第141話、化けの皮



 ソーデンの屋敷にある特別に用意された一室。


「……快晴ではありますが、本日は奇妙にも少し肌寒いようです。何か入り用なものがあれば何なりと」

「分かりました。ですが今のところ心配ありません」


 取り入ろうと必死なレンドに、セレスティアはいつものように素気無く躱してしまう。


「……何度、目にしても飽きませんね」


 この西側最奥の部屋より、あらゆる指示を適切に迅速に伝えていくセレスティア。


 少しの休息の間に、部屋に飾られた唯一の絵画へ歩み寄り見上げて呟く。


「殿下が毎年こちらをご覧になられていたようですので、この部屋に移しておきました」

「レンドにもそのように細かな気配りができるようになったのですね。昨年は高価なものばかりでしたのに」

「は、はっ……」

「……本当はキリエあたりの提案でしょう?」

「実は、仰る通りです……」


 やれやれと呆れも含む微笑をレンドに返し、再度絵画へ視線を戻す。


 描かれているのは、一組の男女。


 男は鷹の目と熊を思わせる大きな身体、女はそれに反するように華奢で幸薄気な容姿だ。


 かつての剣聖ヤーバン・ソーデン、そして……レイシア・ソーデン。


 今は亡きレンド達の両親である。


「……良く描かれています。照れた様子を隠そうと必死なヤーバンも。柔らかで、けれど芯の強いレイシアらしさも。……本当に幸せそうです」

「…………」

「レイシアはマリーに次いで私が頼った方でした。今でも残念でなりません」


 子供の頃から病弱で、名家の出でありながら田舎町で療養をとソーデン家へと嫁いだレイシア。


 セレスティアが積極的に剣の稽古に励み始めた頃、ソッドが方々から帰還したタイミングでレークへも出稽古に来ていた。


 学問的なものを学ぶ必要が早々になくなったセレスティアは、稽古以外の時間をよくレイシアと過ごしていた。


 少女は、さまざまな悩みを彼女に話していた。とても王国民には言えない悩みさえも。


 それほどまでに彼女を信用していた。


「…………」


 目を閉じれば鮮明に思い出す、痩せた彼女の溌剌とした笑顔。


『――セレス様も女の子なのですから、恋に生きて何が悪いのでしょう。私のように運に恵まれ、良き夫と巡り合えることも浪漫です。しかしセレス様ならばそれこそ選り取り見取りです。いいですか? 王女様と言えど一人の女性。片道の人生、戻る事はできません。ですから――』


 唯一、自分に姉のような接し方をしていたレイシアを思い起こし、やがて目を開けたセレスティア。


「…………もう描かないのですか?」

「っ……評価していただけるのは光栄なのですが、ただの趣味でしたから」


 背後に護衛として侍っていたキリエが、息を呑んだ後に応えた。


 気を楽に親しげであったエリカの時と違い、セレスティアには明確な緊張感を感じていた。


「それこそ趣味ならばいつでも描けるものだと思いますが、何故描かなくなったのでしょう。レイシアならば、率先して勧めるはずです」

「私は……兄が剣を置いた以上、私がソーデン流を納めなければなりませんから。絵を描くとなるとそれなりの時間を要します。なので……」

「……そうですか。無理強いするものでもありませんし、仕方ありませんね」


 祖父や父譲りの鷹の目と、王女や年上の者にも臆さない態度で高圧的に見えるキリエだが、セレスティアの前では恐縮しきりであった。


「……レンド、そろそろ先程の物音に関する報告が来る頃合いです。適切な指示をしてあげてください。あとは橋周りの警備も増やすように。多少こちらが手薄になっても構いません。もし、仮にいなくなっていたとしてもアスラさんの抜けた穴を憂慮する必要もありませんので」

「穴? それは、どのような意味なのでしょう……?」

「お願いします」

「……仰せのままに」


 セレスティアの威光に疑問を呑み下し、扉へと早足で歩み、一礼を示す。


 そして、控えていたラギーリンが開けた扉から――


「――うおっ!?」


 扉が開かれると同時に、報告に来たらしい衛兵と出会す。


「な、なんだ…………なにっ、あの鬼族がいなくなり、壁が破壊されていた!?」


 外に出たラギーリンが慌てて扉を閉める。


 予言に違わぬ報告に動転するレンドの醜態をセレスティアに見せない為であろうことは、誰しもが理解していた。


 同時に誰しもが、未来を見通すセレスティアに改めて人智を超えた才覚を見ていた。


「……殿下、こちらを手薄にするのは如何なものだろうか。内通者もいるのだから、もっと万全を期すべきではないか」

「内通者ならば既に特定しています」


 ざわりと、一様に動揺する。


「今回の件には、間違いなくクジャーロ王が関わっています」


 一人、粛々と語り始める。


「グンドウは【炎獅子】ドレイク・ルスタンドの怒りを買った為にライト王国へ逃げのびたとされています。これは十分に有り得る話でしょう。しかし……クジャーロ王は違います」


