天網恢々

ピクリン酸

1

 体育大会は中止にならなかった。連日降り続いている雨は今日も衰える気配がなかったが、すでに体育大会は二回延期されている。もう今日しか日がないのだそうだ。勿論、ぬかるんだグラウンドでは走れないから、プログラムを改変して体育館で行われる。そんな日に、私はTシャツを忘れてしまった。

 ただのTシャツなら忘れたところでなんの支障もない。しかしクラスで作ったお揃いのTシャツとなれば話は別だ。誰かが忘れたら全員着られなくなる。学校側が設けた無意味とも思える制約だった。今から家に戻って間に合うだろうか。まだ始業まで三十分あるとはいえ、片道で四十五分、往復で一時間半はかかるだろう。家には誰もいないだろうし、持ってきてもらうこともできない。

 頭の中で様々な策を考えるけれど、どの策も時間的隔たりもしくは距離的隔たりをなくすことができない。この体育大会で、私たち一年C組がTシャツを着ることは不可能だ。そうなれば私はどうなるだろうか。迷惑をかけるのはたかが四十人、されど40人である。今の私が取りうる策は一つだけだった。

 不幸中の幸いとこの場合言っていいのかわからないが、幸いにも私は棒ヤスリを持っていた。美術の時間に使ったものだ。岡田と書かれた私のロッカー。その隣のロッカーを見る。確か惣田さんのロッカーだ。本を読んでいる姿しか見たことがないが、真面目で几帳面そうだから、Tシャツを持ってきてこのロッカーにしまっているだろう。取り付けられた南京錠も安物というほどではないが、ロッカーにかけるフックの部分はあまり太くない。ヤスリで削れば開けられるだろう。私は、ヤスリで錠を削り始めた。思ったより簡単に削れていく。金属の粉が舞い、スカートにかかる。あとで払っておかねば。

 南京錠を音が立たないようにゆっくり外す。

 そのとき、後ろから肩をたたかれた。

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