第24話 新之助の決断

 新之助が大急ぎで里に戻った時には、すでに一万の軍勢と優香の乗った籠が去り、全てが終わった後だった。


 おイチは、涙をボロボロ流しながら新之助に告げた。


「ごめんね、新之助。イエヤスの正規軍一万に里を包囲されてしまったの。優香さんには逃げる様に進めたんだけど……。優香さんは、里を守るために自分の命を引き換えに差し出しました。本当に、あんな良い子はいないよ。本当にごめんよ」


「良いんだよ、姉貴。アイツはそう言う女だよ。自分を顧みずに、人に尽くせる女だよ。だからこそ、オレも惚れたんだ」


 新之助は、涙を流し続けるおイチを優しく抱きしめて、静かに言った。


「姉貴達は、たった今からオレと姉弟の縁を切ってくれ。そうしないと、また里に災いがやって来るからな」


 それだけをおイチに伝えて、新之助はまた馬に乗り里から出ようとした。

 おイチは慌てて聞いた。


「あんた、一体どこに行くのさ? 相手は一万人のイエヤス正規軍だよ。アンタ一人じゃ、たとえ健康な時のオマエでも優香さんの所にたどり着く前に殺されちまうよ。ましてや、今のアンタは手負いじゃあないか」


「大丈夫だよ、姉貴。オレだって一万人の正規軍と真っ向から戦ったりしないさ。オレには秘密の作戦があるんだ。そのためにも和尚の所に預けた武器を取って来るわ」


 新之助は、おイチに向かってニヤリとする。そして、はるか彼方を見つめながら言った。


「もう金輪際、オレの事は忘れてくれ! オレは優香を命をかけて守ると、アイツの父親と約束しちまったんだ! この約束を守れないようなら、死人と同じだからな。優香を助けにチョイといって来るわ!」


 そう言いながら新之助は馬を出して、刀と鎖かたびらを預けてあるお寺に向かった。


 確か、俺の記憶に間違いが無ければ、里からイエヤスの居城に行くためには、途中に険しい崖の道を通る必要があったはずだ。


 今から和尚の処に行って、刀と鎖かたびらを受け取って、それから取って返してもギリギリ間に合うかどうかだ。


「馬よ、ごめんな。ちいとばかし、全力で走ってくれるか?」


 新之助の言葉を理解したのか、優香の危険を野生の感で理解したのか、馬は突然今までにない速さで走り始めた。それは新之助を振り落とすほどの勢いだった。


 和尚様の処に着くと、事情を説明して大急ぎで預けた刀二本と鎖かたびらを受け取り身に着ける。

 そしてまた厳しい崖のある道に向かって、馬は全力で走り続けた。


 和尚様のところで預かりものを受け取っている間に、馬には水を与えて少しの間休ませた。

 しかしそれでも、里から寺まで、寺から崖まで、まるで何かにとりつかれたように、休むことなく馬は全力で駆け抜ける。


 新之助も、その馬から振り落とされまいと全力でしがみつく。

 そのために、まだ完治していない足の傷からは、血が滲みだしてきていた。しかし、新之助にとっては、そんな傷など顧みる気もしない。

 自分の命を投げたしても、優香を取り返す事を優先させたいからだ。


 日も大分傾いてたころ、目的の崖のそばに到着した。

 幸いな事に、イエヤスの軍団はまだ崖を通り抜けていなかった。しかし、すでに先頭集団が渡り始めている処だった。

 イエヤスの軍団としたら、日が暮れる前に危険な崖の道を抜けてしい、それから野営をするだろうとの新之助の読みが当たったのだ。


 一度馬に水を与えて、英気を養わせたあとで、いよいよ新之助は作戦を始めるのだ。

 馬は近くにある水場でガブガブ水を飲む。今日はほとんど一日中走り続けてくれたのだ。しかも、普段の軽やかな走りではなく鬼気迫る走りだった。普通であればとうに馬も限界を超えているはずだった。

