異端界線十二神話

冬雪 依織

第一譚 ヴォーリオ・ヴェデルティ

 彼女の奏でる音は一つ一つが美しい―――。聴いた者の誰もがそう彼女の奏でる音を称賛した。一人の訓練兵もまた、彼女の演奏に魅了していた。


 訓練兵の名は「ヴォーリオ」。将来は空軍の一人として空を飛ぶことを望む青年だ。訓練中に他の兵士がピアニストであるという彼女の話をしているのを聞き、気になって聴きに行ったところ、見事に心を射抜かれてしまい、今現在も訓練の合間に足繁く通っているというところだ。


 しかし、そんなヴォーリオは彼女の名前を知らない。噂の中でも、彼女の名前は一切出てはこなかった。ある日、ヴォーリオは彼女に話しかけるべく、彼女がいつも夕方頃に演奏に来ると言われている教会に足を運んだのであった。


 「申し訳ないが、今の時間帯には客は入れないんだ。帰ってくれないか」


 教会の前には衛兵がおり、ヴォーリオは門前払いを食らってしまった。次の日に聞いた話によると、どうやら彼女は夕方の教会には誰一人として客を招き入れないそうだった。



 しかし、昼間の休み時間に行っても彼女の周りには人が集まっていて、とても話しかけられるようなものではない。どうしたものかと首をかしげていると、ヴォーリオの横を通り過ぎた青年が耳元で『夜の七時に「開けよ神門」』と囁いた。ヴォーリオは不思議とその一言を理解し、その日の夜七時、教会の前の衛兵に「開けよ神門」と伝えた。すると衛兵は教会の門を開け、ヴォーリオに跪いた。ヴォーリオは驚きつつも、教会の扉へ歩み寄り、手を伸ばした。扉を開くとそこには、ひたすらに不協和音を引き続ける白いドレスを着た彼女と大きなパイプオルガン、それを囲む木椅子、女神の彫刻が壁に掛けられた祭壇があった。彼女の奏でる不協和音になぜかめまいを覚えながら、彼女のもとへ近づこうとする。しかし、彼女の肩に手を置こうとしたその瞬間、彼女の周りに暴風が起こり、ヴォーリオを弾き飛ばした。そして、彼女ははじめて、ヴォーリオの存在に気付いた。


 「どうして、どうしてここにいるの!」


 彼女は驚きと怒りの声を風の向こうの青年にぶつける。ヴォーリオは「きみの、なまえが、しりたくて」と床に這いつくばって風に外まで飛ばされてしまわないようにしながら声を絞り出した。彼女はその答えを聞いて「どうやって衛兵を言いくるめたの?」と質問する。ヴォーリオが「開けよ、神門」と言うと、暴風は止み、代わりに女神の像が光った。それと同時に、彼女の演奏も止まった。そして立ち上がり、ヴォーリオの方を振り向いた。


 「…何で知ってるの、その言葉」


 「…さあね」とヴォーリオははぐらかした。女神像はより光を増して輝き、彼女は女神像を見た。そして祭壇へと歩き出し、女神像の前に跪いた。


 「ああ、全能の女神、オーディールよ…わが故郷に天災が起こりませぬよう…我が生命、神のもとにありて…どうか…お救いください…」


 彼女が言い終えると、女神像は少しづつ輝きが薄まり、次第に消えていった。それを見届けた彼女は立ち上がり、またヴォーリオの方を向いて怒りの形相で怒鳴りつけた。


 「あんたねぇ!?もしこの儀式が失敗したら、明日にはみんな土の中かもしれないんだよ!?何でここに入れたの!!なんであの言葉を知ってるの!」


 「ああ…いや…俺もちょっと…何が何だか…」


 ヴォーリオが声を小さくしながらそう告げると、彼女ははぁ、とため息をついた。


 「あんた、誰。どうやら訓練兵みたいだけど」


 ヴォーリオは自分の格好を見た。訓練兵の服装なのだが、よく見ると先程の暴風でかなり服装が乱れていた。訓練中ならば確実に上官から怒鳴られている格好である。慌てて飛び出たシャツをしまいながら、「ヴォーリオ。空軍志望の、ヴォーリオ」と名乗った。彼女は空軍と聞いて少し驚いた後、ピアノの方を向いてヴォーリオに忠告した。


