第15話
※
地上に墜落して何日目か。何度も日が昇り、落ちて月が昇り嵐がきて雨が降り、空母のある荒野中を水たまりに塗り替えて、また乾き、ふたたび太陽が登って雲が引いても、味方は来なかった。
相変わらず空には嵐雲があり、彼方には渦を巻く黒い雷雲。たまに覗く晴天にはいくつかの白い飛行機雲が伸びることもあったが、いくらハヤミが空に向かって手を振っても彼らは地上を見向きもしなかった。
もうそろそろ諦めたらどうだと、ハヤミは自分に言い聞かせ始めていた。
少女はけなげに食事を出してくれる。たまに言葉足らずなジオの言葉で元気だしなよとも言ってくれたが、ハヤミは憔悴していた。
ジオは自分を見捨てるのではないかと思い始める。そうなると、僅かな雷鳴や雨音だけが耳に聞こえるようになってきて夜も眠れなくなっていった。
食事は相変わらずおいしい。
少女の機転でなにか特別な食事が出てくることもあったが、料理の味はさっぱり分からなかった。銀でできた古いナイフとフォークを握りしめ、目の前に並ぶ不思議な食事を口に入れられず過ごす時間が増えた。
雲が引き、ガラスの荒野と墜落した飛行空母に久しぶりの青空がやってきた。
本国からの助けが未だないこと、それでも頭上をアークエンジェルたちがそろって飛んでいるのを、ハヤミと翼を持つ謎の少女は並んで地上から眺め続けた。
食事はすばらしい。ジオとも遜色ないほどの、レトルト料理と地下魚料理のオンパレードだった。
墜落した飛行空母内の探索も、少女と一緒にすることもあった。寝室だけではなく、少女の個人的なたから置き場やその他諸々。
封印されている武器庫。エンジンルームに至っては、今でも充分に作動可能な状態でエンジンが生きている。格納庫にある歩行兵器は、いつでも動く状態に保たれていた。
それと新発見なのが、廊下の隅で動くスライムのような生き物を見つけたことだった。
少女は最初怯えていたので、たぶんこの動くのを見るのは初めてなのだろう。近づいてみると白色のそれは、目玉のようなものを動かし下からハヤミを見上げた。
よく耳を澄ますとなにか鳴き声のようなものを発しているようだったが、その言語はどちらかというと泣き声と言うより、少女がしゃべっていたあの謎の声にも似ていた。
それから艦内に、妙な生き物が出てくるようになってくる。気づくと墜落艦の周囲に謎の生き物たちが溢れていた。
しばらく慎重に彼らのことを観察していたが、生き物たちがハヤミに危害を加えるといったようすはなく、また少女に対しても特になにも関心を示さなかった。
艦と地下埋没都市で生活していく中で、これら謎の生き物が何をしているのか最初はよく分からなかった。だが次第に時が経ってくると、それらの疑問も少しずつ解けていく。
ジェル状の謎の生き物は、墜落した飛行空母を修理するようなそぶりを見せていた。
廃材を集め、溶かし、ひび割れた部分を直してパッチを当てているようだ。生き物はメカニックのようだった。
それと他にも様々な生き物が姿を現し始め、それぞれ得意分野のありそうな生き物たちがどこからか湧いて出てくる。凶暴そうな、翼を持つ竜のような生き物も現れ始めた。
そうしてどんどん新しい生き物たちが飛行空母に集まり始めたある日、ハヤミは、普段は入らなかったある区画に足を踏み入れることになる。
そこは、頑丈な防火壁で隔離されている行き止まりの部屋だった。
艦の電源は謎の白い生き物たちによって軒並み修復され、廊下は赤い回転灯が警告音を鳴らしながら非常警報を鳴らしている。
部屋のあちこちからは機械の動作音、縦積みされたカプセルのようなものは、まるでハヤミの操作を待っているかのようだった。
部屋中に積まれた大量のカプセル。何かの操作板、マニピュレーター、屋根からつるされた実験用の大きな回転機材。ハヤミは少女と一緒に、この奇妙な区画がいったい何であるのかを調べようとした。
ちょうどカプセルの一つに窓枠があり、中が覗ける作りになっている。
ハヤミは少女と目配せすると、慎重にその窓の中を覗いてみた。
「!!!」
「ヒ!」
思わず声を上げ、少女がハヤミに抱きつく。ハヤミも咄嗟に少女の体を抱きしめたが、その窓の中にいるのは、少女自身だった。
「ヤ タム?」
少女は怯えながらハヤミの背中を押し、ハヤミも少女と一緒にもう一度窓枠を覗いてみる。
中には、確かに少女がいた。
顔の作り、髪、輪郭、鼻、口、窓枠から見える姿は少女そのものだった。それで振り返って少女を見てみると、少女の方も困惑したようにハヤミの方を見る。
もう一度、カプセルの窓を覗くと中身は確かに少女本人だった。
「おまえ、双子だったのか?」
