美女と野獣

ぬまちゃん

プロローグ 優香と新之助

プロローグ 優香と新之助

 ……新之助は目を覚ました。しかし周りを見渡しても誰もいない。そこは、ただ爽やかな風が吹いている緑の大草原だった。


「新之助様! 新之助様! 新之助様!」

 何処からか、懐かしい声がする。


「え? この声は優香? 優香姫?」

 姿は見えないが返事を返す新之助。


「はい、新之助様。私は優香でございます」

 姿の見えない優香が新之助の声に応える。


「優香、教えてくれ。ここは何処なんだ? オマエは何処にいるんだ?」

 新之助は優香に問いかける。


「ここは、天の国に至る道の途中でございます。理由あって、新之助様には私が見えないのでございましょう」


 そして、優香は語り出した。


「私は新之助様の記憶が戻るまで、長い時間天の国に行かずにお待ちしておりました。新之助様が崖から落ちたのを悲観して、私はその直後に自害したのでございます。新之助様が私の事を思い出していただけるまで、何世代にも渡って貴方様の生まれ変わりの男子に付き添ってきたのでございます」


 優香の声はいつもと変わらない、優しい声だった。


「私が今の女の子に取り憑いて、早18年。もうすぐこの女の子から離れなければいけないと思っておりましたが、遂に思い出していただけたのですね。私はうれしゅうございます。これで、安心して天の国に参ります」


「まて、優香。それでは、またお前が一人になってしまうではないか。俺はお前の事をずっと忘れてたのだぞ。これからは、幾久しく夫婦として天の国で生活していこうではないか」


「しかし、それではこの男子の命が尽きてしまいます。私が取り付いていた女の子を助けるために、命を懸けて働いてくれたこの男子がかわいそうでございます。私が取り付いていなくても、この男子と女子は、お互いに引かれあっていました。このまま、女子一人にしてしまうのは、かわいそうです。もう、私の様な悲しみに打ちひしがれた女子を見たくございません」


「しかし、今の状態では遅かれ早かれこの男子の命は尽きるだろう。なぜなら、優香の命を守る為に、スピードの落ちていない自動車に正面からから衝突したのだからな。今の医学を持ってしても、結局は男子は命を落として、俺は優香と共に天の国に召されてしまうだろう」


「実は、一つだけ男子の命を救う方法がございます。私が自害した時、実は私のお腹の中には、新之助様との間に出来た赤子がいたのでございます。子供と言ってもまだ本当に小さくて、私も気がついておりませんでした。ですから、かわいそうに私が自害したときに共に命を失ってしまったのでございます。でも、新之助様の記憶が戻るまでずっと待っていた時に、天の神様が仰りました」


―――

 優香よ、もうかれこれ400年以上も待ち続けておるじゃないか。普通はそんなに待ち続けていたら、地上の悪い心に影響されて悪霊に変化してしまうのだ。しかし、ソナタは変わらずにひたすら新之助の記憶が戻るのを待ち続けている。そのけなげさを見ていると、ワシも何かしてあげたくなった。

 生きている人間の記憶を戻す事は、神であるワシも出来ないが、ソナタのお腹に宿っていた赤子の代わりに新しい魂をあげよう。もしも、ソナタが新しい人生をやり直したくなったら、その魂を使って新しく生まれ変わる事が出来るのじゃ。

―――


「そう言って、私たちの赤子の分の魂を天の国の神様から賜ったのでございます。ですから、この魂を今病院で生死をさまよっている新之助に差し出す事で、彼を生き返らせる事が出来るでしょう。さすれば、私と新之助様はこのまま、なんの憂いもなく天の国に行く事も出来ましょう」


「そうか、それは良い考えだ! 俺たちの子供の魂が、新しい新之助となって、あそこにいる優香と仲良くしてくれるなら、それほど嬉しい事はない。俺もお前と安心して天の国に行けるじゃないか」


