第39話 アイドルは魔王候補

 せっかくなのでそれから少し他の買い物をした。

 と言っても、ほとんど見て回るだけのウインドウショッピング。

 荷物持ちでもしようかと思ったが、特に役に立つチャンスは訪れなかった――でも楽しかった。


 日が傾きかけた頃に解散となった。

 俺は「送って行くわ」という、リゼル先輩のありがたい申し出に甘え、車で送ってもらうことになった。


「あら?」

 リゼル先輩はスマホの液晶を見つめると、申し訳なさそうな顔で俺を見た。


「ごめんなさい。少し電話をしてくるから、待っていてくれるかしら?」


 もちろん良いに決まってます――そう答えると、俺は近くの本屋を覗いて時間を潰すことにした。


「お……」

 店頭に見覚えのある顔が並んでいる。


 ――星ガ丘、ステラ。


 新しい写真集が発売されたらしく、大々的に宣伝がなされている。

 以前は人気のあるアイドルとして、それなりに気にはなっていたし、もちろん可愛いとは思っていた。しかし、実は悪魔だと知った今では、受ける印象がまるで違う。


 ふとその一冊に手を伸ばそうとしたとき――、

「君、ちょっといい?」


「え?」


 振り向くと、あからさまに怪しい人がそこにいた。

 帽子を被り、目にはサングラス、口にはマスク。一歩間違えれば変質者だ。


「私よ」

 マスクをずらし、サングラスを下げたその顔は、


「ほっ!? 星ガ丘ステラ!?」


「シッ! 声が大きい!」


 俺は慌てて周りを見回すが、幸い誰にも聞かれていないようだった。


 写真集を見ようとしたら、まさか本人が登場するとは思わなかった。俺は口元に手を当てて、囁くようにして訊いた。


「写真集から飛び出して来たのかと思いましたよ……大スターがこんなところで何してんですか」


 ステラはにんまり微笑んだ。

「いいわね、大スターって響き。もっと言っていいわよ?」


 思わず苦笑いを浮かべると、ステラはサングラスとマスクを元通りにして、俺の手首をつかんだ。

「ちょっと、こっちへ来て」


「は? いや、俺はいま……」

「そこの角よ。人のいないところで話がしたいだけ」


 強引に連れて行かれると、そこはバックヤードへの入り口で、確かに人目に付かない場所だった。

 帽子を脱ぐと、さらりと長い髪の毛が流れ出る。

 サングラスとマスクを外せば、国民的大スターの 星ガ丘ステラのお出ましだ。


「どうしてこんなところに……オフですか?」

「あなたに会いに来たのよ」


「俺に?」

「ええ。同じ魔王候補としてね」

 緑色の瞳が光る。


 もしかして、ステラは俺を……?


「――ああ、別にあなたを殺すつもりはないわ。ちょっと訊きたいことがあるだけ」


 その言葉をそのまま信じて良いものか分からないが、今の俺には選択肢がない。


「俺がステラに教えられるようなことなんて、何もないと思うけどな」

「そう言わないで。売れっ子アイドルとお喋りを楽しむと思えば、お得じゃない?」


「売れっ子アイドルとしての星ガ丘ステラとならな。でも、魔王候補として……だろ?」


 ステラは、ふふんと見下すような笑みを浮かべた。そして俺を値踏みするような目で見つめる。


「お披露目では、ほとんどの魔王候補が欠席だった。あなたが人間だって事前情報は回っていたから、見に行く価値もないってね。でもね、あたしはあなたに興味がある」


「それは光栄だけど……なぜ?」

「姫神リゼルが見込んだ男だからよ」


 ――リゼル先輩が……か。


「ステラは、リゼル先輩を高く評価してる……ってわけだ」


「それはそうでしょ。あなたは知らないかもしれないけど、リゼルの実力は相当なものよ? 彼女自身が魔王候補に選ばれるんじゃないかって噂だったし、あたしもそう思ってた」


「そう、だったのか……」


 もちろん俺だって先輩は凄い人だと思っている。しかし他の魔王候補から見ても、やはり評価が高いというのは初めて知る事実だった。


「それがまさかの人間。で、他の候補に乗り換えるかと思いきや、その人間のカードになっちゃうんだもん。もーびっくりよ」


「乗り換え……?」


「ええ、そりゃリゼルの家は代々『恋人ラバーズ』のアルカナに仕えてきたけど、別に乗り換えたっていいんだしね」


 ――え?


