パンドラ・チルドレン
みほし ゆうせい
第1話特殊な目を持つ人ー霊の姿を見る少女
世の中にある特殊能力の一つに、霊能力と言われるものがある。
とても有名な能力の一種であり、その能力者は世界中に無数に存在している。
霊を見る力には、個人差がある。だがどんなに霊を見る力があっても、その力がずっと継続して発揮されているという人は本当に少ない。
何かの条件がそろったときに、ふっと見える。
見え方は人それぞれだし、状況によって見え方そのものも大きく異なる。くっきりと人型が見えることもあれば、黒い影に見えることもあるし、透明だけどなんとなくそこに居るのがわかるというくらいに差があるものだ。
高校生の
霊は真帆が自分たちのことが見えていることに気がつくが、真帆は霊の存在を関わってはならないものとしてスルーしている。
この世のものではない存在を目の当たりにしても、真帆は驚かないし怖がらない。幼少期から続いているそれに、真帆は慣れてしまっている。
霊には色々な人がいる。戦時中の兵隊さんもいれば、戦国時代のお侍さんもいて、キツネや蛇といった動物もいる。人それぞれに守護霊が居て、何かの拍子にそれが見えることもある。
霊が見えたからと言って騒いだりわめいたりしない。騒いだところで信じてもらえない上に、それが原因でいじめられるかもしれないというリスクもある。そんなリスクを冒してまで、自分が望んで手に入れたわけでもないこの妙な能力を他人にひけらかしたいとは思わない。真帆は勉強は苦手だが賢い人間なのだ。
夏が近づいた、梅雨の晴れ間のある日のこと。真帆は古典の授業に飽きていて、ふとグラウンドに視線を向けた。どこかの学年の男子が、授業でサッカーをしている。真面目かと問われれば、決してそうではない。半分遊びながらだからだろう、男子たちは楽しそうにサッカーをしていた。
―男子って単純だな。こんなムシムシしてても、心底楽しそうに外でサッカーなんてしてられるんだもん
やれやれと呆れながら、楽しく汗をかく彼らを眺めていると。
ー…ん?
男子学生が一人ぽつんと、制服のままゴールネットの向こう側の木陰に座っている。今日は湿度も高くて太陽も元気に照っているから、見学の学生が木陰で座っていても違和感はさほどない。真帆が彼の姿に違和感を感じたのは、彼の着用している制服。真帆が通う高校は、今はブレザーだが数年前まで学ランにセーラー服だった。木陰に座る彼は、旧式の制服である学ランを身にまとっている。
木陰に座る男子学生がゆっくりと立ち上がり、ゴールネットの後ろに立って手をかざす。何が起こるのかと、真帆の視線が釘付けになった。
風なんて吹いていなかった。微風すらも。なのにゴールネットはゆっくりと音もなく前方へと傾いて行って。
ガン。というゴールキーパーの後頭部を打つ鈍い音を立てた後、ゴール全体が大きく傾き、軋んだ音を立てつつキーパーの生徒を地面に押し付けながら倒れた。
グラウンドから悲鳴が響き、教師と生徒全員がサッカーゴールへと飛んできてキーパーの生徒の救出を行う。騒動はすぐに電線し、校舎の窓から生徒が顔を出して校舎内がざわざわと騒がしくなった。
その騒がしさは、真帆にとっては薄い壁一枚隔てたような遠い場所の騒音。生徒や教師がけがをした生徒や倒れたゴールネットが数多くの生徒の注目を浴びている最中、真帆の目はゴールネットに何かしらの細工を施したであろう学ランの男子生徒を映していた。
彼は生身の人間ではない。彼の存在を肉眼でとらえている人間は、おそらく自分だけだ。その証拠に、学ランの男子生徒がゴール周辺に居ると言っている生徒は誰一人いない。そして、彼も自分のことを見ている人間はいないと分かっている。
真帆を除いて。
彼は怪我をしている生徒を眺めて、ゆっくりと真帆の方へと視線を向けた。よくテレビの回想シーンで流れる霊のような血みどろ姿ではなく、足が消えているわけでもない。真帆の目には、彼が今生きている人間とそう変わりないように見えているのだ。だからだろうか、真帆は彼と目が合っても恐怖を感じなかった。
彼は真帆と視線が合うと、自らの唇の前に人差し指を立てた。
―内緒にしろってこと…?
