第7話 レフィーラ
季節は冬を過ぎ、春になった。
黄昏時、カノエは森にいた。
陽が沈むまでに、グラーネから言いつけられた山菜を採らなければならない。
今日はリリアの話相手の仕事は、彼女の体調不良のために休みになっていた。
朝にグラーネの洗濯の手伝いをしてから、籠を手に森に出かけた。
森の中にツツジの群生を見つけて、カノエは赤紫の花弁を引き千切った。
花の蜜を吸うのだ。
まるで蜂になった気分だ。蜂にしてみれば大量の収穫だろうが、人間にはほんの少しだ。
一瞬、味覚に響く言い知れぬ極上の甘さの余韻に浸って、カノエは次の花を引き千切る。
そうやって、次々を花を摘んでは味わっていた時だった。
茂みの向こうで、人の声がした。
そっと掻き分けて覗いて見ると、二人の人物が対峙していた。
ロシス将軍と、もう一人の美しい女性は、王の帯刀と将軍を兼任するレフィーラだ。
「ロシス、貴殿の報告では、昨年オドの家を襲った夜盗は、もう一人いたという話でしたね」
「一人は逃げたみてぇだったが、それがどうした?」
「盗品を運び出す荷車ですが、使い込まれた様子がなく、盗賊の一味というのは少々怪しいかもしれません。オドの話では、葬った賊らは、訓練されたような統制のとれた動きをし、また、国家の正規軍のような無駄のない太刀筋だったとのことです」
「つまり、盗賊というのは仮の姿で、奴らは遠国からの密偵だったのかもしれねぇ、ってことか? オドが十二人の賊を相手にしながらそこまで分析できるってのも怪しいが」
薄笑いを浮かべて、ロシスは言う。
オドの名を聞いて、カノエはびくりとした。
レフィーラも、ロシスにつられて少しだけ口の端を上げた。
「確かにオドは謎めいていますね。隻眼で距離感が掴めないはずなのに……諸国を流浪したという理由だけでは、納得できません……」
「おい、まさか惚れてねぇよな?」
ロシスは焦ってレフィーラの顔を覗き込んだ。
レフィーラは顔を背けようとしたが、ロシスから顎を掴まれて上を向かされた。
ロシスからの熱い眼差しを受けても、レフィーラの白い面は微動だにしなかった。
「仕事の話をしています。私情を挟むのはやめてください、ロシス」
「続けろよ」
「最近になって、集落の周辺に不審な足跡を発見しました。アルジェ王におかれましては、警戒せよ、とのことです……私が『人形』というのは、ご存知でしょうに。理解し難い感情をぶつけられるのは、迷惑です」
「へぇ、俺の気持ちくらいは理解できるんだ」
言って、ロシスはレフィーラに強引に唇を重ねた。
近くの木の幹に追いやられて、緊迫した状況が続いた後、レフィーラはロシスを突き飛ばした。
俯いて走り去るレフィーラを、ロシスは追わなかった。
様子を窺っていたカノエは、こちらへ向かって来るレフィーラに驚いて尻餅を付いた。
カノエの存在に気付き、立ち止まったレフィーラの顔色が変わる。
ほつれ髪の彼女は、いつもの几帳面な印象と違って少々艶っぽかった。
レフィーラは地面に赤紫の花弁が無残に落ちているのを見て、次第に渋面になり、嘆息した。
「可哀想に……」
「ご、ごめんなさい……俺、山菜を採っていただけで……偶然……」
言いながら、カノエは胸を抑えた。
心臓がばくばくして、言葉が詰まる。
二人の秘め事を目撃してしまった。
今のところ、ロシス将軍の一方的な片恋だ。
「カノエ。お前は私の仲間なのに、感受性が豊かなようですね。私にない感情を沢山持っていそうです」
「……レフィーラ様が俺の仲間?」
「何も聞かされていないのですか?」
露骨に話を逸らす自分を恥じているのか、ロシスが追って来ないか焦っているのか、レフィーラの頬はどんどん赤く染まっていく。
やがてレフィーラは瞼をぎゅっと閉じてカノエから顔を背け、そのまま再び走り出した。
「あっ、レフィーラ様……」
視線を戻すと、ロシスが離れた場所から不機嫌そうにカノエを睨みつけて、威圧している。
カノエは無論、今日のことは口外するつもりはなかった。
帰り道、カノエは先刻のレフィーラの台詞を頭の中で繰り返した。
彼女はカノエのことを仲間だと言っていた。
仲間なのに、感受性が豊かなようだと。
自分にない感情を沢山持っていそうだとも。
レフィーラは自分に親近感を持ってくれているようだが、何故だかわからない。
カノエは灌漑用の溜池の前でしゃがみ込んで、水鏡に自分を映してみた。
そこには憂鬱な表情の自分がいた。正直、オドにもグラーネにも似ていない。小さい頃は幼馴染のサウスからよく指摘されていたが、今は言わなくなった。
レフィーラとの共通点を探してみるが、どこにも見当たらなかった。
ふいに隣にサウスの姿が映り込んで、カノエは振り返った。
カノエが立ち上がるまで、サウスはじっとこちらを見つめていた。
「髪飾りでも贈ってやろうか?」
「からかうなよ!」
憤慨したカノエの頭をサウスはくしゃくしゃと撫でた。
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