4分の3ozの証明

蒼原凉

4分の3ozの証明

 彼女が自殺した。


 恥ずかしながら僕がそれを知ったのは、7年がたった後だった。悩みを聞いたり、死に目に立ち会ったりするどころか、とっくの昔に骨になって欠片も残っていないかもしれない。仮にも高校時代恋い焦がれた人だというのに。


 いや、言い訳をさせてもらうのであれば、その当時僕はみんなとは縁を切って東京で大学生をしていた。元々彼女以外に友達と呼べるような人間なんていなかった僕だ。今回帰って来たのだって、卒業10年の同窓会があったからに他ならないわけだし。


「嘘だろ……」


 そんな呟きしか漏れなかった。まさか、死んでいたなんて。それも自殺だなんて。同窓会の会場から出て外の空気を吸う。どんよりとした空が気持ち悪い。

 はあ、僕は何をしたかったんだろう。


 最後に出会った日を思い出す。僕が東京に旅立つ前日のこと、お金がないからって理由でサイゼだった。


 笑ってしまう。仮にも大学生になって離れ離れになるというのに、よりによってファミレスでだなんて。でも、思い返せば僕らの関係なんてずっとそんなものだった。たまたま帰る方向が同じで、同じ路面電車の駅を使ってただけ。しかも、話すのは行き帰りだけで教室では話したことなんてなかったし。それ以外で接点なんてなかった。

 だけど、妙に話が合ったんだ。性別も容姿も性格も真反対みたいな僕らだったけど、彼女といる時間は楽しかった。きっと前世は双子だったんだよなんて彼女が冗談で言ってたっけ。前世とか悪霊とかUFOとか、そんな話題が彼女は大好きだった。最後の会話も鮮明に覚えてる。



 * * *



「なんで君はステーキを全部切り分けてるんだ? そんなの味気ないと思わないか?」

「いや、だって先に切っちゃえば箸で食べられるだろ?」


 ライスの皿にナイフとフォークを置きながら僕が言った。家族にも変と言われたが、ステーキは先に8つに分けるのが僕の食べ方だった。


「わかってないね、君は。ナイフとフォークで切り分けながら食べるのがステーキの醍醐味じゃないか」

「いや、醍醐味とか求めてないし」

「じゃあ君はステーキに何を求めてるのさ」

「エネルギーと値段と火が通っていることかな」


 君は楽しみ方を分かってないと彼女は首を振った。確かにあなたが頼んだのは殻付きムール貝入りのパエリアですが、別に人それぞれじゃないのか。


「そういえば」

「ん、なんだ?」


 笑顔へころころと表情を変える。そうやって感受性豊かなのも僕との大きな違いだよね。少し羨ましい。


「このステーキって大体170グラムくらいだったよね」

「たぶん……」

「8分割ってことはこれくらいかな。4分の3oz」


 そう言いながら、僕のところから奪い去ったフォークで真ん中の一切れを突き刺した。行儀悪くもそれを掲げる。


「4分の3oz?」

「グラムに直したら21グラムくらいだね。何の重さか知ってる?」

「いや、知らない」


 彼女がいたずらっぽく笑う。こういう雑学は僕よりも彼女の方が圧倒的に多い。そして、それをいつも面白おかしく語ってくれた。


「実はね、4分の3ozって、魂の重さなんだって」

「……魂?」

「そ、魂」


 驚いてポテトを食べる手が止まる。


「ダンカン・マクドゥーガルって人が昔計ったことがあるらしくてね。そこから、魂の重さが4分の3oz、つまりこれくらいって言われてるらしいの」


 眉唾物だけどねと、彼女は笑った。まあそうだろうな。僕も魂に重さがあるなんて思えないし。話の種としては面白いけど。


「というわけで、君の魂いただき」

「あ、ちょっと!」


 ぱくっとフォークを口に含む。それ、僕のお肉なんだけど。

 ……まあ、別にいいけどさ。


「ひょっとして、パエリア食べたかった? 仕方ないなあ。4分の3ozってこれくらいだよね」

「いや別に……」

「はいあ~ん」


 パエリアをスプーンですくいながら困ったように笑う。そして、そのスプーンをこっちに差し出してきた。食べたいとは一言も言ってないが、断るのも申し訳ないしな。ちょ、ちょっと恥ずかしいけどまあ。


「あ、あ~ん」

「なんてね」

「おい!」


 口を近づけた瞬間、僕じゃなくて自分の口元へスプーンを運ぶ彼女。期待しちゃったじゃないか、くそう!


「やーいやーい、引っかかった~。それともちょっと期待した?」


 彼女がさもおかしそうに笑う。いつだってそうだ。僕は彼女に敵わない。知識量も、人当たりの良さも頭の回転も。だけど、この笑顔を見ると、それでいいやって思えてしまうんだから不思議だ。

 そして思うんだ、やっぱり僕は彼女が好きなんだなあって。口には出せないけど。



 * * *



 結局、僕らの関係は最後までそんなものだった。学校ではほとんど話さないけど、気が向けば一緒にご飯を食べに行く。その時は彼女がひたすら主導権を握っていた。ひょっとしたら恋愛感情もあったかもしれないけど、表面上は『友達』だった。

