守神の戦士

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第1話 戦士は立ちぬ

暖かい土曜の午後。朝日シンは宿題に明け暮れていた。解いているのは看護関連の問題集。彼の部屋に秒針を刻む音と、シャープペンシルのすり減る音が響く。もうかれこれ四時間は椅子に座り続け、問題集と睨めっこしている。彼が通うのは「守神市立中央高校」の「看護科」だ。市内きっての進学校で授業の質は良いが、その分宿題が多い。

 一旦彼は手を止めて、ぐっと後ろに仰け反って背伸びをした。一気に脱力してそのまま背もたれにもたれ掛かる。

「……こりゃ、また徹夜だな」

 ぽつんとつぶやいて彼は椅子を引いて立ち上がった。そしてもう一度背伸びをして、胃突大きな溜息をついた。

彼は気だるそうな顔で階段を下りて、台所へとやってきた。栗色の吊戸棚を開けて、真っ白いマグカップを手に取る。ゆっくりと戸を閉めて、隣の戸棚を開けようとした時だった。

家の柱が軋みはじめ、次第にその音が大きくなり、リビングにつるされた電球は激しく触れはじめた。彼はこれの揺れが地震だと理解すると、マグカップをシンクへと置き、リビングにある丸いテーブルの下へと潜り込んだ。

幸運にも、揺れはすぐに収まった。だが瞬間的にはとてつもない揺れだった。家具を補強していなければ、収納されているものは全て落ちていただろう。

シンは這いずって机から出た。「ふう」と一息ついてから、台所へと戻ろうとした時だった。今度は揺れではなく、遠くで何かの咆哮が聞こえた。それが咆哮だとわかったのは、その音質が野生の動物のようであったからだ。

彼は急いで二回の自室へと駆けあがって、その声の主を確かめに行った。乱暴に机を除けたため、積まれていた参考書と問題集は崩れ落ちた。大きな窓を開けて、ベランダに出た。

「嘘だろ……」

そこで彼が見たのは街の方角、巨大な人型の怪物だった。

それは、全身が赤い鎧に覆われたような見た目だった。肩の部分は異様に突出し、結晶のようなものが生えていた。だが腕はその巨体には不釣り合いなほど細かった。人間でいう手は、最早手と呼べるものではなかった。指のようなものは三本しかなく、また長かった。脚は太く、纏ったその部分の鎧のようなものには、ヒビが入っていた。

またかなりの猫背で、首は太く、肝心の顔も中世の騎士のような形状をしている。

シンは恐怖と混乱で陥った。足早に玄関へと行き、履きなれたクリーム色の靴を履いて勢いよく外に出た。すると扉を開けるのと同時に、玄関前を人が通り過ぎて行った。だが通り過ぎたその人は、扉が開く音には反応してこちらを向き、叫んだ。

「ねぇ、シン! あんたもあれ見ただろ。ここにいちゃまずい! あんたも早く逃げな!」

そういった去ったのは、シンの隣に住み、彼と同じ高校に通う女子高生「佐々木ヒカリ」だ。

ヒカリが駆けて行った方を見ると、もうすでに何十人もの人々が、小さくなっていく。道路は乗り捨てられた車で溢れ返り、信号はただ色が変わるライトと化していた。

シンは武田と同じ、別の街の方へ向かおうとした。だが何を思ったか、突然反対方向の、鬱蒼とした森の方へと駆けて行った。

 

 昼のこの時間でも少し肌寒く、また暗いこの森。シンは無我夢中に森の中を駆けている。途中、何度も木の根に足を引っかけて転んでしまい、クリーム色の靴も、浅黒い顔も土だらけだ。それでも彼は夢中で森の中を走り続けた。

 そして彼は、ある開けた場所にたどり着いた。

 そこには、この暗い森には少し不釣り合いな、石で出来た大きな祠があった。その大きさは普通の神社とほぼ同格だろう。

彼はこの場所に見覚えがあった。幼いころ、両親に連れられてやってきた場所。この市の主祭神「守神様」が祭られている「守神の祠」だ。

 祠の入口は空いていた。シンは恐る恐る祠の中へ入った。

 中は非常に暗く、辛うじて祭壇のようなものと、その左右に均等に並べられた、灯篭のようなものが見えるだけだった。

 シンはある程度進んで、紙面が見えなくなる際のところで立ち止まった。そして大声で言った。

「守神様、あなたが私を呼んだのですか!」

 シンの声だけが祠の内部に響いた。すると青白い光が祭壇の上に現れた。その光は輝きを増し、シンを飲み込んだ。あまりの眩しさに耐えられず、シンは背を向けて目を瞑った。


 シンが目を開けると、鮮やかな水色の空間にいた。シンは立っているというよりは、漂っているという感じだ。

 彼の目の前に金色の光が現れた。それは突然弾け、光の粒が辺り散らばる。そしてその光の粒は、シンを包み込むように集まった。

「この光……すごく暖かい」

 すると、どこからともなく声が聞こえてきた。

「慈愛に満ちた少年よ……」

 低く、落ち着ていて威厳のある声だ。

 シンは目を丸くして思わず訊いた。

「……守神様! あなたが僕を呼んだのですか。僕がみんなと同じ方へ逃げようとした、あの時です!」

「その通りだ、少年よ」 

 シンの目は輝いて、その頬は赤く染まった。

「な、なぜ僕を呼んでくださったのですか?」

「今、あの怪物からあの「焔竜」の波動を感じた。私は今すぐにでも奴を倒しに行きたいが、先の戦いで消耗してしまった。未だ、完全な力を出すことができない」

 声は続いた。

「そこで君に私の力の一部を分け、戦ってもらいたい」

 シンは眉をひそめた

「守神様、そんな重大な役目、僕には無理です!」

「……私は君の今までを見ていた。君の慈愛の心を。そして、強大な力で誰かを助けたいという強い想いを」

 シンははっとした。

 誰にも言ったことがない自分の本心を、この声の主は知っている。

「守神様……。そうです、僕は皆を救いたい!」

 瞬間、今までシンを包んでいただけの光の粒は、彼の肉体へと収束した。

「慈愛に満ちた戦士よ。その慈しみの心で弱き者を守り、悪しきを滅せよ」

 声がそう響いた途端、シンの身体は光輝いて――――

 

 ヒカリは絶望していた。皆が安全と思って逃げた別の街。巨大怪物の侵攻は速く、次々と町は焼かれ、人々は殺され、派遣された軍の攻撃も何一つ効果がなかった。そもそも、この町が襲われないなんて保証はなかった。ヒカリたちは、根拠のない事実に騙されてしまったのだ。

 ヒカリは逃げ込んだ公民館の屋上で、ただただ、その惨劇を見ることしかできなかった。

 怪物はそこまで迫っている。

 ヒカリはその場に膝から崩れ落ちた。

 もう彼女たちに残されたのは死の一文字だけだ。

 怪物が彼女を見やった。

 細い腕を突き出し、手の中に赤い光球が作り出される。

 それは慈悲もなく放たれた。

 ヒカリは顔を背けて、ぎゅっと目を瞑った。

 だがその時、金色の光が彼女の盾になってあらわれた。

 その光からは、金色に輝く巨人が現れた。


今、戦士は立ちぬ。

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