋がりを残さないと逃げるだろう。それに、俺の理由はもう言ったはずだ」

「う、わ」

 意識しなおしたばかりの手を強く握られて、不自然に声は上ずる。私のほうが年上なんだぞ、と言い訳の様に頭の片隅によぎる。それもこれも、目の前の男が微笑むせいだ。先輩を馬鹿にするなんて、百年早いぞ、後輩くん。

「君が好きだ、一緒に地獄に堕ちてくれ」

「ほんとに、ばかだ」

 また考えるより先に言葉は零れる、いくら考えたって同じことを言っていたけれど。あり得ない、最低な口説き文句だ。一ミリだって女の子の気持ちをわかっていやしない。

 それでもその手をとってしまうのだ。ばか、ばか。地獄に引きずり込む勇気も、天国に押し上げる力もないというのに。

「すぐに手を離さなかった君が悪い。諦めてください、センパイ?」

「ほんとにもう、しょうがないなぁ」

 ただ、この気持ちが諦念を上回ったなら、その時私たちはどこに辿り着くのだろうか。どうか地獄には辿り着きませんように。できれば、天国にも。

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