第3話より 触れた代償~主婦、小田和美の場合

 触れてはならないパンドラに触れてしまった、SNS上の『見破りマン』こと小田和美。

 彼女は能力を私的に利用して世間に公表してはならない存在を盗撮して公表し、多額の金銭を手にした。その代償は、軽いものではない。





 夏が終わり、秋が過ぎて冬が来た。毎日寒いが、和美たちが住んでいる地域は雪が降らない。冷たい風に吹かれるたびに、せめて雪が降れば冬っぽいのに。なんてことを考えながら外を歩く。

 和美の帰宅は、大体一番最初である。息子二人は部活やバイトで夕方以降の帰宅、旦那は息子たちの帰宅後に帰ってくる。だから毎日郵便受けにたまった手紙や夕刊を回収するのは和美の仕事だ。


 この日もパートを終えて、ポストにこれでもかとねじ込まれた手紙と夕刊を手にして、冷え切った家の中に持ち入る。

 この家は冬とても冷える。誰も居ない家は冷えるものだが、築年数がそれなりに経過している分、冷え込みも厳しくなっているのかもしれない。

 テーブルに手紙や新聞をポンと投げて、ヒーターのボタンを押して買ってきた食材を冷蔵庫に手早く収納。手を洗いうがいを済ませて、オカルト雑誌のインタビューで得たお金を使って最近購入したちょっと高いコートを脱いで椅子の背もたれにかけ、ヒーターの前に腰を下ろす。


 テレビをつけて、眼鏡をかけてヒーターの前で届いていた手紙に目を通す。月々の支払明細や、ドラックストアやショッピングセンターの割引はがきなどいつも目にしている内容のはがきばかりだ。そして最後に手にした、真っ白な封筒。あて名は和美で、相手の住所や氏名は書いていない。


―なんだろ


和美は封筒の口をはさみで細く切って、中の手紙を取り出す。

「ヒッ!」

封筒から真っ黒な紙が出てきて、和美は小さな悲鳴を上げた。黒みがかっているというレベルではなく、炭のように真っ黒な紙だ。三つ折りにされている手紙からは、内容を確認する前から異様な雰囲気が感じられる。

 読まずに捨ててしまってもよかったのかもしれないが、和美は恐る恐るそれを手に取り、ゆっくりと手紙を開いた。

 そこには白い文字で、こう書かれていた。

『画像の公開をやめろ さもなくば恐ろしい目に合うことになる』

中央の二行のみを使用した、不気味な手紙。和美は一度息を飲むも、すぐにため息をついて小さく鼻で笑った。どうせ自分のSNSや雑誌インタビューの件を妬んだ誰かの仕業に違いない。どこの誰だかわからないが、気に留める必要はない子どものいたずらだ。嫉妬されるほど自分は有名になったのかと、和美は手紙を丸めてゴミ箱に捨て、それを見下ろして黒く微笑んだのだった。



 手紙の一件後、何か大きな出来事があったわけでもなく、和美は家事とパートをこなしてSNSに入り浸る毎日が続いた。SNSのオカルト界で『見破りマン』はいつしか有名なキャラクターとして定着しており、和美はSNSに自分の居場所を見出していた。

 今まで何をしても感謝されない、かまってもらえないという主婦生活が長かっただけに、自分が主役になれるネット世界は和美の満たされなかったものを満たしてくれる場となっていた。ファンもたくさんいて、気まぐれでリプライを返すだけで感謝されるのだから、もうこの世界から抜けることはできない。

 SNSに入り浸り始めて、旦那とのやり取りは格段に減ったが、特に和美の生活に支障が出たというわけではない。旦那だって飲み会に参加しているし、キャバクラにだってきっと足を運んだことがあるはずだ。私が楽しい思いをして何が悪い。今まで我慢してきたんだから、少しは自分を優先して楽しい思いをしたって罰は当たらないと自分に言い聞かせ、和美はSNSの見破りマンとしての熱心に活動していた。




 しかし静かに異変は忍び寄っていて。最初のそれに気がついたのは、長男だった。

 その日は部活もバイトも入っておらず、友達と遊ぶことなく家に帰ることにした。長男は自転車通学で、冬は寒さが身に堪えるため冬だけは早く帰ってくることが多い。ちなみに次男は近くのバス停を利用したバス通学である。

 この日長男は自転車をこいで早々に帰宅していると、自宅周辺に見覚えのない人が立っていることに気がついた。その男たちは見るからに不審な空気を漂わせている。

 男は二人いるようだ。今見えるだけで家の前と周辺に一人ずつ。二人ともに背が高く、全身真っ黒なスーツを身にまといサングラスをかけていて、見るからに危なそうな出で立ち。スーツを着ていてもわかるくらいにがっしりとした筋肉質な体格で、映画や海外ドラマで出てきそうなスナイパーやボディガードのようにも見える。

 最初こそ我が家ではないのではと思ってたが、家に近づくにつれて彼らが自分の家の周辺をうろついていることが嫌でも分かった。周辺をうろつくだけでも嫌なのに、家や表札の写真までデジカメで撮影しているから、不気味な上に不信感もすぐに抱いた。