真帆はそれをしっかりと見ていたが、彼の行動に同意も否定もせず彼から視線をそらしたのだった。
ゴールキーパーをしていた生徒は大事には至らず、軽いけがで済んだとどこからともなく噂が流れてきた。
「そうなんだ。良かったね」
友人の女子たちの調達してきたその情報に、真帆は笑顔で応える。今回は命に関わらなかったが、やはり学ランの霊がしたことは許されないことだ。もしものことがあってからでは遅い。信じてもらえるかわからないが、学ランの霊のことを、せめて大切な友人にだけは伝えようと真帆が口を開いた瞬間。
「人が落ちたぞ!」
クラスの男子の声が、ベランダの方向から響いた。一瞬にして教室内が騒々しくなる。真帆のクラスは校舎の二階。落ちた生徒は、ベランダで友人と話していた同じクラスの男子だった。
「ベランダの壁の上に腰かけて話してたら、いきなり後ろに傾いて落ちた!」
「誰も触っていないのに、右肩を押されたように見えた」
口々に男子たちが状況を周囲に説明し、その間に転落した男子の救出やけがなどの状況確認が教師たちの手によって行われている。
慌ただしさに揉み消され、真帆は友人に学ランの霊のことを話しそびれてしまって。今まで感じていなかった突き刺さるような視線を感じて、真帆は校舎内の廊下に視線を向けた。
ベランダでざわつく生徒たちの声が遠退く。廊下に立っていたのは、先ほどグラウンドで見かけた学ラン姿の霊だった。
彼は先ほどと同様に、真帆と視線が合って数秒後に、自分の唇の前に人差し指を立てて真帆を見つめていた。
先ほどは遠くてよく分からなかったが、彼の表情はほとんど無表情に近い。表情がないからこそ、眼力も増して感じる。
真帆は彼から咄嗟に視線をそらして、見えていないふりをした。目を合わせてはいけない。彼が見えているということを、彼から悟られてはいけない。真帆は本能的にそう感じ、彼の気配が消えるまで廊下に視線を向けることはなかった。
少し震えていた。
「真帆?どうしたの、大丈夫?」
転落事故がとりあえず落ち着いた頃、友人の女子が声をかけてくれた。
「え…?」
真帆は努めて明るく声を返し、にこりと笑顔を作る。
「顔、真っ青だよ」
友人からそう言われて、真帆の心臓がドクンと強く脈打つ。
「そ、そうかな…。人が落ちるなんて思ってなかったから、驚いちゃったのかも…」
自分でも何を言っているのかよくわからないが、霊の存在と彼の所業をここで話すのは危険だと感じて嘘をついた。
「だよね。辛かったら保健室連れてってあげるから、いつでも言ってね」
「ありがとう…」
友人たちを巻き込まないためにも、真帆は自分が見ていた真実を早いうちに友人たちに話さなければと少し気持ちを焦らせたのだった。
その日はこの事件のほかにも、階段での転倒事故や教室の掛け時計の落下など、いくつも不可解なトラブルが続いた。どれも大事には至らないものばかりだったが、それは結果論に過ぎない。階段転倒事故にあった生徒は誰かから背中を押されたと証言していたし、時計の落下は教師の立ち位置によっては落下した時計が教師の頭に直撃していた可能性だってある。
真帆は授業が終了して、部活にも向かわず逃げるように学校を出た。
最初はグラウンドに居た学ラン姿に霊は、次にベランダ、その次に真帆が降り終えた直後の階段、教室内へと真帆との距離を確実に縮めてきていたからだ。
とりあえず今は逃げなければ、自分が殺されてしまう。
真帆の中には、言いようのない恐怖が充満していた。何か起きるたびに霊は真帆を見つめ、目があった瞬間に唇の前に人差し指をかざす。霊のアクションに応えることなく、真帆はそれから逃げ続けた。
学校と真帆の家は近く、徒歩10分程度の距離だ。通学は住宅街を縫っていくような道なので、車はほとんど走らない。
幼稚園の頃からこの道を使っているが、事故なんて一回も起こったことのない道だった。梅雨特有のどんよりとした曇り空は、真帆には不気味に見えて仕方がない。知らぬ間に小走りで家に向かっていて、たまに後ろを振り向きつつ、学校で見かけたあの霊がついてきていないかを確認しながら家のドアを引いた。
