第4話 サウス

 数日後。

 カノエはその日、森に入った。

 イサイ家の令嬢、リリアの話し相手をしているカノエは、リリアから秋口に咲く珍しい花が欲しいと乞われた。

 兄のロシスが集落の特産品の取引の護衛で遠国にから帰還した際に土産として買って来たガラス製の花瓶に生けたいというのだ。

 花の名はエオーレといって、鮮やかな水色の花弁の花らしい。

 命を受けて、カノエはイサイの屋敷を飛び出した。

 屋敷を出たのは昼で、夕暮れになろうとしているが、まだ件の花は見つからない。

 カノエは普段、二つ年上の幼馴染のロシスの小姓のサウスと遊んでいる森の入り口から段々と奥へ入って行った。

 地面は木の根が張り出して隆起していたり、大昔に土砂が崩れて崖となっている場所もある。注意が必要だ。

 道なき道を歩み、ようやく丈の長い草が鬱蒼と生い茂る場所に、カノエは探し求めていた色彩を見つけた。

 それは話に聞いた通り、鮮やかな水色をしていた。

 草の中を走ってそちらに向かった時だった。

 ふいに、足元が揺らいだ。

 地面が崩れたのだと思った時は遅かった。生い茂る草が足場の脆さを隠していたのだ。

 カノエはそのまま崖を滑り落ちて行った。

 窪地に落ちた時は足首を捻り、その上尻をしたたかに打ち付けた痛みで身動きが取れなかった。

 仰向けのまま空を見上げると、すっかり空は黄昏ていた。

 このまま帰れなければ、ここで夜を過ごすしかない。

 途方に暮れていると、遠くで声がした。大勢の人の声だ。

 崖の上を行列が通過するようだ。

 しめた、とカノエは思った。

「おーい、誰かーっ!」

 陽気にざわめく行列に、カノエは声をかけた。

 だが騒々しさで、なかなか気付いてもらえない。

 耳を澄まして声を拾うと、知った者の声もあった。どうやら同じ集落の者達のようだった。

「おーいっ! 助けてくれーっ!」

 誰かが聞き咎める声がした。

 草を踏む音がして、崖の上から誰かがこちらを覗き込んだ。

 ロシス将軍の小姓、幼馴染のサウスだった。旅装をしている。

 カノエは彼が今日ロシス将軍に付いて麓の街へ行くと言っていたことを思い出した。

「何やってんだお前」

「落ちた」

 サウスは崖の上から足場を見付けて器用に降りた。

 茶色の短い髪に鋭く小さな黒色の瞳、細身で年齢の割に長身の彼はロシスの有能な小姓で、剣技の腕も同じ年頃の少年と比べて群を抜いている。

「立てるか?」

「無理みたいだ。足が痛い」

 サウスは地面にしゃがみ込んでカノエのズボンを捲り上げた。

 擦り傷で血が出ている。

 動かすと踝の辺りが涙が出るほど痛んだ。捻挫したようだ。

「おい、どうした? お前はカノエじゃねぇか」

 上からロシス将軍の声がして、カノエとサウスは見上げた。

「何でこんなところにいる?」

「リリアお嬢様からお花を頼まれたので……」

「……あいつの我儘ときたら……」

 事情を察したロシスは溜息を吐いた。

 そしてサウスに付き添ってやれ、と命じてから、列に戻って行った。

 残されたサウスはカノエを抱き起してから背に抱え、再び足場を見付けて跳ぶように崖を駆け上がった。

 カノエはサウスの背で半分泣きながら、それでもリリアの命令を守ろうと、暮れ行く森の中で目を凝らした。

「サウス、待って。あれ、あの花摘んで帰る」

 サウスはカノエの指差した方向を見た。

 ちょっと舌打ちしてからカノエが先ほど見付けた水色の花を摘んだサウスは速足で森を抜けた。

 イサイの屋敷に戻ったカノエは、摘んできた花をリリアに差し出した。

 リリアの瞳の色と同じ色の花は、リリアの部屋の窓辺に飾られた。

 褒美にリリアから菓子をどっさりもらったカノエは、サウスの背におぶわれて帰宅した。

 グラーネは寄り合いで不在だった。オドもまだ勤務中だ。

 ベッドに降ろされて、カノエは再び足を見た。いつの間にか踝が鬱血して倍以上に腫れ上がっていた。

「冷やした方がいいな」

 サウスは眉間に皺を寄せて言うと、戸棚から布巾を取り出し、水甕の水で浸した。サウスはここへよく遊びに来るので勝手がわかっているのだ。

 旅装のサウスはベッドの端に腰かけてマントを脱ぎ、そこでひと息吐いた。

「ごめん、勤務中だったのに」

「いいよ、他にも警護は一杯いたし」 

「菓子持ってっていいよ。お嬢様の花摘んだのって、本当はお前だし。お嬢様をがっかりさせなくて、よかった」 

「じゃあ半分もらおうかな」

「いいよ、別に。全部でもいいのに」

 痩せ我慢をして涙目になるカノエをサウスは意地の悪い微苦笑で見つめた。

 サウスはロシス将軍に付いて城に務めているのでカノエと二つしか違わないが、大人びている。

「お前は意地汚いんだよ。やっぱいい。俺は菓子なんか食い飽きてるから」

 頬を染めるカノエの頭を撫でてから、サウスは立ち上がった。

 言葉が出なくて悔しくてもどかしくて、カノエは唇を噛み締めた。

 本当に、二つしか違わないのに、何だこの差は。サウスの余裕は。

 丸めたマントを抱えて家を出ようとした時、矢筒を下げたオドが帰宅した。サウスの背丈はもうオドに迫っている。

「ああ、こんちは、おじさん。カノエが怪我したよ」

「ええっ?」

 驚いて部屋の奥を見たオドに、カノエはどういう顔をしていいのかわからずに俯いた。

 少し情けなかった。

「介抱してくれたのか。すまんな、サウス」

 オドはサウスの背に声を掛けたが、照れているのか、サウスは少し頭を掻いて無言で帰って行った。

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