 家に入ることをためらったが、ためらっていたところで彼らが退散する気配も感じられない。長男は意を決して、自転車から降りて自宅の方向へ歩いて行った。


 間近で見ると、男たちは本当に背丈が大きいことが分かる。長男の身長は175センチと小柄ではない。

「あの…、すみません」

今こうして話しかけたわけだが、長男は家の前に立っている男の顔を首が痛くなるくらい見上げている。おそらく彼らの身長は2メートルを超えているだろう。玄関前に立っている男に声をかけると、家の壁を観察していた男も長男の方に視線を移した。二人の大男からの視線が体と心に突き刺さりつつも、長男は玄関前に立っている男に話しかけ続ける。

「うちになんか用ですか?」

すると男は長男を数秒間見下ろし、口を開いた。

「小田和美という女を探している」

自分の母親の名前を、どうして見ず知らずのこの男は知っているのだろうかと、長男の血の気が引いていく。市の職員だとかの人間であればなんとなく納得できるが、どう見てもそうではない。

「うちにそんな人、いないですよ。人違いじゃないですか?」

長男のそれを聞いて男二人は顔を合わせ、彼らは何も言わずに去って行った。


―なんだあいつら


さっさと退散して行ったのはありがたいが、彼らの存在は不気味である以外何物でもない。しかも自分の母親を探していたというのことは、やはり見過ごすことはできないことだ。

 母親がいつからかなんとなくおかしくなってきているのは、なんとなく感じていた。一体何をしているのかよくわからないが、変なことにだけは首を突っ込まないようにと言っておこう。長男は頭の隅でそんな風に考えながら、男たちの背中を見送って家の横の駐輪スペースに自転車を置いた。



 長男の帰宅後、パートと買い物を終えた和美が帰宅して、立て続けに弟と父親が帰ってきた。和美は帰宅早々に夕食の準備に取り掛かり、弟と父親は着替えを済ませてリビングのソファに腰かけてニュースを眺めている。

 長男は食卓テーブルの椅子に腰かけて、自分で淹れたホットココアを飲みつつテレビを眺めながら。

「そういえば、俺が買ってきた時に、でっかい男が二人うちの前にきてたよ」

先ほど遭遇した男のことを家族に話した。

「スーツっぽい黒い服着た二人組?」

すると弟がすぐさま反応した。

「そうそう!お前も見た?」

「俺は一昨日だったかな。声かけると、小田和美は居るかって声かけられた」

「一緒だ。俺も今日そうやって声かけられた」

二人のやり取りに、父親も加わる。

「母さん、心当たりは?」

夕食の準備に追われて、子どもと旦那の会話をよく聞いていなかったが、多分面識はない。

「知らないよ、そんな人」

野菜を刻んで鍋に入れてコンロに火をかけつつ、声だけ家族に返した。


 夕食を済ませて、弟と父親がリビングからいなくなったタイミングを見計らい、長男は洗い物をしている和美に声をかけた。

「母さん、なんか変なバイトとかサイトとかやってない?」

心当たりがあるような、ないような。とは思いつつもそんなボロは出さない。

「何言ってんの。パートとあんたたちの面倒で手一杯よ」

僅かに疲れを含んだ和美の声は、嘘を隠し通すには十分なものだった。

「…だといいんだけどさ。変な奴もうろついてるし、気を付けてよ?なんかあったら警察に電話して」

「そうね。ありがとう」

そう言って長男はリビングから出て行った。彼の優しさは、時として和美の女心をくすぶる。なんていい男に育ったのだろう。自分の子育ては間違っていなかったと感じる瞬間である。

 長男の言っていたことよりも、長男が自分を心配してくれたということが、和美にとっては重要なことなのだ。SNSやオカルト雑誌などの小銭稼ぎをやめるという選択肢はない。

 その証拠に和美は、今日の夜も帰り道に見つけた未来からの訪問者を車から盗撮したものを、SNSにアップする予定なのだから。







 長男からの警告を受けた一週間後。

 パートを終えて駐車場に車を停め、家に入ろうとした和美の背後から声がかかった。

「小田和美か」

太い男の声だ。聞き覚えのない声に恐る恐る振り向くと、かなり高身長で筋肉質な黒づくめの男が二人和美の背後に迫ってきていた。

 和美は二人の姿を見るなり息を飲み、家の鍵を開けて瞬時に玄関に入って鍵を閉めた。子どもたちが言っていたことは嘘じゃなかったんだと、ここにきてようやく起こっていることの大変さを思い知る。

 男は玄関のドアをドンドンと規則的に何度も何度も叩いてくる。放置すれば過ぎ去ってくれると信じ、膨らむ恐怖心を胸に抱いて食卓テーブルの下に潜り込んだ。

 玄関を叩く音は、どんなに待っても鳴りやむことはない。それに加えてもう一人の男が庭に入り込んで、庭の窓をゴンゴンと音を立てて叩き始めた。

 震えたくもないのに全身が震える。冷静さなんて握っている余裕は全くなく、携帯を握り締めたままガタガタと震えるばかり。


―誰でもいいから助けて…!


