第2話

『…………ちらテトラ小隊! オッドボール小隊応答せよ』

「あ?」

 無線に反応があった。

『こちらテトラ小隊。オッドボール! こちらが見えるか? 任務中にダラけてるんじゃないよ!』

「あー……なんだミラちゃんか」

 声の主は、ハヤミの同期のミラ・エル・チャンドラー中尉。ハヤミと同じ時期に軍に入り、ハヤミより先に中尉昇進試験に合格したエリート候補である。正確には、ハヤミが訓練期間中に勝手に事故を起こし地面に墜落したことが原因で、ハヤミとその当時のバディだけが昇進に送れただけで、ミラに言わせればハヤミたちだけがバカなのだが。

 見れば遠くに、三機編隊のアークエンジェル飛行小隊が見える。

「訓練じゃあんなにかわいかったドベのオンナノコが、いっぱしに三機編隊なんか持っちゃってまぁ」

『それが軍隊でしょう? あなたも少しやる気を出せばいいのよ』

「そーですねー」

 ハヤミは死んだ目で横を向いた。

『ハヤミはどうして空なんか飛んでるの? そんな顔、中隊長達にはぜったいに見せられない顔ね』

「オレは地上勤務について、浴びるほど酒を飲んでベッドの上で死にたい。そう思うことがある」

『なにそれ』

 ハヤミはシートに倒れたまま、気だるそうに腕を頭の後ろに組んだ。

「だってよ。人は前に進ばなきゃ死んじまう。航空機もおんなじだ。アークエンジェルだって基本はそうだけどよ、何にもすることもなくて、なにもない空を漫然と飛び続けるのも地獄だろ。人は地面に落ちて死なないけど、オレたちは落ちたら死ぬ。けどこうやってただ飛んでるだけでも、死んでるのと変わらねーだろがよ。ベッドの上で死んでるのと同じだ」

『そんな屁理屈ばっかり言ってるから、昇進試験にも落ちるのよ。そんな散文詩を中隊長に聞かれたらなんて言われると思う?』

「もう言いました」

 ハヤミがダレていると、スピーカーのむこうでため息が聞こえた。

『自由でいいわね』 

 ミラの皮肉にハヤミが応えずボオッとしていると、今度は正面ディスプレイにポンと見覚えのある画像が送られてくる。

 数秒前に撮られたらしい、ハヤミのだれた遠望写真だった。

 十字の薄い線と距離計が描かれているのを見ると、写真はどうやら敵機撮影用のカメラで撮ったものらしい。

『久しぶりだなァ、ハヤミ少尉。ずいぶんと楽しそうに飛んでいるじゃないか』

 ミラ中尉の声とは別に、渋い中年男性の声が聞こえ正面ディスプレイに発信元のコードネームが記される。

『元気にしてたか?』

「アトス少佐?」

『中隊長たちはここにいないが、お前たちの行動はすべて筒抜けだということは、知っているよな?』

 部隊中でも最古参の兵士で、前大戦の末期を戦ったことがあるという、今では珍しい戦ったことのある兵士の一人だった。

 もっともアトス少佐は現役とは言っても今就いている任務は新人の教育任務とか、アグレス、仮想敵対勢力として演習の標的を演じたり、ミラ中尉が受けている小隊編成訓練の教官役をすることが主である。

 さらに、ミラとハヤミ、カズマが新兵だった頃の鬼教官もアトス少佐であり、他の新兵の教育係もアトス少佐が担っている。

 ジオ空軍はたったこれだけで編成される。他にも何人か兵士はいるが業務のほとんどは自動化されており、任務の大半は無人機が担当している。有人機はほとんどが予備扱い過、無人機にはできない任務についていた。

 有人機の主な任務は、地下に住む他の住人達の士気をあげるためのマスコット的な役割が多い。それが、ヒトに与えられた最後の仕事だった。

 例えばハヤミが中尉昇進試験を落第し続けても、ジオ空軍としてはさして困ることはない。

 誰もヒトの活躍に、期待してはいなかった。

「……ああ、アトスさんか。子守役お疲れさまです」

『フフフ。どうだい、そっちの空は』

「特に何も。無さ過ぎて疲れるくらいですよハファ……」

『まあ、そうだろうなぁ』

 ハヤミは通信中に、たまらずでてきたあくびを両手で抑えた。

「何かあったんですか?」

『いやなに、俺たちも暇だったんでね。ミッションが終わったんで、君たちが近場にいるのを知って近くまで見に来ただけなんだ』

「そりゃご苦労さまです。おかげで自分も、眠気がバッチリ醒めました」

『ハハハ』

 アトス少佐は昔とほとんど変わらない声で笑った。だがその言動は昔ほどではなく、老いというか、丸いというか、ハヤミたちを鍛えていたあの頃とはだいぶ違っている。

 最近アトス少佐は怒ることがめっきり少なくなった気がするが、そのことはハヤミは黙っていた。

「それで少佐、今日はなにがあったんですか?」

『んー? ふふ、いやなに、大したことない、小さな悩みだよ』

「またミラちゃんが何か悪いことをしたとか?」

 アトス少佐の小さなため息がまた聞こえ、しばらく無線は静かになる。

『私のテトラ小隊に、この前入った新兵がいる。兵練維持、異種間格闘空戦の演習と小隊間オリエンテーションも兼ねて、オッドボール小隊との模擬空戦を提案したいと思っているんだ』