 老いて尚盛んで有名なクジャーロ王は、いい意味でも悪い意味でも裏表のない人物である。


 欲望に忠実に、欲しいものの為なら王という立場にあっても体裁を気にしない。


「クジャーロ王ならば、【炎獅子】が憤りを表そうとも構わずグンドウを利用しようとするでしょう。良い意味でも悪い意味でも剛毅な方ですから。ならば、何故グンドウはここに移り住んだのでしょう。あの王の目当て……自惚れでもなく私で間違いありません。私やヒルデガルト会長はかなり執着されていますから……」


 セレスティアは、毎年欠かさずこの町を訪れる。


 レイシアの墓参りと【剣聖】として宴に参加する為に。


「今までは比較的にですが穏便に手を回していたものです。私達がそれらを全て躱し続けたので業を煮やしたのでしょう。カシューやゲッソに強引な手段を取らせたのがその証拠です。グンドウもその仕込みの一つと確信していました」


 振り返ることもせず、冷淡に語る。


「内通者……でしたね。その者は何故かグンドウを差し置いて魔王軍などと手を組み、私を拐おうとしました。非常に不可解に思えますが、それは置いておきます」


 デープも騎士達も、身動き一つせずにセレスティアの不穏な語りに一心に耳を傾ける。


「オーガ達との戦闘の中で駆け付けたソウマさん、ランスさん、そしてデープさん……。昨日の時点で、この三人に目星を付けていました。あの襲撃地点と魔物の強力さを考えても混戦の最中に誘拐しようとしているのだろうと」


 おもむろに、セレスティアが絵画から視線を外して振り返る。


「アスラさんがいたので、中止したようですが……。のちに狙うとすれば、魔王軍やグンドウに戦力を割かねばならない、まさに今この時……」


 酷く無機質な視線をデープへ向ける。


「……そして三人の内、残ったのは…………あなたです」


 しんと静まる室内は、氷に覆われているのではと本気で疑う程に冷え切る。


 無機質な視線を浴びるデープが、唖然とした様子から立ち直るなり口を開いた。


「……何を言うのか。私はクジャーロなどと何の関係もない。私が本国から辿った道筋をくまなく追ってみてくれても何ら構いませぬ。きちんとお調べいただければ、その可能性など一片も――」

「やはり本人そのものなのですね」


 セレスティアの目から見ても、あらぬ疑いに激怒する騎士そのものの反応。


 僅かな焦りもない。


 だが、セレスティアにも動揺は見られなかった。


「本人そのもの……? それは如何様な意味合いなのか」

これ・・を出して来たということは、クジャーロ王はそれ程までに女性に飢えているということなのでしょうか」

「先程から何を、っ――――」


 ――デープの胸部を、長剣が貫く。


「がふっ……!」


 背後からの殺気の気配に、咄嗟に構えようとした盾が儚く床を叩く。


「なっ!?」

「き、キリエ様!! 何を!?」


 未だ容疑の段階であったデープを背後から刺し殺したキリエに、騎士達も驚愕する。


 しかし……。


「…………」


 崩れ落ちたデープの死体は薄く柔らかく、たおやかに地に落ちる。


 いや最早それは人の死体などではなく、中身がないどころか質感までまるで違うただの布切れのようであった。


「クジャーロ王は、それに名を与えました。あろうことか、爵位まで」


 デープの薄っぺらい死体が浮き上がり、中で何か小さな物体が動き出す。


「複数の能力を持つそれは、何かを渇望する者に強く引き寄せられると聞きます。クジャーロ王とは互いにとても強く引き合ったことでしょう」


 ごそごそと死体を蠢くその生き物であろうそれは、貫通した傷口を探し当てると……。


「本人そのものとして完全に周囲を偽り、溶け込む。知人、友人、恋人、家族すら欺く。記憶も仕草も、反応も同じ。それは本来出来るはずもないこと。ドッペルゲンガーでさえ、何らかの綻びが生まれます。つまり、有り得ません」


 ……ひょっこりと、小さな人影が姿を現した。


「……ど、ドゥケン卿」


 どこからか、噂通りの見た目をしたそれを示す名が呟かれた。


「その有り得ない事象を可能とする。でしたら考えられる選択肢は少ない。クジャーロならば、思い当たるのはたった一つです」


 小人の大層老け込んだ老人が道化の化粧をしたような顔面に、四肢は枯れ木で出来ている。


 気味の悪い異様な風貌のその人形は、笑みを描いた化粧のその下に隠れようもない酷く陰鬱にさせる悲壮感を宿している。


「ドールド・ドゥケン……。正式には【枯れ木の道化師】、クジャーロ王の持つ……希少な、自立する『遺物』です」


 セレスティアが黒の装飾剣を生み出し、空虚な穴の空いた目で道化を演じる遺物を睥睨する。


「ここであなたを確保します。お可哀想に。仕える王を誤った過去を濯いであげましょう。……ね?」


 にこりとした女神の微笑に……その無情な瞳に、枯れ木の大道芸人は芝居じみた身震いをした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る