家に帰ると、いつものように母親が出迎えに来てくれた。
「おかえり。早かったのね、部活は?」
いつもと変わらない母のエプロン姿と声色に、真帆はひどく安堵する。
「今日は休んだ。ちょっと体調がよくなくって。部屋で休んでるから、何かあったら声かけてね」
真帆の顔に、ようやく普段の笑顔が戻った。母親は真帆の様子を見ていつものように優しく笑い、「わかった」とだけ声をかけてリビングに戻って行った。
帰宅後は、今日の騒々しさと霊の恐怖が嘘のように穏やかな時間が流れた。これが真帆の知っている“日常”である。二階の自室に入って制服から部屋着に着替え、宿題をして、ベッドに寝転んで先日買った雑誌を眺めて時間が過ぎていく。何でもない時間の流れに身を任せていると、真帆の中から今日の恐怖が徐々に消えていく。
帰宅から数時間後、部活を終えた友人が、真帆の様子を見に家に立ち寄ってくれた。真帆も彼女に元気な姿を見せて、少しだけ談笑し、彼女は家路について真帆は部屋に戻った。ベッドに腰かけ、スマホを手に取った瞬間。
ガシャン!という衝撃音が外から響いてきて、真帆は急いで窓のカーテンを開けた。そこには今まで一緒に楽しく話をしていた友達と彼女の自転車が、見かけたこともない普通乗用車と衝突事故を起こしていた。
真帆の背筋が凍る。救急車を呼ぶとか、警察に電話をするとか、やるべきことはいくらでもあった。だが事故車の助手席が静かに開いて降りてきた学ラン姿の少年の姿を目の当たりにした瞬間、真帆の脳内からやるべきことがすべて消し飛び、恐怖のみが彼女を支配した。
学ラン姿の霊は車から降り、真帆が立つ窓に視線を向けて。
学校で幾度となく見た、唇に人差し指を添えるあの動作をして見せた。真帆はそれを見た瞬間、即座にカーテンを力任せに閉めて窓から距離を取る。
―追ってきたの…!?私が何をしたっていうの…!!
学校内の石碑にいたずらをしたわけでもなく、学校の校舎に危害を加えたわけでもない。真帆はただただ普通の生徒として、学校生活を楽しんでいただけなのに。なぜこの霊に追い回されてしまうのかわからず、部屋の真ん中でうずくまり、頭を抱え込んで恐怖に震えることしかできない。
そうこうしていると、父が帰宅してきた。聞きなれた「ただいま」という声の後、「外で事故があったみたいで」と母に話す父のそれが、音のない真帆の部屋までよく聞こえてくる。
「外に真帆と同じ学校の制服の子がいて、軽傷で済んでたみたいだけどさ。車の運転手はちょっとやばそうだったよ。『学ランの男の子がいきなり助手席に座ってて』ってわけわからんないこと言ってたよ」
父の証言だけで、真帆は息が上手に吸えなくなるほどの恐怖に浸食されていく。
「最近は変な薬とかも流行ってるみたいだから、そういう人なのかなと思うと怖いね。学ランの男の子なんていなかったし、この辺にも住んでないし」
もう十分だ。お願いだからこれ以上はその話をしないでと、真帆は自分の肩を力いっぱい握り締めていると。
トントン。
真帆の部屋のドアをノックする音がした。ハッとして顔を上げる。恐る恐るドアに近寄り、ドアに耳を付けた。
「真帆、もうすぐ晩御飯だから降りてきてね」
母親の声だった。そうだ。よく考えれば、あの霊が部屋に入ってくるわけがない。招き入れもしていないのに、入ってくるわけがないじゃないか。真帆は立ち上がり、部屋のドアを開けた。
そこに居たのは、母ではなく。
先ほどまで外に居たはずの、学ラン姿の男子学生だった。
彼は無表情のまま真帆を見つめ、真帆は彼の姿を見るなり声も出せないまま勢いよくドアを引いて内側からカギを閉めた。上手に息が吸えない。今吐いたはずの空気を、パニックに陥った真帆の体は全力で吸っていて、肺にもう空気が入りきらず身体が悲鳴を上げて空気をなんとか吐かせようとしている状態だった。
―どうしてあいつがここに…!?
