幽霊のお願い

@saruno

幽霊のお願い

 久しぶりの休日。男は過酷の極みであった残業続きの日々を無事に終え、心休まるベッドの上で目を覚ました。まだ午前9時、その気になれば夕方まで惰眠をむさぼることもできたであろうが、流石にそれをする気にはなれなかった。天気は良好、やはり晴れならば出かけるべきであろう、しかし観光施設はどこも遠く、この時間から出発したのでは行っても混むのが目に見えている。今更行くのもためらわれた。


 何をしようか思案していたその時、突然近くで声がした。

「全くだらしないですね。早くベッドから出たらどうですか?」

 男の住むマンションの両隣部屋は最近空き部屋になったはず。いったいどこから聞こえてくるのか。

「あなたの目の前にいますよ」

 声のする方を見ると、何と少年が立っていた。しかし眠気のせいなのか、心は妙に落ち着いていた。部屋の隅でクモを見つけたような不思議な感覚だ。

「いったいどこから…なぜここにいる?」

「そんなことはどうでも良いじゃないですか、さあ、早く行きましょう」

 男はなぜかその言葉を素直に受け入れた。いや、素直に受け取らなくてはいけなような気がしたのだ。男は服を着替えると、少年の言われるまま車に乗り、郊外へ走り出した。


 それにしてもこの少年は一体何者なのだろう。もしも家出少年なら警察に連れて行った方がいいだろうか、聞き出すタイミングを図れずにいると、少年の方から口を開いた。

「あの、驚かないで聞いて欲しいのですが、私は幽霊です」

「幽霊って…あの死に切れずに現世で彷徨っているというあれのことか」

「まあそんなところです。私はちょうどあなたの住んでいたマンションの近くに住んでいたのですが、ある日強盗が入ってきまして」

「殺されたのか」

「はい、その後気づいたらこの姿に、他の住人の方にも物を動かしたりして色々声はかけていたのですが、私のことに気づいてくれたのは貴方が初めてです」

 だから両隣の部屋が空き部屋になってしまったのか。全く信じがたい話ではあるが、現に部屋の中に現れたのだから信じるほかない。

「それで、私に何をして欲しいんだ?」

「私の実家へ行ってください。残してきた父と母の姿をもう一度見ることができたら、私はそれで十分です」

「もっと難しいことを頼まれると思って心配したよ、それならお安い御用だ」

 人助け、いや幽霊助けか。なかなかいい休日の使い方じゃないか。死ぬ前にそういう善行を積んでおくのもいいなと思いながら男は妙な使命感に燃えた。


 やがて目的地に到着すると、そこは自然あふれる田舎町であった。

「あの家です」

 少年の指差す先には、古風な一軒家があった。

「鍵はポストの中にあると思います」

 ポストを調べてみると、ガムテープで隠されるように貼り付けられていた。

 鍵を開けて中へ入ると、そこは空き家になっていた。親はどこに行ってしまったのだろうか、よく見ると「売家」の文字があった。

「ああ…そんな…」

 少年はその場に泣き崩れた。男は少年を哀れに感じたが、これ以上できることは何もない。

「すまないが、私にはもうこれ以上のことは出来ない、本当に残念だとは思うが」

「いえ、いいんです。本当にありがとうございました。また家に戻ってこられたんですから」

 少年は悲しさを堪え、男に笑顔を返した。

「あの…もし良かったらでいいのですが…この家を買っていただけませんか?きっとこの家を手放したのは両親が僕を失ったからです。僕もこの家に思い出があるので、貴方がこの家を買ってくれれば自宅だけでも守ることができます」

「しかしなぁ…家を買うというのは」

 普通なら即答で断るところなのだが、男は先日、大家が数年後にアパートを建て替えたいと話していたのを思い出した。いずれ追い出されるのならこの美しい自然のある家に住むのも悪い話ではない。もっとも家などそんなに安く買えるものではないので価格次第ではあるのだが。


 ダメでもともと、男は看板に書かれた不動産屋に電話をすることにした。

「ああ、あの家でしたら買い手がつかなくて困っていたのです。もしお買い上げいただけるなら格安で提供させていただきますよ」

 信じられない価格だった。残業続きで溜まっていた貯金をはたけば10年程度のローンで買える金額である。よくよく聞いてみると元の家主が心中を起こした物件で、その後も空き家なのに謎の怪奇現象が起こると近所で話題になっていた「いわくつき」の物件だった。心中したのはきっと少年の両親だろう。少年の話では死者が成仏する直後は怪奇現象がよく起こるらしく、もう起きることは無いでしょうとのこと。


 男は購入を決意した。事故物件とはいえ、原因が分かっているのだ。少年の親ならば恨んで出てくることもあるまい。

「本当にありがとうございます…父と母が既に向こう側で待っているのでしたら、私は早く行かなければなりませんね。短い間でしたが、お世話になりました」


 少年の影がだんだんと薄くなり、ついに成仏したのであった。


 数日後、男に家を提供した不動産屋に女が訪ねてきた。

「いかがですか、あの家の様子は」

「いやぁ見事なものです。全く買い手が付かなかったのですが、先日無事に契約が成立しました。それにしても凄いですな、霊を操れる能力とは」

「方法は企業秘密でして。幽霊と契約し、お客様のために一芝居うっていただくことでさまざまな問題を解決するのが弊社の強みなのです」

 幽霊が営業マンとは、驚くべき時代になったものだ。

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