ちょっと怪談

有本博親

下見


 その日、Sさんがアパートに帰ると見知らぬ老婆が部屋にいたそうだ。


「びっくりしました。着物を着たおばあさんが、俺の部屋の真ん中で正座して待っていたのですから」


 白髪で青白い顔つき。

 落ち窪んだ両眼にへの字がへばりついたような唇から、Sさんはなんとなく生きている人間ではないと察したそうだ。


「ダメでしたね。そのまま友達にお願いして、その日は泊まらせてもらいましたから」


 あくる日。

 友人宅から帰ってくると、老婆はまたSさんの部屋の真ん中で正座をしてSさんを待っていた。


 Sさんの部屋は、駅から歩いて15分もかかる家賃5万円の六畳一間の狭い部屋である。当然、事故物件だとも聞いていない。


 それなのに、老婆の幽霊が出現するなんて……。

 一体どういうことだ?


 理由はわからない。

 わからないが、老婆が居座る部屋に寝ることはできないと思ったSさんは、その日はカプセルホテルに泊まったそうだ。


「そう何日も外泊はできませんから、近くの神社にお願いして、お祓いして貰いました」


 神社の神主が祈祷を上げると、ふっと老婆の幽霊は姿を消した。


 安心したSさんは、それからしばらくのあいだ、部屋でぐっすり眠ることができた。


 しかし、数日後。


「老婆が出たんです。何事もなかったかのように」


 夜、布団でうとうとしていると、ふと気配を感じたSさんが部屋の中心に目を向けた。


 正座をしている老婆と、Sさんの目があった。


 Sさんは悲鳴を上げ、飛び起きた。


「もう無理だって思いました。この部屋に住むのは」


 どういう理由があるにしろ、自分がこの部屋に住むことはできないと諭したSさんは、逃げるように別の部屋に引越したそうだ。


 それから数ヶ月後。


「たまたま仕事で自分が住んでいたアパート近くを通ることがあったんです」


 あれから誰か住んでいるのだろうか。

 車を運転していたSさんは、アパート近くの道路に停車し、そっと自分が住んでいた部屋の様子を外から覗いてみた。


 すると。


「ええ、びっくりです。あの老婆がいたんです」


 アパートのドアを開けたのが、まぎれもなくあの白髪の老婆だった時は、Sさんは腰を抜かしかけたそうだ。

 幽霊ではない。

 年齢は80歳くらいの、着物を着た腰の曲がった老婆が、買い物袋を手に下げた生きた人間のおばあさんだった。


 どうして老婆が生きている?

 わけのわからなかったSさんは、車を走らせ、老婆の幽霊を祓ってくれた神社の神主に訪ねにいった。


 神主は答えてくれた。


「生き霊ですね」


 神主曰く、死んだ人間の幽霊を死霊といい、生きている人間の幽霊を生き霊と呼ぶそうだ。


「生きている人間の念が強ければ強いほど、この世に生き霊が生まれるそうです」


 Sさんが後から調べたところ、あの老婆は自分の虚栄心を満たすために、かつて身内に対してひどい仕打ちをしたそうで、そのしっぺ返しで家族から見放され、あのアパートに追い出された経緯だったという。


 あの部屋が老婆にとって終の住処だと知ったSさんは、なんともいえない気分になったそうだ。


「可哀想だなって思いました。家族に見捨てられるなんて、つらいだろうなって」


 老婆の念が強すぎて、生き霊となった老婆が終の住処となる部屋を下見にきたのかもしれない。

 Sさんはそう思ったという。


 それから数年後。


 Sさんは結婚をし、娘が生まれた。

 3人家族となったSさんは、都心から離れた地方に引越しし、35年のローンを組んだ一戸建てのマイホームを購入をした。


 夜。

 引越しの荷物があらかた片付き、家族3人和室で川の字になって寝ていると、ふと、3歳になる娘が起き上がった。


 喉が渇いて起きたのかと思ったSさんが、娘に「どうした?」と訊ねた。


 娘は壁に向かって指をさした。


「ねぇ、あのおばあさん誰?」




 終わり



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