軽口を言ってみるが、少女は怒る仕草すら見せない。氷漬けになってカプセルの中に眠るもう一人の少女は、まるで眠っているようだった。
そのうちカプセル脇、操作板に何かの表示がなされ、カプセルの閉まるフタの周りからゆっくりと蒸気が漂い出す。
部屋の中を赤い非常回転灯が照らし、耳障りな警告音が部屋中に響く中、カプセルの中の少女はゆっくりと顔を紅潮させていった。
頬の色がみるみる生気を取り戻していき、凍り付いた唇が溶けて水分を取り戻し、皮膚を覆う冷気の霜が溶けて涙のような水滴になる。
ガラス面は湿気で完全に曇り、ついでゆっくりと、カプセルが垂直方向に持ち上がりだした。「なんだよ、これ……」
少女はハヤミの後ろに隠れて完全に怯えモードになっており、正体不明のカプセルは何らかの警告と音声ガイドと共に、今目の前で、起動状態になった。それからゆっくりとふたが開いて、中からもう一人の少女が歩み出てくる。
「……」
全身にまとう白い布に、水滴を垂らすほぼ全裸の格好のもう一人の少女は、まぶたを開きうつろな目で真っ正面を見ていた。
その姿は、いったい彼女は何を見ているのか分からない得体のしれない何かのようだった。自分の後ろに隠れている少女を見ても、怖そうに首を横に振るいつもの少女誌かいない。
すると音がして、部屋中のカプセルたちが次々と動いて密閉カバーを開いた。
中からは水滴を垂らす何人もの少女。皆がまったく同じ姿で、同じ格好、同じ体型同じ顔の輪郭、同じシンプルな布の服、胸元で淡く光るクリスタル状の基盤。
それらが一斉に同じタイミングで輝きを増すと、湯気に覆われ今蘇った少女たちは、一斉に目を開いた。
まるで生気の無い目。機械のように冷酷な目。
長い眠りから目覚めて、すべてを確信しているようなまっすぐな目。
その目が、ハヤミを見る。
「ひっ」
ハヤミは後ずさりし、急いで部屋のエアロックをしめた。
廊下には相変わらず、どこに何が起こっているのか分からないけたたましい警報音が鳴り響いている。
同時に通路中が揺れ、通路奥のエンジンルームから金切り声のような音が聞こえ始めた。
「なんだよこれ」
少女のほうを見ても分からないといった様子で首を振るだけで、何の役にも立ちそうにない。
当たり前か、この動かなくなった飛行空母をただの家だと思って長年住み続けていたんだ。
ただ、いちおう軍人でついこの前まで実働任務に就いていたハヤミには、何か良くないことが起こりそうだというのは分かった。
「動いてる。こいつら、眠ってたのが起き始めたんだ」
断続的に揺れる通路を伝い、少女と一緒に寝起きしていたフライトデッキに登ってみる。艦外の様子は、艦の中でも一番高いこの場所からすべて見渡すことができた。だが外に見える風景は昨日と打って変わって、物々しい集団や架設の建物が所狭しと並んでいる。
軍の使う簡易な作りの指揮所。仮設ドック。滑走路。作りかけの要塞。この短時間でどれだけのものがここに集結し再構成されているのだろう。
見るとあの蠢く白い生き物たちが、いなくなった人間の代わりにありとあらるる軍の物を作り出し、建造し、構成し部材となって、何もなかったはずのガラスの粒子の荒野に要塞を作りかけている。
しかもその要塞の一角にはハヤミが乗り捨てていたアークエンジェルが持ち込まれ、あろう事か分解されて何かを読み込まれている。
その傍らには明らかにアークエンジェルをデッドコピーした偽物の航空機がいくつも駐機し、パイロットが乗り込んで最終調整できる状態になって並んでいた。
それらを見てハヤミは言葉を失う。そこへ、あの凶暴な翼竜型の生物兵器がやってきて激しく威嚇の構えを見せる。
「戦争は、終わったはずだろ」
ハヤミの言葉に翼竜型は、反応するそぶりすら見せず激しくデッキのガラスにしがみつく。
強化ガラスに日々が入り、翼竜型は顎を拓いて牙を覗かせた。
「もう戦争は終わったはずだろ!」
ハヤミの怒声に翼竜は口を閉じ、細い舌を覗かせてハヤミの目をのぞき込む。だが何を思ったのかすぐにその場を離れていき見えなくなった。代わりに見えたのは、荒野中に並ぶ生き物たちと、どこから現れたのか分からない大量の人造兵器たち。
一糸乱れぬ隊列を組んで、墜落した飛行空母の周りに集まりだしている。
同時に通路の方から足音が聞こえた。
足音はデッキの先。窓辺を背にして振り返ると、開きっぱなしの隔壁ドアの隙間から何者かが覗く目が見える。
ハヤミは拳銃を構え、隙間から覗く正体不明の彼らを見た。
「どうなってるんだクソ!」
隔壁の向こうにいるであろう何者かに拳銃を向けて、ハヤミはふと少女を見た。
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