「はい、新之助様。それでは、そういたしましょう」


 ***


 ピ、ピ、ピ、ピー


「先生! また、心停止です」


「直ぐに強心剤! それからチャージ開始。直ぐに心マッサージだ! 急げ、何としてもコイツを助けてやるんだ!」


 新之助が運ばれた集中治療室では怒号が飛び交っていた。


 新之助は、優香を助けるために全力で優香を突き飛ばしたらしい。彼女を突き飛ばした後の無防備な状態に、スピードを全く緩めないワゴン車に突っ込まれたのだ。

 ほぼ即死に近い状態で、この病院の集中治療室に運ばれた。


 運が良かったのは、事故を起こした場所のそばに救急救命センターを備えた病院があったのだ。たまたま、救命医が当直シフト終わりで帰るために車に乗ろうとしていたところだった。


 女性のもの凄い悲鳴と車の衝突音を聞いて、即座に音のする方に走って行った。


 そこには、血だらけの男子高校生と、自分は血まみれになりながら必死にその高校生を起こそうとしている女子高生がいた。


「揺すっちゃダメだ! 離れて」


 その医者は大声を上げて近付きながら、スマホで救急救命センターのスタッフに緊急呼び出しをかけた。


「大至急、医療スタッフを連れて来い! はぁ? 場所はどこですかぁ? お前らの『目の前』だよ。 救急センターの目の前のバス停のところだ。直ぐにストレッチャーと救命救急キットをもって、30秒で来い!」


 医者は背広を脱いで直ぐに男子高校生の頭の下に敷いた。さらに制服を剥ぎ取り胸を出したら心臓を確認した。心臓は既に停止していた。しかし、医者は確信した。大丈夫、まだいける!

 医者はそう自分に言い聞かせると、直ぐにその場で心肺マッサージを開始した。


 そのうち、ストレッチャーを持ってスタッフが走り込んできた。


 道の真ん中で、直ぐに緊急蘇生対応が始まった。胸にパッドを付けて電気ショックを与える。簡易呼吸器を取り付け、点滴のラインを確保する。その間さっきの医者は男子高校生の心臓マッサージを続ける。

 そこまでしてから、医療チームは男子高校生を目の前の救命救急センターに運び込んで行った。


 その間、優香はずっと泣き続けていた。泣いても泣いても涙がこぼれてくる。誰にはばかる事なく、ひたすら泣き続けるしかなかった。彼女の制服は新之助の血でグシャグシャだった。それでも全く気にならなかった。


 そのうち、センターのスタッフが気がついて彼女を優しく抱き抱えられながら、センターに連れて行ってくれた。


 優香の心の中は、ポッカリと大きな穴が空いている状態だった。自分が何をすべきなのかも、一切分からなかった。ただただ、涙が止まらない。人間てこんなに泣けるんだ、不思議な感情が現れるぐらい、自分を押さえる事が出来なかった。


 ……


 確かに、最悪な交通事故だったが、運がいい事が一つだけあった。それは、ここの集中治療室のスタッフは精鋭揃いだった事だ。道路上で、あっという間にライフラインを確保して、心配蘇生を施されたのは大きかった。


 しかし余談を許さない状態は変わらなかった。新之助の心臓は何回も止まり、医療スタッフはそのたびに全力で心肺蘇生を行う。その作業の繰り返しだ。

 まさに、向こうに行ってしまいそうになる新之助を無理やりこちら側に引き留めようとする戦いだった。

 一晩中その戦いを繰り返して、心臓が落ち着いた鼓動を戻したのは、結局、救急センターのまわりが明るくなり始めた頃だった。


 泣きはらした優香の目は真っ赤だった。制服にこびり付いた新之助の血はとっくに固まってガビガビになっていた。彼女の顔も両手も、全てが血だらけだった。

 センターの医療スタッフが気づいて濡れタオルを渡してくれたが、そのタオルで自分の顔を拭くという行為に頭がまわらなかった。それに今処置室で戦っている新之助のためにも、自分の体に付いた新之助の血を拭きたくなかった。


 新之助のお母さんは、血で汚れている優香を優しく抱きしめてくれた。お母さんの目も真っ赤だった。


「良いのよ、優香ちゃん。あれは事故なんだから、優香ちゃんのせいじゃ無いからね。新之助が自分で優香ちゃんを助けるためにやった事だから。優香ちゃんは気にする必要ないの。私は優香ちゃんを助けた息子を褒めてあげたいわ……」


 朝日が、救命センターの待合室にある窓から差し込んできた……


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