第5話 ロシス
それから数日後。
兵士達の午前中の鍛錬の時間。
城塞の中庭では威勢のよい声が響き渡っていた。
物資の警護から帰還するなりロシス将軍が顔を出したので、稽古場の空気は張り詰めていた。
イサイ家に因んだ色でもある白の警護着の将軍が木刀で相手をする順番の中にはカノエもいた。
カノエも参加しているのは、稽古に誘われたからだ。
リリアの話相手の役目を言い渡された時も胸が高鳴ったが、今日はそれ以上の高揚感で先日崖から落ちた時に負傷した足の痛みも忘れてしまうほどだ。
挫いた足は一応包帯を巻いているが、もうそれほどの痛みはない。早く手当てをしたのが功を奏したのだろう。
ようやくカノエが稽古をつけてもらう番になった。
ロシスの背後で、予備の木刀を携えたサウスは伸びやかな顔でカノエを温かく見守っている。
「足はもういいのか?」
ロシスは招きに応じたカノエを遥かな頭上から見下ろして訊いた。厳しい表情の中に、温かさがある。
格別の計らいは、妹のリリアの我儘の為に怪我をした少年に対しての詫びのつもりなのだろう。だが幼いカノエは知る由もなかった。
「はい。全然平気です。よろしくお願いします!」
喜々とした声でカノエは言った。
「かかって来い。手加減はしない」
乞われて、カノエはオドが家の庭で練習をしている姿を真似て、木刀を上段で構えて殴りかかった。
だが即座に木刀を弾かれて、返り討ちにあった。
カノエは飛んで行った木刀を拾い、もう一度向かって行く。
余裕でかわしつつ、ロシスは笑顔になった。
「お前、武人に向いているかもしれないぞ」
「ほ、本当ですか?」
「ああ、本当だ。さすがはオドの息子だ。どこで学んだのかは知らないが、あの男の剣技は一流だしな」
カノエの父、オドは元々集落の外の人間で、旅の途中で行き倒れになったところをグラーネに救われたらしい。
オドのことを褒められると、カノエは嬉しかった。
その時だった。広場の一隅がざわめいたと思うと、王の直属の軍が庭に入って来た。それぞれ、すでに広場にいるロシスの率いる兵士達を見て、不満気に罵声を上げている。
ロシスの兵の一部と揉め始めて、ロシスは稽古を中止した。
直属の兵達は、広場はすでに彼等の利用する時間に入っているという。
戸惑い気味に将軍の方を向いた部下達に、ロシスは首を傾げる。
「おかしいな。あと一時間は俺達が利用できるはずなんだが……」
サウスが机の上にあった時間割を確認しに行く前に、ロシスの兵士の一人が直属兵から肩を押されて、入り口付近が揉み合いになった。
騒動が膨れ上がろうとした時、怒声と共に一人の人物が直属兵達を割って入り口から出て来た。
長身のすらりとした体付きに濃紺に浅黄色の帯の稽古着を纏い、長い黒髪に青白い肌、細面の無機的な顔に宝石のように青い瞳が二つ煌めく、王の帯刀、レフィーラだ。直属軍の管理を任されていて、実質上の将軍でもある。
行事の折りに隊列を組んだ行軍を遠くから眺めるだけのカノエには、レフィーラの性別がわからなかった。
カノエと向き合ったままのロシスの元に近付いてくるレフィーラを見て、カノエはようやく女性だとわかった。それも、とびきり美しい。
「ロシス。この時間は私達が使う予定ですが、兵士達は帰り支度もしていない。どうなっているのですか?」
「さあ……?」
ロシスは木刀を地面に付き立てて、弄うような目付きでレフィーラを見た。
撤収する気はなさそうだ。
ロシスの態度はたちまち麾下の兵士達に波及した。
レフィーラは細い眉を顰めた。
「細腕の帯刀さんには残念な日だったな。今日は一日俺達が使うことになってるらしい」
あからさまに軽視されて、レフィーラの眉はさらに寄せられた。
「さてはロシス、私の実力を疑っていますね?」
「帯刀を務めていはいるが、あんたが実際に戦うところを見たことがない。疑われてもしょうがねぇだろ?」
「いいでしょう。お見せしましょう」
カノエとサウス、その他の兵士達は脇へ退き、ロシスとレフィーラの二人は広場の中央で対峙した。
レフィーラが部下から木刀を受け取り、構える。
ロシスもゆっくりと木刀を構えた。
「防具は着けなくていいのか?」
「構いません。いつでも来なさい」
レフィーラが言い切る前に、ロシスはレフィーラの至近距離に踏み込んで、木刀を振り下ろす。
レフィーラは難無く攻撃を躱した。
それから幾合も斬り結んだが、しばらくして、ロシスは木刀を地面に投げ付けた。
睨み付けて意図を問い質すレフィーラから顔を背けて、ロシスは皮肉な笑いを浮かべた。
「戦わないのですか?」
「もうこれ以上は、無理だ。あんたとは……」
「どういう意味ですか?」
「うちが利用時間を記録し間違えたんだろう。行くぞ、お前ら」
麾下の兵士達を促すと、あちらこちらで不満が上がった。
好都合のはずのレフィーラも承服しかねる様子だ。
白いマントを翻して出入口の方に去って行くロシスを留めようと手を差し伸べたが、レフィーラはそれ以上何も言わなかった。
カノエもまたサウスに手を取られて広場を去った。
木刀や防具をしまう武器倉庫までの道すがら、カノエはロシスの側に来て、彼を見上げた
ロシスは甘い痛みを抱えているような、奇妙な顔をしていた。
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