完全にパニックになりながら、ドアに背中を預けて真帆は座り込んだ。焦って震える手をなんとか動かして、ドアにはカギをかけた。身体が透けていない限り、あの霊は入ってこれないはずだ。さっき目の前でみた感じだと、かなりリアルに見えた。普通の人間と変わらない、手を伸ばして相手に触れようと思えば触れることができるのではないかと思えるくらいに。
とにかく一回落ち着こう。真帆は目を閉じて、大きく深呼吸をすることにした。目を閉じて、まず口をすぼめて。ゆっくりと肺や腹の中に、部屋の中に漂う酸素を吸っていく。もう吸えないと限界を感じ、そこからゆっくりと息を吐いて行く。酸欠気味だった脳に、ようやく酸素が行き渡り始める。心が落ち着き始めるのも感じた。そのまま数回、目を閉じたまま深呼吸をして、心臓の鼓動も普段と変わらないくらいまで落ち着いたことを確認した。
大丈夫。何もいない。いるはずがない。部屋には私一人。当たり前じゃないか。もう一人部屋を持って数年経っている。いつもの部屋。いつもと同じ風景。目を開ければそれがまっている―
真帆はゆっくりと目を開けた。
そこにあったのは、住み慣れた真帆の部屋。
そして、真帆を見下ろす、学ランの霊。
彼は数歩前に歩いて、しゃがみこんだ真帆の前に腰を下ろす。
恐怖で真帆は声が出ない。
霊の右手が、そっと真帆の首に絡みついて。徐々に真帆の首を締め上げ始める。
「う…、ぐぅ…!」
口端からこぼれる真帆のうめき声。それは部屋に鈍く響き渡る。
霊は真帆の目を見ながら、自分の唇の前に立てた人差し指を添えた。表情こそ無表情ではあるが、首を締め上げる手指からはしっかりとした殺意が伝わってくる。
「内緒にしてね」
そんな生易しいものではない。
彼のこの行動の意味。
それはきっと、「自分の存在を他人に話すな」というものだと、真帆はようやく彼の行動の意味が読み取れた気がした。
締め上げられていく首を、真帆は何度も縦に折った。
貴方のことは、誰にも言わない。絶対に他言しない。貴方がどこで何をしても、ほかの生徒に貴方のことは言わないから!
首が締まっているから声は出ない。だから今できる範囲で最大限の意思表示をした。
すると霊の手から徐々に力が抜けていき、真帆の喉はようやく空気を通した。
解放された喉に自分の手を添えつつ、真帆は少し咳込んだ。乱れた呼吸を整えながら目の前に居るであろう学ランを身にまとった霊を見上げれば、彼は真帆をじっと見つめていて。真帆と目が合い、数秒間見つめあった後、にんまりと笑って姿を消したのだった。
彼はいったい何だったのだろうか。真帆は学校の歴史やこの土地で起こったことをしらみつぶしに調べてみたが、これといった情報は全く出てこなかった。
学校でいじめが原因の自殺があったわけでも、交通事故で死者が出たわけでもない。彼がなぜ学校であのようないたずらをしたのか、全くもって謎しか残らなかった。そしてあの一件以来、学校であの学ランを着た霊を見ることもなかった。
一つだけ分かったことがある。やはりこの、霊を見る能力については他言してはならないということだ。
以前は他人からの冷たい視線や霊から付きまとわれることの防止といった、いわゆる自分に被害がかからないために、この能力を他言しなかった。
しかし今は違う。世の中には、話してはならないことがあるのだ。霊が見えるという力を持った真帆は、その力を“持っているだけ”に過ぎない。それを他人の人生に響かせるような真似をすることは、真帆には許されない。
テレビで活躍している、いわゆる“霊能者”と真帆は、何が違っているのだろうか。彼れらはあんなにも大々的に霊の存在を公の電波に乗せて口に出しているのに。
真帆は知っている。
彼らはそれを口に出すことが許されている、選ばれた人間なのだ。そして自分は選ばれていないからこそ、霊の存在を口に出して誰かに伝えることが許されていない。霊の存在の影響で誰かの人生に介入してしまうことは、真帆にとってパンドラの箱に触れることになってしまう。
そして真帆は、もう一つの真実を知っている。テレビに出ている霊能者は、偽物が紛れ込んでいる。本当に霊能者なのであれば、自分の命が霊に狙われていることくらい気がつくはずなのに。
今見ている夏の特番でよくある心霊番組に出演している偽霊能者の首元には、後ろから霊の手が伸びてきていて、熱心に霊について解説している彼の首を今にも握りつぶそうとしている。
それを真帆は、テレビ画面の向こうから静観している。真帆は勉強は苦手だが賢い人間だから。自分の命をみすみす危険にさらすような真似はしない。
―早く気付かなきゃ、死んじゃうよ
静かに心の中で警告を出すこと。これが真帆にとっての霊との付き合い方であり、生き方なのだ。
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