 無線に、ミラともアトス少佐とも違うもう一人分の声が聞こえた。

『テス・ヴァニエフス曹長です! よろしくお願いします!』

 レーダーにはテトラ小隊の後方に位置して空を飛んでいる、もう一機のアークエンジェルの光点が映る。

「……おおー? なんだお前テトラ小隊に配属されてたんだ?」

『なんだ、お前ら知り合いか?』

「いや知り合ってはいないですけどね」

 ハヤミは狭いコクピットの中で、ドスッと足を組んだ。

 ジッパーを緩めたフライトブーツが、足の先で軽く揺れる。

「新兵訓練で、いきなり教習機のエンジン吹っ飛ばした奴。だろ?」

『……!!』

『ん? あの事件、テス曹長だったのか?』

 ミラ中尉の驚いたような声が無線に響く。

「引き継ぎに書いてあったんじゃないのか? リサーチ不足だな、新米中尉さん」

『うるさいなー』

 ミラの強気な言葉が返ってきた。

 ハヤミは変わらずシートの上でゴロゴロしていたが、そのうちふと横に置いてあるヘルメットを腕に抱え、自身の頭に被せてスイッチを入れた。

 ゴーグルの中はヘッドアップディスプレイが表示されており、そこには各種データを参照し表示する機能が付いていた。

 ハヤミはそれらをアイセンサーを利用して、MC……マザーコンピュータ経由でマザーに蓄積されているデータの一つを呼び出すようコマンドを打った。

 座席シート後方から、排熱ファンが回る音が聞こえてくる。いくつか拡張プログラム起動の確認が表示され、ハヤミはそれらすべてにチェックを入れる。

 “プログラム・フォックスハウント”の履歴を確認すると、見慣れない履歴が残っていた。

『フーン。なるほど、あの話は曹長だったのか』

 適当な相づちを打つミラ中尉の言葉を聞き流しながら、ハヤミはVR空戦戦闘の履歴詳細を追ってみた。

 戦歴詳細を追っているうちに目の前の空域が次第に再構築されていき、目の前に拡張空間が広がっていく。雲間の広がる世界の真ん中にハヤミの実機が再構築されると、その周辺にポップアップ表示で多数の戦歴表示や途中経過図詳細が表示された。

 空域にはもう一つ、再構築された疑似標的機が浮かび上がる。ターゲットマーク付きで「彼」自身の戦歴も表示されそこには、テス曹長の名前が載っていた。

「ハハハ、曹長はよっぽど『フォックス』に執心してたみたいだな。けど結果は全部自滅になってる。実機墜落までしたのは珍しいんじゃないのか」

『でもハヤミは、テス曹長より先に墜落事故を起こしているんだから、そう責められた立場じゃないね』

 ミラの挑発的な言葉にあわせるように、目の前の仮想空間内に生きる仮想標的機、フォックスが翼を一回転させる。

 仮想敵機フォックスはこの世界に存在しない空戦空域の中だけ、自分たちがかぶるゴーグルの中、現実の空域にとてもよくにたこの世に存在しない世界に生きている。まるで本当に生きた敵機のように動き回るこの標的機は、かつてジオに本当に存在した伝説的名パイロットのデータを利用したものらしい。

 見ればコクピットの中には人間がいるし、仮想空域の中でさえフォックスは敵を探して空を飛び、またその動きは標的機以上の存在感を持って空域の中を飛んでいた。

 ハヤミはフンと鼻を鳴らした。

「じゃあミラ中尉は、その超々々問題児のお友達って事だ」

『いい迷惑よ。早く昇進試験を受けて、はやく中尉になりなさいよまったく』

「お断りだね、わーはーはーっ」

 フォックスは空の中で、何かを捜しているようだった。

 コクピットの中の人間が、辺りを見て頭を揺らしている。

 ひっきりなしに動き続ける補助翼。

 エンジンを吹かし、旧式のアークエンジェルを限界高度いっぱいまで飛ばしていく、孤高の伝説パイロット。

「なあ曹長、フォックスは仕留められたか?」

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