 僕が東京に行くというのに、最後までからかわれて。きちんとお別れを言ったわけでもなかったんだ。だけど、


「まさかそれが、最後の言葉になるなんてなあ……」


 いつもみたいに何気なく別れて。またいつか片手を上げて気楽に会えると思ってたのに。

 きちんと別れを告げてなかったことが悔やまれる。せめて、もっとちゃんと話をしておくべきだったって。


「となり、いいか?」

「ああ、委員長か。どうぞ」


 ぼんやりと薄暗い雲を眺めていると、委員長がタバコを吸いにやってきた。そのメタリックな眼鏡は見覚えがある。そして何を話すともなく、煙をくゆらせた。


「ずいぶん、少ないんだな」


 口をついたのはそんな言葉だった。本当は彼女のことを聞きたかったけど。


「まあ、ここに来るのは成功してる奴だけだからな。来たくない奴、来られない奴も多い」

「そうだね……」


 実際、彼女は死んでしまってるわけで。


「あいつのことだろ?」

「え?」

「来てる奴に聞いて回ってたらしいからな。一応俺も同じ大学だったわけだし」


 『あいつ』が誰を指すのか、言われなくてもわかった。


 いつか彼女に言われたことを思い出す。無言は99%の肯定だって。


「知りたいか? 結構酷かったんだが」

「……うん。知っておきたい」


 同じ大学だった委員長なら、その時のことを知っていてもおかしくはない。


「大学に入ってから、ストーカーに悩まされたらしくてな。ほら、あいつ結構かわいかっただろ?」

「ああ」


 かわいいだけじゃない。明るくて面白くてその場の空気をすべて持って行ってしまう。陳腐かもしれないけど太陽みたいな人だ。


「それで酷い勘違い男につきまとわれたらしくてな。しかも対応した警察官が酷くて、セカンドレイプみたいにお前が勘違いさせるようなことしたんじゃないかって、逆に傷つけたらしい」

「酷い……」


 まれに聞く話ではあるけど。僕も職質で酷い警察官に当たった人あるけど、よりにもよってそんなときに最悪な警察官に当たらなくても。そんな思いで悔しくなる。


「その、誰かいなかったんですか。誰か彼女を助けてくれるような人」

「それが、人間不信になったらしくて誰にも話してくれなかったんだ。大学に入ってから一人暮らししていたから異変に気づく人もいなくてな」


 そう言うと、クシャッとたばこを階段に押し付けた。


「せめて俺が、俺が気づけていれば! 死なせずに済んだはずなのに!」


 そう言って、くうを眺めた。


「今でもそれを考えるよ」


 助けられたはずなのに。自分なら助けられるポジションにいた。なのに助けられなかった。そんなの、誰よりも悔しいに決まっている。


 ……それは僕が誰よりもわかっていた。


「誰にも助けを求められずに、一人で死ぬってどんな気持ちだったんだろうな」

「……そうだな」

「悪い。忘れてくれ。んじゃ俺は会場に戻るわ」


 それだけ言うと委員長は同窓会に戻っていった。喧騒に戻るのが煩わしかった。



 * * *



 翌日、僕はと言えば新幹線の時間を遅らせて彼女の墓参りをしていた。元々同窓会に合わせてありもしない旧交を温めようかと思っていたし。

 彼女の墓は山裾の小さな寺にあった。親がよく来ているのか手入れがされている。無機質な冷たい体になってしまったな、なんて笑ってみたけれど、やっぱり彼女の笑い声は聞こえなかった。


 墓の前で手を組む。祈るように。


「すまない、ほんとうにすまない」


 僕は、懺悔に来たんだ。彼女を助けられなかったことを。何も知らずに7年間のうのうと生きてきたことを、謝りに来たんだ。僕なら。僕なら、彼女を助けることだってできたのに。他の人と違って異変に気付けたのに。


 委員長には言っていないことがある。委員長は誰にも助けを求めずになんて言っていたけど、それは違う。彼女は、僕に助けを求めていたんだ。

 迷惑メールフォルダに放り込んだ一通のメール。7年前のメール。そこにはただ一言『助けて』とだけ。


 僕なら気づけたのに。気づいたはずなのに、どうして一言話を聞いてあげなかったんだろうって。なんで、異変に思って彼女に連絡を取らなかったんだろうって思うんだ。彼女は僕に助けを求めていたのに。他の誰でもないこの僕に。僕のことを信頼してくれていたのに。

 なのに僕は裏切った。気づかずにメールを無視した。彼女からすれば、最後の頼みが切れた。そんな気分だったろう。そして、彼女は死んだ。


 今更許されるわけがない。虫のいい話だ。だけど、せめて、懺悔くらいはしておきたかった。一度は恋をした彼女に。それだけだった。


 よろよろと立ち上がった時にはもう太陽は天辺を越えていた。帰り道でちょうどサイゼを見つける。お腹はほとんど好いていなかったけれど。


 彼女と最後にあった場所だ。そこで、最後に食べたステーキを注文する。ちょっと安っぽいステーキを。そこで話した内容もきっかり覚えていた。


 丁寧に丁寧に、ステーキを8つに切り分ける。4分の3oz、これくらいか。それの真ん中の一切れを口に入れた。

 フォークを置いて席を立つ。支払いを済ませ、その場を後にした。


 ほんの少しだけ、暖かくなった、ような気がした。

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4分の3ozの証明 蒼原凉 @aohara-lier

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