「そ、そうなのか?」


 ステラは怪訝な顔で俺を見上げた。

「あなたには悪いけど、正直他の候補に乗り換えた方が、爵位を剥奪されるリスクは減ると思うんだけどね」


 ……何だよそれ。


 みんな、助かる確率の高い方法があるんじゃないか。

 それなのに、

 そんなこと一言も言わないで、

 俺を信じて――、


 目頭がじわりと熱くなった。


「ん? なに? 泣いてるの?」

 俺は慌てて目を閉じて、顔を伏せる。


「い、いや別に。ちょっと目にゴミが入ったみたいで」

 俺は慌てて目をこすった。


 くそ、気付かれたら恥ずかしいな――と思ったが、幸いステラはあまり気にしない様子で話を続けてくれた。


「ねえ、そもそもあなたは、どうやってアルカナを手に入れたの?」


「俺にもよく分からないが、朝起きたら枕元にあった」

 そう答えると、ステラは突然吹き出した。


「あははは、なによそれ!? サンタさんがプレゼントしてくれたとでもいうの?」

 笑い声を上げるステラだが、目が笑っていないのが恐い。


「ほ、本当のことなんだ。正直なところ、何で枕元にあったのか、俺が知りたい」


「……ま、いいわ。でも人間にしては、魔法を覚えるのも早いし、魔力も強いわね」

「それは『恋人ラバーズ』のアルカナとリゼル先輩たちのおかげかな……俺は普通の人間だし」


 ステラは俺に顔を近付けて、匂いを嗅ぐように鼻を鳴らした。


「確かに人の匂いしかしないわね……」

 匂いで分かるのか? つか、近くで見ると本当にキレイだな……。


 じっくり鑑賞する間を与えず、ステラは体を離した。

「リゼルのおかげって言ってたけど、魔法はリゼルに教えてもらってるの?」


「ああ、特訓してもらってる……けど、魔法自体はアルカナに教えてもらってるかな」


 ステラはぎょっとしたように、美しい瞳を剥いた。

「……どういうこと?」


「どうって……そのままの意味だよ。アルカナが喋って教えてくれる」

「しゃべ……?」


 大きく見開かれていたステラの目が、鋭く細められた。

「それも信じろっていうの?」


 ……そういえば。


 リゼル先輩が前に言ってたっけ。魔王候補でも、アルカナの声は聞こえないって。あれは本当だったのか。


「……なあ、俺からも訊きたいことがあるんだが。いいか?」

「恋人ならいないわよ」


「そういうことじゃなくて……ステラは悪魔の貴族なんだろ? しかも魔王候補。それなのに、なぜ人間のフリをしてアイドルをしているんだ?」


 ふっと鼻先で笑うと、ステラはその場でくるりとターンをした。

 たったそれだけで、思わず心が引き込まれそうだった。


「あたしは歌や踊り、お芝居で人々の感情を動かすことでエネルギーを吸い上げている。より大勢の人間からね」


「そうか……それで」


 にこっと笑うと、ステラはポーズをキメた。

「私は空前絶後のスターでありたいの。全ての生き物が、あたしの魅力の前にひざまずく。全ての悪魔と人間の心を虜にする、それって全ての支配者と同じだと思わない?」


「なるほど……それは魔王に近そうだ」

「でしょ? だからあたしは――」


「おい! 見ろよ、星ガ丘ステラだぞ!!」

 通路の先で、数人の客がこちらを指さしていた。

「本当だ!」

「やべえ! 早く撮れよ! つかサインもらいに行こうぜ!!」


 ちっと舌打ちすると、ステラはバックヤードの扉に飛びこんだ。


「あっ! 逃げた!」

「追っかけようぜ!!」


 五、六人の男たちが後を追ってバックヤードへ飛びこんでゆく。また、騒ぎを聞きつけた他の客たちが騒ぎ出し、辺りは騒然となった。


 これが星ガ丘ステラの影響力か。


 ライブや芝居を通して、ファンの心からエネルギーを得ている。

 そんな魔王候補もいるのか、と目から鱗が落ちる思いだ。


 他の魔王候補は、どんな性格や特徴を持っているのだろうか?


 そういえば、お披露目の時に会ったネイト・カルナックという金髪褐色肌の少女……ずいぶん恥ずかしがり屋で控えめそうに見えたな。

 あまり魔王候補っぽく感じられないところが、ちょっと面白い。


 しかし、それは一面に過ぎない。

 一皮剥けば、みんな怪物。

 次期魔王をめざす、最強の悪魔たちだ。


 俺はそんな連中に勝たなければならない。


 自信なんて全くない。


 でも、俺を信じて、敢えて茨の道を選んでいるリゼル先輩たちのために……俺は、やらなきゃいけないんだ。


 そんなことを考えながら、俺はリゼル先輩を待った。


 ――しかし、


 その後、いくら待ってもリゼル先輩は戻って来なかった。

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