強く願う和美の脳裏に、先日の長男の助言が浮かんだ。

『警察に電話して』

そうだ警察に電話すべきなのだ。彼らが行っていることが恐喝なのか不法侵入なのか何なのかよくわからないが、とにかく彼らのやっていることを警察に通報すれば警察が助けてくれる。

 和美は急いで携帯を操作して電話帳を開いた。何かあったときのためにと、警察と救急と消防は電話帳に登録済み。警察と検索をかけるとすぐに119が検索された。

 一秒でも早く助かりたい思いを胸に、和美は警察へ電話をかけた。数回呼び出し音が鳴り、途切れた。

「あのもしもし!」

噛みつくように話し始めた和美の耳に、絶望的な音声が流れ込んできた。

「只今電話に出ることができません。ピーっという発信音がした後、メッセージを…」

電話をかけた相手は警察だ。留守番電話になんて、つながるわけがない。何度もかけ直したが、その都度留守番電話サービスにつながってしまう。警察がだめならばと消防と救急だと思い電話をかけたが、両方ともに警察同様留守番電話になっていてつながらない。

 一体どうしてしまったんだと混乱しながらもがむしゃらに電話をかけていると、留守番電話の音声が途中で切れた。

 つながった!助かる!和美は声を上げようとした瞬間。


『小田和美。鍵を開けろ』


玄関前の男の声が、受話器の向こうから和美に耳に入ってきた。

「きゃあああぁあぁ!!!」

和美の悲鳴が家の中にこだまし、和美の手から携帯が飛んだ。

 完全に思考が停止して耳を塞いで震える和美の耳に、また一つ聞き慣れた音が入ってきた。



カチャ。



 玄関の鍵が開いた音。

 今玄関前に居たのは家族ではない。

 どうして鍵が開いたのか。和美は両耳を塞いでいた手をそっと外すと、玄関のドアが開いた音がした。もしかすると家族が帰ってきたのかもしれないと、和美の中にわけのわからない希望の光が灯った。

 しかし玄関を歩く足音は、明らかに硬い靴底から響いてくるそれだった。

 誰か入ってくる。

 二階、もう間に合わない!

 庭から、いや外にも男が居てまだ窓を叩いている。

 どうすればいい!どうすればいい!!どうすれば


「小田和美。お前を確保する」


テーブルの下で震える和美の目の前に、男の顔面があった。

 恐怖を通り越して、声なんて出なかった。











 目が覚めると、白い天井が視界に入ってきた。

 点滴のようなものを受けているようだ。

 どうやらベッドに寝ているらしい。


 この部屋には窓がある。

 外は明るい。

 雲があって、青い空も見え隠れしている。

 いい天気のようだ。


 誰かが部屋に入ってきた。

 白い服を着た男と女。

 それに若い男二人と中年の男が一人。

「あなたはだぁれ?」

私がそう声をかけると、若い男二人と中年の男は泣き始めた。

「貴方のお名前は?」

白い服を着た男が私に質問してきた。

 私の名前、名前、なまえ、ナマエ…?ナマエって、なんだろう。


「わたしのナマエ、ってなぁに?」


 ナマエ、ワカラナイ。

 白い服の男の隣にいる女が何かメモを取っている。

「ご家族のことは、何かわかりますか?」

彼に問われて、私はまた考える。

 ご家族、ごカぞクっテ?

「ゴカゾクッて、なぁに?」

私が答えると、白い服の女がまた何か書いている。


「母さん…!どうしちゃったんだよ!!」


どウしちゃっタンだろウ。わたし。


「ドウシチャッタの?」


ワカラナイ。この人タチが誰なノか、私はナニものなノか…。



 ワカラナイ



 ワカラナイ



 ワカラナイ







 長男が帰宅すると、和美がテーブルの下で倒れていた。慌てて長男が和美を抱きかかえると、彼女は明後日の方向を向いたまま、涙とよだれと鼻水を垂れ流した状態だった。意識はあったが、わけのわからないことをずっとつぶやくばかりで会話は成立しなかった。


 救急搬送されて全身くまなく検査を受けたが原因は全く分からず、精神科にそのまま入院することになった。

 病名はつかない。だが和美の記憶がほとんどが消失したということは事実である。

 人の名前はおろか、自分の名前もわからない。

 排泄場所があるということも、箸の使い方も、テレビの面白さも。何もかも忘れてしまった。




 和美が救急搬送されたと同時に、見破りマンのアカウントは削除された。和美に取材を申し込みサイトも雑誌も、アカウント削除後一切見破りマンの話をしなくなった。

 見破りマンが消えたことさえも記事にならず、見破りマンの存在は徐々に世間の記憶から消えていった。


 和美はパンドラに触れたため、命以外の大半のものを手放すことになってしまった。

 彼女のものと訪れた男たちが、彼女に何をしたのか。それは誰にもわからない。彼女に外傷はなかった。


 彼女の腕に残る、小さな赤い点。

 そして長男の耳に残る、和美がうわごとのように呟いていた今まで聞いたこともない言語の言葉。



 ほんの僅かな謎を残して、小田和美の一件は静かに幕を閉じた。


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