 新之助は馬に優しく触れて心から感謝した。この馬だったからこそ、ここまでこれたのだと思った。

 しかし、コレからが本当の山場なのだ。


ーーー


 新之助の作戦はこうだ。


 例え、一万人の軍団でも、崖を抜ける狭い道では、隊列を道に沿って細くせざるを得ない。

 そうすると、優香の乗った籠を横から襲う事が出来るのだ。軍団の隊列が細ければ、横から襲った場合に新之助が直接戦う相手を少なくする事が出来るからだ。


 ただし、そのためには誰もがおびえるほどの急な崖を一気に駆け降りる必要がある。

 乗っている馬が、一瞬でも躊躇して、バランスを崩せば、馬もろとも崖から転げ落ちてしまい、ただでは済まない。

 また、急な崖に萎縮して、崖を降りる速さを緩めれば、かごの前後に展開しているイエヤスの軍団が集まってしまう。


 この作戦は、馬と新之助の度胸と一体感が試される事になるのだ。


ーーー


 いよいよ、崖の狭い道に優香の乗った籠が通りかかって来た。崖の上に隠れている新之助からも見えた。


「よし、今だ。行くぞ、馬!」


 新之助はそう言って、馬のたてがみをを優しく撫でた。

 崖の上で、新之助に優しくたてがみを撫でられると、馬は一言「ブルン」と反応してから、一気に崖を下って行った。


 ド、ド、ド、ド、…


「うぉー! 誰だ? こんな崖を下ってくるのは」

「敵だー! であえ、であえ!」


 ちゅいーん!

 ちゅいーん!


刀同士の激しい打ち合いの音が、険しい崖にこだまする。


 ザシュッ、

 ビシュッ!


「グボッ」

「ガハッ」


 新之助は、崖から駆け下りた勢いを利用して、優香の乗った籠の真横にいた武士二人を一気に打ち倒す。

 相手は峰打ちなのでうずくまっているだけだ。この隙に、優香の載っている籠に近づき、籠の扉を乱暴に開ける。


「優香! こっちだ!」

「新之助様! はい、今まいります」


 籠の前後にいる残りの武士数人が、慌てて新之助に向かう。新之助は二本の刀を利用して先頭の武士を峰打ちにする。武士達が一瞬ひるんだすきに、優香を籠から救い上げ、投げるように馬に乗せる。


「よし! 頼んだぞ、馬」


 新之助は優香を抱いたまま馬の腹を足で軽く蹴る。馬は、そのまま狭い道を一気に駆け抜ける。


 どどどど、


 馬の走る速度がさらに上がる。とても、二人を乗せて狭い道を走っているとは思えない速さだ。まるで、優香を救うためにこの世に生を受けたかのような全力疾走だった。


 狭い崖の道は、いかにイエヤス正規軍の武士でも大混乱に陥った。その隙をぬうように馬は走りに走リ、無事に崖の細い道を抜けた。


 しかし、さすが戦になれた正規軍。先に崖を渡りきっていた騎馬隊が、直ぐに追跡を始めた。


 こちらは、たった一頭。あちらは、騎馬隊数百頭。

 崖路を抜けて、海に向かう道をぐんぐん進んでいくのだが、騎馬隊もぴったりとついて来る。

 優香を傷つける事が出来ない騎馬隊は、こちらの体力がなくなるのを待つ持久戦を仕掛けて来た。


 騎馬隊は、いくつかのグループに分かれて、順番にやって来る。こちらは、朝から走り続けている。

 馬の息が荒くなっているのは、新之助も肌で感じていた。


 馬の限界が近づいて来ている。

 このままでは、遠からず騎馬軍団に追いつかれてしまう。


 そこで、ワザと道から逸れて、背の高い茂みの中を走り抜ける作戦を取る。

 しかし実は、茂みの中を走っている間に、優香と新之助は、後ろの追っ手に気がつかないように馬から飛び降りていた。

 頭の良い馬は、まるで二人が載っているかの様に、茂みの中をさらに縦横無尽に走り続ける。

 騎馬軍団は、二人が降りた事も気がつかずに、無人の馬を追いかけて、どんどんと離れていく。


 そのうち追っている騎馬軍団も気がつくだろうが、それまでに出来る限り離れる腹づもりだ。


 優香は、新之助が助けに来てくれて本当に嬉しかった。イエヤスの前に連れていかれたら、自決用の短刀でイエヤスを刺してから、自死するつもりでいたのだ。


「新之助様、私はもう二度と貴方とは会えないと思っていました。このように会える事が出来て、なんて幸せな事でしょう!」


 二人は、しばし抱きあって、再会を喜んだ。しかし、まだイエヤスの軍団から逃げ切れた訳では無い。

 あちらは一万人の精鋭部隊なのだから。

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