『肩こり的矛盾論』

やましん(テンパー)

『肩こり的矛盾論』

※ うーん、さっぱり、苦しいなあ。


 右向いても、左向いても、楽にならない。


 おかしい。


 寝ていられない。


 圧倒的な苦痛というよりは、よじり寄ってくる苦痛だ。


 ハイドン先生『92番』が、絶好調で鳴ってる!


 でも、やましんは、苦しい。


 このまま、空間を爆破しそうじゃないか? 

 

 なんで、毎晩苦しむ?


 地獄の苦役の予行演習かい?


 それにしては、甘いだろう。


 おお、しべ先生の2番がはじまった!



 いざ!


 突入! ゆけ〰️〰️〰️〰️!!

  


※ これは、フィクションであり、現実とは関係ありません。方程式も、まったくの捏造であり、信頼性はさっぱりありません。



    *****   *****   *****



 

 肩こりするから、こりをほぐしてもらおうと整骨院に行くと、なぜか余計痛くなることがある。


 運動せよと言われるので、早歩きしたり、ジョギングしたり草刈りをしたりすると、身体中が痛くなる。


 何もしないと、うまく動けなくなるが、多少楽になる。


 しかし、体力は落ち、いっそう、肩こりしやすくなる。



 ここに、肩こり指数を『K』とすると


 K= α × 1/A × B + θ


  である。


 αは個人の肩こり定数であり、Aは肩こりをほぐす運動量。Bは肩こりを起こす運動量である。(個別に計測が必要である。)


 θは、その地域や個人の所属環境特有の状況を勘案して、補正をするための定数である(0~10)。


 これには、別にリストが用意されている。


 すなわち、肩こりは、肩こり運動に比例し、反肩こり運動に反比例するのである。


 したがって、元々肩こりしない(α=0であり、なおかつ θ=0)ひとは、なにをやっても肩こりしないが、事実上、きわめて、少ないだろう。


 ただし、ここでは、姿勢の良し悪しなどは、θに含まれる。


 負の肩こり定数は、人間の場合はありえない。


 また、AまたはBがゼロになる場合、肩こりが起こらないケースがありうるが、生きている人間が、AもBもゼロということは考えにくい。


 もっとも、肩こりをほぐす運動も、やりすぎると、肩こり運動になる。


 すなわち、バランスが大切なのだ。


 むしろ、最も有効な手立ては、肩こり定数を、より小さくすることである。


 肩こりしにくい人間に、なればよいのだ。



    ・・・・・・・・・・・



 そこで、その政府は、どんな精神的、肉体的ストレスが加わっても、びくともしない国民の製造に取り掛かったのである。


 幼児の頃から、特別なプログラムを用意し、また強靭な肉体と精神を築き上げる

『スパルタン強化マシーン』と『スーパー・スパルターンZ薬』を開発し、全国民にこれらによる、早期教育を開始したのである。


 モデルは、古代ギリシアの『スパルタ』である。


 この薬品は、ドーピングなどには引っかからない、優れものであった。


 個人差は、勿論、あるし、生じる。


 政府自体は、べつに、戦争したいわけではなかったし、それほど、独裁政治を行いたい訳でもなかった。(少しは、その気があったとも、言われるが。)


 しかし、世界各国は、これは挑発行為であるとして、当時、批判を強めた。


 その逆境の中でも、この政策は継続されたのである。 


 それから、50年経過したとき。


 大きな変化が現れる・・・はずだった。


 しかし、結果は、『変わらなかった』のである。


 肩こりは、なくならなかった。


 それだけのことであった。


 仕事量(B)が、やたら増えただけだったのだ。


 これが、最大の、ミスであった事は、明らかである。


 国民の体力、抵抗力が増大したぶん、社会的な仕事量が、どんどんと、増やされたのだ。


 ところが、オリンピックなどでは、さして効果がなかった。


 つまり、瞬発力になどには、変化が少なかったらしいのである。


 やたら、精神力だけが、増大したらしい。


 そこで、安心した各国では、批判していた国も含め、『まあ、お気の毒な・・・・』という雰囲気に変わっていた。


 いつのまにか、これは、人類最後の、失敗した、国家的肉体的増強政策だったと言われるようになった。


    🔴  🔴  🔴



 長い時がたち、いまは、もう見る影もない。


 肩こりなどしない、『A.I.』さんが、ほとんどすべてを征服した。


 人類は、Aからも、Bからも解放されたが、大方、どの仕事からも、放逐されたのである。  


 α値は、大幅に、低下したけれど。



 芸術分野でさえ、A.I.さんから、相手にされなくなったのである。


 彼らにとって、人間の芸術など、面白くもなかったのであった。


 経済学も、政治学も、あらゆる科学も、軍事も、すべてが人類には無用となった。


 その結果、ようやく、人類は、ついに、戦争と縁が切れたのだ。


 これこそが、『A.I.化』の、最大の成果だったのである。


 人類は、その後、通称『博物都市』において、やっとこさ、その命脈を保っているだけとなった。


 A.I.さんは、休暇を取ると、よく『人類』と、遊びに来るようになった。


 『人類』は、彼らに憩いの時を提供する存在として、実に有益なものになった。


 ときに、慰め役として、ときに、道化役として、ときに、すぎ去った、むかし話を語る存在として。



 それでも、肩こりは、なくならなかったのである!


 がんが、A.I.さんの尽力で克服されても、である。


 肩こり、恐るべし!


 肩こりこそ、最後まで、人類最大にして最強の敵だったのである。



    ************  ✊  ************



✳️

やましんは、整体の仕事していた、おばから、『あんた、肩こりで、命落とすわよ〰️』と、言われております。



             おしまい


 

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『肩こり的矛盾論』 やましん(テンパー) @yamashin-2

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