ある日森の中卵に出会った その4

 俺の、気配を察知する力は衰えるどころか健在を維持。

 それどころか、以前ほどではないにせよ、すこーしずつその範囲を広げつつある。

 まあすこーしずつなわけだから、たとえて言うなら一年に一センチも広がるかどうか。

 そんな、カメの歩みにも似たスローペースな、当てにはできない範囲拡張って感じだ。

 その範囲の形状はほぼ円形。

 だが俺はその円の中心にはいない。

 中心より後ろに下がった位置だ。

 左右の方向はそうでもないが、背面は前方よりも範囲は狭いから。

 けど感じ取る何者かの気配は、そいつを中心とした円形。

 もちろん行動範囲と一致したり、それを上回ることはない。

 気配を消そうとする者も中にはいる。

 けど、存在そのものはどう頑張っても否定できない。

 俺が感じ取れるのは、その存在から発する気配。

 存在が発する気配じゃない。

 だから、もうすでに魔物の行動範囲内に入っているとテンちゃん達に言われ、より強く警戒しながら、用心深く歩を進める。


「でも、罠とか仕掛けられてたらどうすんの?」

「罠を仕掛けるってことは、そこに何らかの意思がある。それも含めた気配ってことなんだろうな。そういうのも分かる。こっちの用心を怠りさえしなければ問題ない」

「あっちもこっちも、よく注意して進められるわね」

「まぁ……確かに……進んではいるけどさ……」


 大体十分で一キロくらいが、普通に歩いて進める早さ。

 だがその倍、下手すりゃ三倍くらい時間がかかっている。

 もどかしい限りだが、魔物の中には一瞬にしてその距離をゼロ近くまで縮められる物も……いないとは言い切れない。

 縄張り意識が強い物の行動範囲内ならある意味安心だ。

 その一体だけを注意すればいい。

 けど、その意識が薄い物の行動範囲ならどうなるか。

 一度に五、六体くらい襲い掛かられても不思議じゃない。

 ましてや、ちょっとやそっとの衝撃じゃわれそうにない卵を抱えての移動だ。

 時間は自ずとかかってしまう。

 ちなみに卵はライムに任せてある。

 体をクッションにしたり丈夫な壁にしたりと、その能力は万能だ。

 マッキーは俺の足元にも及ばないが、それなりに気配を察知する力がある上に、いろんな意味で視野が広い。

 特にこんな死角の多い自然に取り囲まれた場所なら、あらゆる葉っぱのちょっとした動きからでもいろんな種類の、しかも数多くの情報を引き出し、その都度変化していく周囲の状況を細かく把握できる。

 お陰で俺は、その気配察知に集中できるってわけだ。


「もう三時間くらいかかったかな。体力も神経も使うわね。あたし一人で調べに行ってもいいんだけど?」

「お前の身に何かが起きたら、間違いなく俺は後悔する。もっといい方法があったに違いないってな」


 たしかにマッキーの単独行動に任せたら、すぐにその場所を突き止めてたかもしれない。

 が、無事に帰って来る保証はないし、相手の竜と意思疎通ができるかどうかも分からない。

 俺が先頭に立ったところで、その問題を解消できるとは言い切れんが。


「死ぬまでそんな後悔に苛まされろと? 冗談じゃねぇ。苦しい思いをさせるかもしれんが、それでも事が済んだらみんなが笑って万歳三唱できる結果の方がいいに決まってる」

「私一人がその役目をまっとうして、みんなで万歳三唱できる結果は想像できないわけ?」

「それが確約できるならそうするさ。だがお前には無理だ」

「何で無理なのよ!」


 何で怒ってるんだ?

 当たり前だろ?


「この卵の種族、分かってたのか? 分かっててドーセンとこに俺を行かせたのか?」

「う……」


 テンちゃんと一緒に、竜の卵、としか答えられなかった。

 どんな竜かは、この二人では分からなかった。

 分からない種族の元にどうやって届けるってんだ。


「とにかく……暗くなっても進むしかない。毒を持つ生き物はいなさそうだ。夜行性の獰猛なやつはいそうだが、暗くなってきてるとは言え、まだ活動時間って感じでもない」


 進めば進むほど樹木の丈は高くなる。

 当然枝ぶりもよく、葉っぱも生い茂っている。

 日の光が地面にまで届く場所も減っていき、日影の範囲が広がってきている。


「涼しさを感じられるのはメリットだな。おにぎりのセット、一人につき一個分まで減っちまった」


 持ってきたそのセットは、あくまで非常食用。

 とは言っても神経を相当使っているのか、空腹感を感じる時間の感覚は狭くなる。

 劣化し、食中毒を起こすようなことがあっても困る。

 消費はなるべく抑えたかったが、腹が減って目を回すようになことになれば、それこそ周囲への注意が散漫になる。


「それにしても……うおっ!」

「アラタ! どうしたの?」

「アラタ! ひざ下まで沈んでる!」


 テンちゃんが言う通り、俺の左ひざは地面に埋まっている。

 引き上げようにも、重心は左足。

 体全体が地中に沈もうとしていた。


「これ……底なし沼か?!」

「言ってる場合じゃない! テンちゃん!」


 テンちゃんが低い位置で滞空し、俺に足を伸ばす。

 その足を掴んだ。

 しかし体はどんどん沈む。


「うぐううぅぅ! アラターっ! もうちょっとの辛抱だからねーっ!」


 だが、これはまずい。

 このまま俺がテンちゃんの足を掴み続けたら、水なのか泥なのか分からないが、それがテンちゃんの体に付く。

 余計な水分がテンちゃんの体に付いたら、自身の体が重く感じるはずだ。

 なんせテンちゃんの体は体毛に覆われている。

 体毛が水分を含んでしまったら、それを一瞬で拭い去ることはできない。

 テンちゃんの体重を考えれば、水中からテンちゃんを引っ張り上げることは、おそらくモーナーだって難しい。

 ましてや泥の中。

 水上からでは、泥の中のどこにいるか、どこまで沈んでるかが見えるはずがない。


「あっ!」


 ならば俺一人で沈む方が、いくらかは可能性が高い。

 空中だろうが地中だろうが、安全な場所の気配だって感じられるはずだ!

 落ち着いていれば、だが。


「アラタあ! 何で手放すの!」

「ライム! アラタの顔を覆って、泥が体内に入らないよう……」


 マッキーの声は途中で聞こえなくなった。

 テンちゃんの足を掴んでいる間も泥の中に沈んでいく俺の体。

 そんな俺が手放した。

 見る見るうちに俺は泥の中に沈んでいく。

 そんな俺の目の前は、突然虹色に包まれた。

 だが頭を除いた全身は、触感が気持ち悪い液体に包まれていた。

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