動揺、逆上、激情 その6
「ところで……いてて」
「我慢なさいよ。もう少しほぐしてあげて、ライム」
ストレッチ運動はテンちゃんとライムに付き合ってもらっている。
ヨウミは俺がストレッチを始めようとしたときに、車庫から出ていった。
何か用事があるんだとか。
俺が眠っている間、いろいろ面倒なことを一手に引き受けてくれたから、多分その雑用の続きなんだろう。
車庫は一台ずつ収容できるガレージのような感じで、防音までは施されていないようだが壁と天井に囲まれている。
「正直言うと、あの時はあたしの方が危ない状況だったんだけどね」
「ん? いてて。もっと優しくしてくれ」
体を横に曲げて側面を伸ばすストレッチ。
テンちゃんが頭で右わきを押すんだが、思いのほか強すぎる。
「あ、ごめんごめん。で、助けてもらった後荷車に戻ったら、アラタの方が重体っぽい感じ」
「重体?!」
「だってライムがアラタから離れた後、すぐに意識なくしちゃって……。そうまでして……」
「気にすんな。俺が行商一行の責任者だからな」
「責任者……って……」
そこら辺の話はいつでもできる。
それよりもだ。
「で……今は……夜か?」
「お昼近い時間よ。三日間かしらね。ずっと眠りっぱなしだったのよ?」
「三日?!」
そんなに寝込んでたのか!
あれ?
待てよ?
「その間のテンちゃんの飯はどうしてたんだ?」
「うん……。悪いけど、貯金切り崩してもらっちゃった……。まぁ一番安い干し草でも問題なかったから」
今までは俺のおにぎりで済ませられてたからな。
ススキモドキから採れる米で炊いてたから、食材はタダ。
その分浮いた金で賄えたと思えばそれでいいさ。
「気にするな。そう言えばお前のケガは? 両翼と足」
「助けてもらった後、すぐに全部食べた」
「お、おぉ……。いくつ作ってたっけ……」
おにぎりの数なら……三十個くらいあったか?
それ全部食ったのか。
「ま、まぁ食欲があるのはいいことだ、うん」
「おかげで怪我は治ったし。ここまで荷車を引っ張って来れるくらいにね」
上々じゃねーか。
荷車も損傷はなさそうだし。
「ヨウミは相変わらず御者席か?」
「当たり前でしょ? あたしと一緒に荷車引っ張ってたら、それこそ周りから変な目で見られるでしょうに」
確かに、御者席に誰かがいて、灰色の天馬とは言え凡そ馬の姿をしたテンちゃんが荷車を引っ張る図は自然に近い姿だ。
「ヨウミも、自分も引っ張るって言い張ってたけどね」
意外と……いや、前から気が利くタイプだったっけ? テンちゃんは。
「……上半身は大分解れたな。足腰の方も何とかしないと」
「いきなり立ち上がったら危ないよ? ライムに足、動かしてもらったら?」
「お、おぉ、できるんなら頼むわ」
ライムは膝の裏に潜り込んで、そこで体を上下方向に伸縮を始めた。
膝の曲げ伸ばしと股関節の運動になる。
「そう言えば……変な夢を見たんだが」
「うん、あたしも」
お前も寝てたんか。
いや、別に構わんけどさ。
「何か……あたし、アラタになってたような気がする。で、アラタが助けに来てくれるの」
「……俺も、そんな感じだった」
俺達、入れ替わってるっていう話じゃないだろうが……。
「だから……あの時、やっぱり助けに来てくれてうれしかったんだなーって」
「どの時だよ」
いろいろとごちゃごちゃになりすぎてる。
夢の話か、あの時の話か。
「ライムと一緒に来てくれた時。まさか来るとは思わなかったから」
いや、普通の人間の神経してれば助けに行くだろ。
理詰めで考えるだけでもそう行動するもんだろうが。
「でも、あの夢見て、アラタの気持ちも分かった気がする」
だが残念っ。
俺はお前に恋心など持ってはいない。
誰に対して残念と言いたいのか分からんが。
「でもお前の夢に入り込むなんて、できるわけがないだろ」
「ライムの効果かもしれないわね」
「ライムの?」
いや、そういえば夢の間と終わりは、見える物全てに虹色がかかってたもんな。
非常事態をきっかけにして、何かの力に目覚めるなんてこともなくはない。
