Glorious Health side-Yutaka- 4
「なるほど。確かにそれは大変ですね。今回の試験、範囲も広いですし」
式部は暫く口許に手を当てて考える仕種を見せると、次の瞬間、ぱっと笑顔を見せた。
「私に出来ること、少しだけお手伝いさせてください」
「いや、俺はそんなつもりじゃ」
式部にせがまれたから話そうと思っただけで、ただ愚痴を聞いて貰えたらそれでよかったはずだった。
「協力させてください」
式部の笑顔に、肩の力が抜ける。
一人で戦っているような、一人でやらなければいけないのだと思っていた。
けれど、実際は誰かにそう言って貰いたかったのかもしれない。
式部に協力してもらえることになってホッとしているのは、本心がそう望んでいたということではないか。
「……頼む」
「任せてください」
翌日、式部は二冊のノートを用意してくれた。
一冊は授業の要点をわかりやすく書いてくれたノート。
もう一冊は素人でも作りやすい料理を書き写してくれたレシピノートだった。
式部は母さんが退院するまでのレシピを考えて渡してくれた。
その中に疲れたときにおすすめと書かれたレモネードがあって、俺は試験勉強が終わると蜂蜜をたっぷり入れて作った。
レモネードのレシピだけは誰にも内緒で、悠斗にも作ってあげなかった。
俺にとって、特別なレシピにだった。
「お母さん、明日退院なんですっけ。おめでとうございます。それに、お疲れ様」
放課後。中庭で落ち合うと、いつものベンチに腰を下ろした。
試験もやっと終わって、放課後はあちこちから声がして賑やかだ。
「式部のお陰でなんとかやれた。ホント助かったよ。昨日の豚肉のしょうが焼きを悠斗がめっちゃ喜んでた」
「それは、お役に立ててよかったです」
式部は、手にしていた本を一ページ捲る。
今日が返却期限なのだと言っていた。
延長でもしてもらえばいいのに、あと数ページだからと律儀に読み切ってから返すらしい。
手持ち無沙汰になった俺は、足元へ視線を落とした。
芝生の中で、群生しているクローバー。
こんなとこにクローバー生えてたんだな、と今更気付いた。
「あ」
たくさんの三つ葉の中で、主張するかのようにぐっと背を伸ばす二つの四つ葉のクローバー。
俺はそっと摘み取ると、ポケットに隠した。
「九重くん?」
「……なに?」
ポケットに隠したのを気付かれたかと思って、焦る。
「ああ、ううん。今日は早く帰らなくて大丈夫?」
「早く帰ってほしいわけ?」
「そんなこと言ってないよ」
「弟ももう夏休みだし、遅れるって言っておいた」
「そっか」
また彼女の視線が本へ落ちる。
なんだかそれが気に入らなくて、「なあ」と声をかけた。
「ん?」
「クローバーの花言葉って知ってるか?」
式部は口許に手を当てて、いつもの考える仕種をしながら記憶を整理しているようだ。
博識な彼女のことだから、知っているだろう。
案の定式部はすらすらとクローバーの花言葉について語りだした。
「たしか、クローバー全体では私を思って、とか幸運とか……あと復讐なんていうのもあるみたいですよ」
「復讐!?」
ラッキーとか、そんなものだろうと思っていたから、意外な言葉が出てきて驚いた。
「じゃあ、四つ葉のクローバーは?」
「四つ葉はたしか、私のものになって、とか……真実の愛、とか」
視線が重なる。
――真実の愛。
俺も、式部も、目を逸らさなかった。
胸の音は早く鳴るのに、頭は不思議と落ち着いている。
この感覚は、一体なんだろうか。
式部はこの感覚を知っているだろうか。
この感覚を、もし一緒に感じているのなら――
「九重ー!! 担任が呼んでるぞー!!」
声がした方を見上げると、教室のある三階の窓から身を乗り出すようにして大野が手を振っている。
「今行く!」
振り返ると、式部はまた本の世界へと入り込んでいた。
俺は「またな」と小さく呟いて、その場を後にした。
今日、レシピノートの最後の料理を作る。
最後はオムライスらしい。卵はうまく巻いてあげれなかったけれど、悠斗は大喜びだった。
レシピノートに、拾った四つ葉のクローバーを一つ挟む。
想いと、小さなお礼のつもりでもあった。
ずっと、試験勉強の疲れを癒して、励ましてくれたレモネード。
翌日教室で二冊のノートを返して、夏休みが明けると、俺達はまた普通のクラスメイトに戻った。
式部は、クローバーに気付いてくれるだろうか。
三年になって、クラスが変わって、距離が広がってしまった。
式部は、大学への進学組の多い一組。俺は四組で、教室もだいぶ離れていた。
たまに廊下ですれ違っても、視線で挨拶するだけ。
どちらも声をかけたりしない。
式部はレシピノートのクローバーに未だに気付いていないようだった。
いや、それとも……気付いた上でのこの反応なのかもしれない。
そして音沙汰も何もないまま、夏、秋、冬と季節を越えて、卒業を迎えた。
式が終わった後、みんなが卒業アルバムの白紙のページにメッセージを交換していた。
「なあ、式部知らない?」
三年になっても式部と同じクラスだった竹内に声を掛ける。
「さっき、帰るって出てったけど」
「そっか、ありがとう」
踵を返して、駆け出そうとすると、「待って」と竹内に腕を掴まれた。
「なに?」
「ちょっと、いい?」
今は式部を追いたい。
竹内の手から腕を引き抜くと、彼女の表情は一気に冷めた。
「悪いけど、手短に頼む」
「……最低」
竹内の目に、見る見るうちに涙が溜まっていく。
最低なことをしている自覚はあった。
でも、場所を変えて話を聞いている猶予はなかった。
「私、九重のこと好きだったのに」
慰めようとした手を、俺は引っ込めた。
俺にそんな資格はないと思ったから。
「ごめん。……ありがとうな」
「……第二ボタンだけ頂戴」
「え」
「いいでしょ、そのくらい」
手にした鋏で、俺の着ている学ランから第二ボタンを器用に外す。
「ありがとう、九重」
最後に見せてくれた彼女の笑顔に救われつつ、俺は式部を追うべく廊下を駆けた。
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