エピソード1
私も死にたいと思っていました。小学生の時からずっとで、正直今でも時々そう思います。そのことを打ち明けられる友人や頼れる大人も周囲にいませんでした。私はコミュニケーションが苦手で、友達もできにくく、ほとんどの時間をひとりで過ごしていました。授業中はそんなこともないのですが、休み時間がとても苦痛でした。みんなが外で遊んだり、楽しそうに談笑しているのを眺めると私ひとりだけが世界に取り残されたかのように思えました。そんな私の唯一の居場所だったのが家のなかでした。帰宅するといの一番に母のいるリビングに駆けて行きました。すると、いつも「手洗いをしてらっしゃい」と窘められました。私は母の在宅を確認すると守れているかのように安心できて、学校での辛い思いを忘れられました。
しかし、私が高学年になったある日、いつものように寄り道をしないで下校し、家のドアを開けると何かが違っていました。私は急いで靴をぬぎ、リビングに向かいました。けれど、そこには誰もいませんでした。キッチンにも寝室にもお風呂場にもトイレにもいませんでした。私は前にもこういうことは何度かあったことを思い出しました。その時、母はデパートやスーパーに買い物に出かけていたり、母の実家に寄っていたりしていました。帰りが遅くなるときにはケーキやシュークリームを買ってきてくれました。なので、私は今回もそうだろうと思うことにしました。夕方を過ぎて、部屋が真っ暗になっても母は帰ってきませんでした。電気もテレビもつけずに、私はソファーにうずくまって、ずっと待っていると、扉の鍵を開く音がしました。私が走って玄関までいくと、いつもより早めに帰宅した父の姿がありました。私は思わず「お帰り」ではなく、「ママは?」と訊いてしまいました。父は首を横に振りながら、「もう帰ってこないよ」と言いました。私がその言葉を飲み込めず、ぼーっと立っていると父は私を擦り抜けリビングに行ってしまいました。私はもう一度玄関を見渡して、前と何が違うのかやっとわかりました。母のお気に入りだった三足の靴がなくなっていたのでした。
私はその日からこれといった理由もなく体調を崩すことが増えました。ベットから起きると吐き気が込み上げてきたり、お腹が痛くなっていました。朝は父と一緒に出掛けましたが、私は学校に行くふりをして父の背中が遠ざかったのをみとどけてから、素早く家に戻っていました。けれど、そのことはすぐにばれてしまい、私は父からこっぴどく叱られました。
父はどうして学校に行かないのかと私を問い詰めした。私は、また父に殴られるのが怖くて咄嗟に嘘をつきました。「いじめられてる」と言いました。父はものすごい剣幕で私を睨みつけてきたので、嘘が見破られているのかなと思いましたが、「本当だな?」と低い声で尋ねてきたので私は小さく頷きました。「相手は誰だ?」と訊かれ、クラスの子達の顔を順々に思い浮かべました。けれど、どの子の名前も言うことができずに、ただ黙っていると「言いたくないなら言わなくていい」と父は気遣ってくれました。父は鞄から携帯電話を取り出し、「学校に電話してくる」と言いました。私は嘘が露見するのを防ぎたかったので、止めようとしましたが、「もしもし」と通話がはじまっていました。私はおとなしくその様子を見守っていると、父は唐突に怒鳴り声をあげました。「お前らの学校は一体何をしてるんだ」「うちの子がいじめられてるんだ。なのに、どうしてお前らは何もしないんだ」「ふざけるな。今すぐ犯人を突き止めて、全校生徒の前で土下座させろ」「うちの子がこんなことになったのも、全部お前ら学校の責任だ」「うちの子が自殺したら、どうしてくれるんだ。ちゃんと責任とれるんだろうな」
しばらくして電話を切ると父は「もう学校に行かなくていい」とそれだけ伝え、もう私には興味を失ったかのように一瞥もくれずに寝室に行ってしまいました。その時耳にした自殺という言葉から私は生まれてはじめて自殺することを考えるようになりました。
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