まぁそれは俺にはないわけだが。
「でも戻る時、かなり目立ったらしいわよ?」
「目立った?」
戻るってのは、ライムとテンちゃんとで荷車の所に戻る時だよな。
「何かあったのか?」
「空飛んだでしょ?」
「あぁ」
「誰かを乗せた天馬が虹色に輝いていたって噂があちこちで。この宿をとる時もそんな話でもちきりだった」
一気に有名人かよ。
噂になんてなりたくないっての。
「人の口に戸は立てられない、とはよく言ったもんだ。七十五日待たないとな」
「あ、そのこともあったんだよね」
「何がよ? あ、ライム。悪いけど反対側の足頼むわ。こっちは大分動けるようになったな」
ライムはもそもそと動いて反対の足に移動する。
ちなみに車庫は、荷車を置くところは石畳だが、けん引する動物もそこにいることもある。
もちろん俺達のように魔獣もそこに収容できるのだが、生き物を石畳の上で寝せるのは体に良くないらしく、わらなどを敷き詰めて、そこを寝床としている。
俺達が体を横にしているのはその場所だ。
「えっとね。ヨウミがさっき、お客さん来てるって言ってたでしょ?」
「あ、そう言えばそうだな。まぁ俺は、誰かを呼んでほしいと思ってる相手はいないけど。あ、ひょっとして医者とか?」
「ううん。とにかくすぐにあたし達を車庫に置いといて……ってここを予約したんだけど、宿の部屋に連れ込むよりもここで寝せといたほうがアラタの負担は少ないだろうってヨウミの判断で」
あいつもあいつで、地味に活躍してるな。
それで?
「その次の日の朝だったかな。女の人が、男の人二人くらい連れてきて、アラタに大事な用事がある……って」
誰だよそいつ。
「で、目が覚めるまではここで待たせてもらうって」
「ここ? 車庫で?」
「そう。でも車庫で待たせるのはちょっと心苦しいからってヨウミが言ってたな」
「それで、部屋をとって……って、そいつらの為に部屋とったのかよ」
「元々その部屋は、ヨウミが夜にそこで休むためだったんだよ? じゃあってことでその部屋で待っててもらって……」
ついで、ということなら、まぁいいか。
ということは、俺が目を覚まして、体を動かせるようになるのを待って……ってことか。
「アラター、入るよー」
「ん? ヨウミか? あぁ。別に構わないよ。裸になってるわけじゃないしな」
扉が開いてヨウミがやや呆れた顔をして入ってきた。
両手には盆。
その上には何やら皿のようなものが見える。
「元気になったと思ったら、また変なことを言う。とりあえず消化の良さそうな食事作ってもらった」
「お、おお、悪いな。そう言えば腹が減ってた」
腹具合に今気づいた。
ヨウミの言葉に反応するように、腹の虫が鳴く。
「物足りないかもしれないけど、何も口にしてなかったんだからね? 飲み物とかはたまに飲ませたけど」
「三日間だっけか。看病ありがとな」
「素直でよろしい」
料理の見た目は確かに物足りない。
しかし皿を全て空にすると、意外とそれで満足できた量だった。
「食える量が減ったなぁ」
「そりゃそうよ。しばらく安静にしてればすべて元通りになるわよ」
「……ま、その時が夕方辺りだったらそれこそ文句はないんだがなぁ」
「文句と言えば……お腹落ち着いた?」
何だよその文脈は。
どうつながりがあるんだ。
「あぁ。落ち着いたが、どうした?」
「お客さん、呼んできてるの」
ヨウミは、食事を持ってきてからずっとここにいたんだぞ?
お客さんが呼んできてるってことは、ずっと待たせっぱなし?
待てよ?
俺の行商を期待してる奴だったら、ずっと待っていたい気持ちも分からなくはないが……。
いや、テンちゃんはさっき、女一人と男何人かって言ってたな。
「じゃあ呼ぶね?」
ヨウミは扉を開けて、そこにいる誰かに声をかけた。
「……どうぞ」
「失礼します」
静かな立ち振る舞いで入ってきたその女性は……。
「誰?」
やっぱり見たことなかった。
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