幻夜

奧村思乃

第1話 闇夜の儀式

 逢魔が時。

 森の奥にある古戦場の後に、一人、カンテラを抱えて骨を拾い集める三十代くらいの男がいた。

 鍛えられた堂々とした体躯に癖のある黒髪、鋭い黒い瞳、浅黒い肌、無精髭の精悍な顔つきの男だ。腰には刀剣を帯びている。

 男は長い時間をかけて散らばる骨を吟味し、人間の子供一体分の骨を集めると、草の地面に膝を着いて正確に並べ、骨を干し草で括って繋げていった。

 次に持って来た香炉を側に置いて、香を焚き始めた。

 深沈とした夜の空気に薫香が混ざり込む。

 男は祈るような、縋るような目で人間の骨組みを見つめた。

「どうか、人になってくれ」

 すると、骨が、応えるように風もないのにかたかたと動き出した。

 男は額に汗を流しながら、熱心に呪文を呟いた。

 徐々に夜が明けていき、空が白んでいく中で、骨は変容を遂げ、一人の男の赤ん坊になった。

 熱心に祈りを捧げていた男は、赤ん坊の泣き声を聞いて顔を上げた。そして肩を撫で下ろし、すぐさま抱き上げて微笑みを投げかけた。

 自分の衣服で赤ん坊をくるむと、男は立ち上がり森を出た。

 夜明けの空の下で、男の子はふっくらとした白い肌に黒髪がふさふさと生えているのがわかった。瞳は紺色をしていた。

 男が家路に就くと、男の妻が家の外で待ち構えていた。

 豊かな茶色の髪の、琥珀色の瞳をした落ち着いた雰囲気の若い女性だ。

「オド、その赤ん坊は?」

 女は男の腕の中にいる赤ん坊を見て驚いた顔で訊いた。

 オドと呼ばれた男は何も言わず、妻の女に赤子を託した。

 今にも泣き出しそうな赤子を、女は慌ててあやした。すると赤ん坊は無邪気に笑い始めた。

「あやすのが上手だな、グラーネ。事情はおいおい話す。この子供は私達の子供だ。名前は……そうだな、カノエ。私の国の言葉で絆を意味する」

「カノエ」

 グラーネは赤ん坊の名前を愛おしく呼んだ。

「そうだわ、この子に乳をあげないと」

「……出るのか?」

 オドの問いに答えずに、グラーネはいそいそと家の中へ走った。彼女はつい先日まで身籠っていて、流産したばかりの身だった。医師からは二度と子供を産めないと言われていた。

 かくしてカノエは二人の子供となり、オドの家に幸福が訪れた。

 幸福を呼ぶカノエの泣き声は、呪術の心得のある者にとっては非常に違和感を感じるものだった。

 カノエの存在は、たちまち集落を治める族長に知れることとなった。

 血統的にも孤立し、外部との交流もなく山深くに位置するこの不死の丘の族長、アルジェ王は、王家に伝わる秘伝の術と持てる霊力によって瀕死の者を助け、一族の者に害を成す者の命を瞬く間に奪う霊力の持ち主で、近隣の集落から怖れられている存在だ。

 王の守護によって富み栄える不死の丘は、長い歴史の中で度々襲撃に遭ってきた。その為、襲撃に備え、王の屋敷は長い年月をかけて城塞と化していった。

 アルジェがオドを呼び出したのは、カノエが不思議な儀式によって誕生したその日の夕暮れだった。

 カノエを抱いて、御殿に上がったオドは、謁見の間に入った。

 漆黒の衣装に身を包み、高座にある椅子に背後に帯刀を控えさせて座る威厳に満ちたアルジェ王の前で、オドは片膝を着いた。

 一族の者を強力な霊力で守護し導くアルジェは、厳しい修行の成果で二十六のまま時が停まった、白皙の肌に長い黒髪に黒い瞳の類稀なる美貌の青年だ。

「ただいま参上致しました」

 血族からなるこの不死の丘の一族で、オドは例外的な存在だった。

 オドはかつて放浪の身で、行き倒れになっていたところをグラーネに救われて、結婚して不死の丘に永住することになった。その後、腕が立つので見出されて城塞に兵士として仕える身分となったのだった。 

「今朝になり、どこからか奇妙な赤子の声が響いていたので妖しく思い、調べさせた。オドよ、お前の妻はつい先日、子を流したと聞いた。では腕に抱いているその子供は何だ?」

「……妻が嘆き悲しむので、つい……いつだったか、アルジェ様が秘術をお使いになるところを見てしまい……見よう見真似で使ってしまいました。私の一存です。罰は私が受けます」

 控えていた数人の側近達はオドの言葉を聞いて気色ばんだ。

 中でもオドに飛び掛からんばかりに激怒した金髪の目の覚めるような美しい少年を銀髪の大きな少年が羽交い絞めにして諫めた。二人共、父に付き添って王に仕えている名家の若者だ。次代の王の側近でもある。

 一族の人間が多様な特徴を持っているのは、もともとこの集落が各地からの流れ者の集団だったからだ。

 アルジェだけは涼しい顔だ。

「その子供は『人形』だと言うのか?」

 アルジェは玉座から少し身を乗り出して赤ん坊を覗き込み、感心した様子で、酷薄な印象の唇を少し開いた。

 不死の丘では『人形』とは、死者の骨を繋いで造り上げた人間のことを意味した。人語を解するが、魂は入っていないとされる。

 族長の一族のみが秘術を用いて製造することができ、他の者が勝手に製造をすることは許されていない。また、難易度が高く不可能だといわれていた。

 アルジェは背後の長い黒髪のすらりとした美しい女性の帯刀──アルジェが造った『人形』のレフィーラが持つ剣を引き抜くと、おもむろに立ち上がった。

「『人形』というのなら、お前の子の誕生を寿ぐことはできぬ」

 高座から降りたアルジェは跪くオドの元にゆっくりと歩み寄ると、刀を振り上げ、斜めに振り下ろした。

 床に鮮血が散り、オドは目を押さえて呻き声を上げた。

 アルジェの美しい面は何の感情も宿していなかった。

 アルジェは血で汚れた刀を振り払い、再びレフィーラに預けてから、オドに背を向けた。

「これで罪は償われた」

「……慈悲深い御言葉、感謝に耐えません」 

 オドは苦痛に震えながら、一言一言、噛み締めるように述べて、腕の中の血に染まった赤ん坊を抱き締めた。


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