第30話

一瞬だったけれど、とてつもなく長い時間に感じられた。


いつもの口とは裏腹に優しく私から顔を離す。足元がふらつくのを茗荷谷はそっと支えた。


「…ごめん。」


言い放たれたその言葉に、その人に、私は言葉を無くす。


「でもさ、本気で言った。…そうだよ、お試しだと思って付き合ってみてよ。期限付きでいい。」


唇に茗荷谷の感覚が残ったままの私は顔をあげないようにするので精一杯だ。


「ねえ儚日、そうしてみよう。…そうしてみてよ。」


懇願するように言う彼に私はなかなか口を開けない。


「…っ!」


ドンッと私を再度壁へと追いやる茗荷谷。


「なんならまた脅しでもする?また鬼丈楓を使うのもいいけど、この前あたりから使えそうなやつも増えたしな。…正直乗り気ではないけど。君が、一瞬でも俺のものになるなら。俺はやるよ。」


前世での彼はこんなだったろうか、いや、こんなにも私に興味があるやつではなかったはずだ。昔の彼はなんというか、私を小馬鹿にしてくるような生意気な学友だった。


コツコツ、と静かに廊下に足音が響く。誰かが近くにいる。それはだんだんと私たちに近づいてきて、止まった。




ーーーーーーーー




「会長…。」


少しぴくりとしても振り返ったその顔は私のいつも知る会長だった。


「どうした、寺島。今少し取り込み中なんだけど?」


彼が壁へと追いやっているのは今日会う相手だと言っていた可愛らしい同級生だ。文化祭の時は引き剥がせたが、ここはそんな空気ではどうにもできない。さすがに私でもわかることだ。でも、私は止められなかった。


「会長…」


だってそれが恋ってものなんでしょう?


「なぜ、その女なのですか?その女はあなたがどう頑張ったとしても振り向く素振りすらないじゃないですか。」


言ってしまった。会長の一番触れてはいけないであろう部分に。少し怒気を含んだ声で、顔だけだったのを上半身ごとこちらへ向かせて口を開く。


「彼女の前でこういう話はよしてくれないかい?それに君にそれを話す義理もないだろう。」


「それでもっ、私は!!」


「っ!!!?」


私の言葉と同時に会長が弾き飛ばされた。猫谷儚日が会長を強く押したのだ。そして自分の鞄を持って階段を駆け下りていった。


ーー残された会長と私。その場がしんと静まり返る。


「…ちっ。」


頭を抱えた会長が舌打ちをして床にへたり込む。


「…会長?」


近づき手を差し伸べるも手をはねのけられる。


「なんでいつもいつも。」


そこにいたのは今まで見たことないほどの、


ーー怒りに包まれた会長。


「…んで。…は俺だけのものなのに。」


「へ?」


でもすぐにいつもの会長に戻る。気味の悪いくらい自然に笑顔に戻った。


「あーあ、もう寺島。今度はこんなことしちゃダメだよ?今度俺の邪魔したら今度こそ怒っちゃうんだから。」


すっと立ち上がり、階段を下っていく。よかった、いつもの会長だ。告白もどきの答えは聞けなかったが、猫谷儚日を離せたのなら会長には悪いが私にとっては上々であった。


「すいませんでした。会長。」


私はあとからついていく。いきなり会長が止まる。


「どうしましたか?」


「あとさ、もうこういう件で俺に関わるのはやめてくれ。君の気持ちは嬉しいけど、俺の気持ちはきっと一生変えられない。」


一気に体が固まるのを感じる。そして昨日と同じ言葉を今度は私に向かってかけた。


「これはずっと昔からの、俺の片想いでしかないからね。」




ーーーーーーーー




家に着いたのは午後七時くらい。まあ夕飯時には間に合った。母の気だるげな声が響く。


「あらおかえりー。」


「ただいま!!!」


「ご飯は?」


「しばらくしたら行くよ!」


そう言って私は部屋の扉を閉じる。

私はさっき茗荷谷に何をされた。…人気者生徒会長とキスしてしまったのか。はあ、これがただの少女漫画だったらなんてよかっただろうか。


『…俺と付き合おう?』


思わず、唇を触ってしまう。ドキドキとオエーってのが半々でやってきてキャパオーバーだ。ってか私のファーストキスがあいつとか!!…うんやだな。


「やっぱカウントなしで。」


うんうんと頷き、自分に言い聞かせる。あれはなし、カウントなし。はあ、寺島冬子が来て本当によかった。あの子のおかげでうまく逃げきれた。あのままだったらきっと流されて私もどうにかなってしまってそうだった。


だって前世にもゲームにもガブリエル・チャーチルであんな展開…あんなに余裕がなそうな表情になる時なんて見たことがなかった。


ガチャ、扉が開く。


「どうした、儚日ちゃん?」


ん?儚日ちゃん?

私の家に入れて私を儚日と呼ぶ人物を私は一人しか知らない。


「てっ輝也さん!どうしてここに??」


「やだなあ、そんなに驚かなくたって。今日は儚日ちゃん家で夕飯ご馳走になってるんだよ。」


ふにゃふにゃとした笑顔で話す。


「というか、家に着くなりすぐ部屋にこもっちゃうなんて。学校で何かあったの?」


「いや、別に…?」


すると風船のように口をむーっと膨らませて明らかに不機嫌そうにする。腕もちなみに組んじゃったりしている。


「嘘だね。嘘ついてるよ儚日ちゃん。話して!それって俺にも言えないこと?」


おあずけをくらった犬みたいに私を覗く瞳に私はもちろん白旗をあげるしかなかった。

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