旦那、呆れる
一
「旦那、どこ行くんだよ」
後ろを行く恒例の三人のうち、平助がそう尋ねる。
正太郎は後ろを見ず、ふらりふらりと歩きながら答えた。
「俺の屋敷に投げ文があったんだよ。たかの屋に来いって」
タカに調査を依頼したのが昨日のこと。
屋敷の庭にぽつんと置いてあった文を見つけたのが、今日の昼前である。
えらく仕事が早ぇじゃねえか。
無造作に投げ込まれた文を拾い上げた正太郎はそう思い、肩をすくめた。
その後すぐに利吉を呼び寄せ、皆を集めさせたのは言うまでもない。
「誰からの投げ文だよ」
「行ってみりゃあ分かる」
取りつく島もない正太郎の返事に、平助はぶーっと頬を膨らませる。
まだ剃り落としていない前髪と相まって、ひどく幼く見えた。
そんな彼と比べると、一などはそこらの若者より随分と大人びている。
何の文句も言わず、てくてくと正太郎に付いてきていた。
「…あった、ここだ」
足を止める一同。
今日は既に日が落ちている。
だが、落ちたばかりなので、辺りはうっすらと暗いだけだ。
周りの店や家の軒先の提灯には、ぽっと明かりが灯されている。
今はそれほど目立たぬ明かりも、もう少しすれば道行く人々の道しるべとなるだろう。
「おう、邪魔するぜ」
明るく声を掛けて中へと入っていく正太郎に続き、利吉、総司、一、平助の順で店に足を踏み入れる。
いらっしゃい、と弥吉の長い体が現れた。
「タカはそこで」
言われた方を見てみると、昨日とまったく同じ場所で、タカが煙管をくゆらせていた。
「こんばんは」
ゆらり、ゆらり。
白い煙が煙管から流れ出る。
正太郎は全員に座るよう、命じる。
一同は二卓の机を使って席に着いた。
彼らの他に、まだ客はいない。
「弥吉、酒を」
「へい」
正太郎の注文を聞き、薄暗い店内のさらに奥へ弥吉は姿を消す。
タカの目の前に座った正太郎が、まずはじめに口を開いた。
「で、報告があるんだろう」
「米澤左内、齢三十。住まいはここから程近い、おんぼろ長屋だ。こいつぁ浪人で、用心棒をしながら道場に通ってる。通ってんのは富田流の流れを引く、慎士館だ」
さらさらと書物を読み上げるように米澤についてそらんじるタカ。
正太郎は舌を巻いた。
「よくもまあこんな短え時間で調べられたもんだな」
誉められた本人は、小さく笑い声を上げただけだった。
それから試衛館の三人に目を向ける。
「おめえさんたちが、試衛館の門弟か」
「正確には門弟と食客だ」
一が静かに答える。
タカの目がするりと狐のように細まった。
「名は」
「俺は山口一。こっちは藤堂平助で、そっちが沖田総司だ」
一にそう紹介され、総司はにこにこと、平助は警戒心を露にして頭を下げる。
タカと呼んでくれ、と彼も紹介した。
「トシは元気かい」
おもしろそうにそう尋ねるタカ。
総司の眉が微かに動いた。
「土方さんのことを言ってるんなら、元気ですよ。あの人は少しくらいしょげてた方がいいと、僕は思ってるんですがね」
土方さんがどうかしましたか、と総司が問う。
穏やかではあったけれど、やや高圧的な言い方だった。
「いんや…トシとは奉公先が一緒だったことがあるんだ」
それだけさ。
タカは煙管をくるりと回す。
束の間、白くたなびく煙が途切れた。
そして、話を元に戻す。
「ついでに米澤に関する評判も集めてみた」
「どうせろくなもんじゃねえさ」
正太郎がぞんざいにそう言った時、不意にことりと何か固いものが、磨き込まれた机の上に置かれた。
皆が一斉にそちらを向く。
いつの間に側にいたのか。
「あ、いや…酒でやす」
普段あまり注目されることがないのか、いくつもの視線にたじろく弥吉。
その様子はひどく滑稽にも見えた。
ありがと、とタカが目を伏せ、笑う。
その様子を見ていたのは利吉だけだったのだが。
「それじゃ、乾杯といこうか」
正太郎が明るい声を出す。
一人ずつの前におちょこを置いていく正太郎。
だが、一人だけ受け取らない者がいた。
「一?」
訝しげにその者の名を呼ぶ。
「どうした?」
一の顔は強張っていた。
目元が微かに引きつっている。
「…俺は酒が飲めないので」
「下戸なのか?まあ、まだ十六だしなあ」
正太郎は一瞬、理解のあるところを見せた。
しかし、次の瞬間には底意地の悪い笑みを浮かべる。
珍しく、一の瞳に怯えがよぎった。
「けどよ、男として飲めねえのはどうよ。ほら、ここらで一発どうにかして飲めるようにしとこうぜ」
「そうだそうだ。一、飲め」
喜んで正太郎に加担したのは平助である。
彼はおちょこに酒をつぎ、一に押し付けようとした。
だが、一とて黙っていない。
「いや、だから俺は飲めないと言ってるだろう」
「いいじゃねえか。まさかお前、初めてじゃないだろ?」
「それはそう…だが」
「ごちゃごちゃうっせえな。平助、さっさと飲ましちまえ」
「合点承知」
正太郎そっくりの表情を浮かべる平助。
そして、一に掴みかかった。
小柄な平助は、その分動きが敏捷だ。
一は不意を突かれ、一瞬動きが遅れた。
「よ、よせ!」
悲痛な叫び。
しかし平助は、一を取り押さえて今度は徳利を手にする。
「平助、店の人に迷惑はかけないようにね」
「そっ、総司まで!」
くいっとおちょこを傾けながら、総司は笑う。
利吉の眉間に、花札が挟めそうなほど皺が寄った。
「旦那、やりすぎですぜ」
「そうかい?」
生返事である。
正太郎は一と平助のすったもんだに気を取られていた。
「やめろ!」
「まあそう堅いこと言わずに。はい、口開けて」
「貴様…道場に行ったら覚えておけ。当分歩けないようにして――」
ごっくん。
どうやらしゃべっている隙をつかれ、平助に無理矢理飲まされてしまった様子。
と、その瞬間、一が引っくり返ってしまった。
「え?あ、おい!一!」
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