第6話-白い彫刻

 いつもの通勤電車でのことよ、と女性は話し出した。

 少し疲れた顔をした彼女は、聞くところによると二児の母であり、子を保育園に預けた足で職場まで一時間弱電車に揺られているらしい。

「毎日ラッシュの終わり際に上り電車に乗るの。ピークほど混んでないにしろ、座れるほど空いてもいなくて……いつも立って車窓をぼんやり見ているのだけれど」

 女性はためらいがちに、車窓から見えたもののことを語る。


***


 すごく曖昧な話になって申し訳ないんですけど……ええ。なにせ走っている電車から見えたもののことで。

 地元に近いところだと田んぼや畑が多いんです。でも、いくつか大きめの駅を通過すると、マンションとか、ビルとかが増えてきて。変わるものといえば天気と、たまに新しく建つ建物や、取り壊される建物があるくらいだから、そんなに注意深く見ているものでもないんです。

 でも、その日は一瞬だけ、すごく目を引き寄せられるものがあって……。

 あるマンションの一室、窓から、白い彫刻が見えたんです。線路からさほど遠くはないけれど、線路に隣り合うほど近くもない、いつもは視線が素通りしてしまうような、微妙な距離だったんですけど。妙にはっきりと見えたんです。

 人の形をしていたと思います。男か女かわからないし、髪も彫り込まれていなくて、白いことと、「ひとだ」ということしかわからなくて。

 駅の近くでもないから、あっという間に通り過ぎてしまって、じっくりとは見ていないです。でも、確かに「目が合った」と感じたのは覚えています。目鼻もないのに。


 それで、変なものを見たなあ、と思っていたんですけど、なにしろ忙しいから。仕事をして、子供たちのお迎えに行って、お世話して……ってやっていたら寝るときにはすっかり忘れていたんですよ。

 でも、翌日また電車に乗ったらその彫刻のことを思い出して。どの駅の間だったっけな、と思っていたら、また見えたんです。

 今度は、マンションのベランダにその白い彫刻が出ていました。

 おかしいんですよ、駅前のブロンズ像とかならともかく。色的にも、美術室の石膏像みたいな材質に見えるから、野ざらしにするようなものじゃないと思うんです。

 でも、それ以来その彫刻は、いつも外にあるのを見るようになって。

 ……そうなんです。あれから、電車に乗ると毎日彫刻が目に留まるようになりました。

 それだけなら、ただ彫刻が気になって無意識に目で探しているだけだと思うんですけど……変なのは、彫刻を見かける位置が毎日違うんです。一駅分くらいずつ、日に日に、家に近づいているような……。

 相変わらず、目鼻もなく、顔立ちや性別も分からないんですけど、見ると「あの彫刻だ」とわかって。何日かに一度は目が合って、その翌日はいつもより家に近いところに出る。マンションのベランダに見える日もあれば、線路わきの公園や空き地に捨てられたみたいに置いてある日もあって。


 なんだか、「外にあこがれる」みたいに、こちらを見ているような気がするんです。囚人が檻の外を飛ぶ鳥を見るような。とっくに最初のマンションから出ているのに。


 そうして、この前は私が地元駅で乗る各駅停車から快速に乗り換える駅の一つ手前まで、彫刻が来て。

 もう最近は気になって仕方なくて。気にしたくないから車窓を見ないように目を閉じているんですけど、落ち着かなくて目を開けると、ちょうどそこにいるから、怖くて……。寝るのにも苦労するし、仕事に集中できなくて、神経がとがっている感じで。

 あれがもし、私の家まで来てしまったら、なにが起こるか……。


***


 どうしたらいいんでしょう、と女性は話し出す前より疲れた様子で、こちらを見る。

「都市伝説……なんて胡散臭いサイトを調べたりもしましたけど、対策どころか似た話もなくて」

 今にも涙声になりそうな、小さく震えた声に縋られて、ため息をついた。

「ネットの情報は、誇張されることも多いので……見つからなかったのは幸運かもしれません」

 「わからないもの」は恐ろしい。けれど、「分かった気になる」ほうが数倍恐ろしいものだ。

「念のため、ご自宅用の符を用意しましょう。それから、明日の通勤には一人付き添いをつけます。見えたら教えてくださいね」

 女性は、ハンカチで顔を覆って泣き崩れた。

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