 「空軍志望なら、なおさら私の邪魔をしないほうがいいわよ。私はね、天災が起きないように毎日夕方から今の時間まで、神に捧げるためだけに曲を弾いてるの。あなた達には昼間いつも聴かせているじゃない」


 「…俺も一緒に祈ったら…?」


 「…はぁ?」


 「いや、さ、俺も一緒に祈ったらいいんじゃないかなって、神様も喜ぶかなー、って」


 「こっちは遊びじゃないのよ」


 「それはわかってるんだ。でも…」


 「…なに?」


 「…君と、仲良くなりたいんだ」


 彼女は少し下を向き、考え込んだ。暫くして、ヴォーリオが「…駄目なら、ごめん」と言いかけたその時、彼女が口を開いた。


 「あの曲を聴いても、気持ち悪いと思わなかった?」


 ヴォーリオは驚きながらも、「全く」と答えた。「むしろ、惹き込まれたくらいだ」と言うと、彼女はヴォーリオの方に振り返り、微笑んだ。


 「私のことはベティって呼んで。明日、今と同じ時間に来てね。今度は私が、弾き終わるまで私に近づいちゃダメ。ちゃんと祈りの仕方も教えてあげるから。訓練じゃ、正しい祈りの仕方なんて習ってないでしょう?」


 ベティがそう言うと、ヴォーリオは「了解。よろしく頼む」とベティに敬礼した。訓練所に帰り着いたとき、上官がヴォーリオの帰りを今か今かと待ち構えていた。訓練兵の門限はとっくに過ぎていたのである。上官からこっぴどく叱られた後、ヴォーリオが部屋に戻ると、相部屋の仲間三人がヴォーリオが帰ってくるまで眠らずに待っていてくれていた。


 「リオ、やっと帰ってきた!どうだった、ピアニストの彼女は?」


 仲間の一人がにやにやしながらヴォーリオに詰め寄る。追い打ちに残りの二人が「近くで見たんだろ?いいなぁ~!」「ひゅうひゅう!」と野次を飛ばす。ヴォーリオは少し照れくさそうに「…きれいだった」と答えた。そして仲間から「で、名前はなんだったんだ?」と聞かれたとき、ヴォーリオが名前を発そうとした瞬間、突然声が出せなくなってしまった。慌てふためくヴォーリオに三人は困惑し、仲間の一人が「ちぇ、リオはケチだなぁ~!」と言ってそれぞれの寝床へ戻ったところで話は終わり、その途端にヴォーリオの声が戻ったのである。しかしその代わりに、彼女の名前、今日あったことはすっかり忘れてしまった。


 「…今の、何だったんだ?」


 ヴォーリオが困惑していると、「あ、そういえば」と仲間の一人がベッドに寝転がりながらヴォーリオにある話をしてくれた。


 「噂なんだけどさぁ、『神の使い人』の名前は、絶対に人に知られちゃいけねぇらしいぞ。まさか、あのピアニストがそうだったりしてな。わはは」


 ヴォーリオの記憶には一つだけ、明日の七時に教会へ、という約束だけが残っていた。仲間にその話をすると、「よし、じゃあ帰るときはこの道を通ってこい。そうしたらこの宿の窓からシーツを垂らしてお前を引っ張ってやる。点呼の時は何とかしてやる。安心しろ」と言ってくれた。ヴォーリオは優しい仲間達に感謝しながら、その日は眠りについた。


 次の日、ヴォーリオは昨日と同じ夜七時に衛兵に「開けよ神門」と言い門を開けさせ、教会の中に足を踏み入れた。演奏はまだ終わっておらず、なぜか深く惹き込まれる不協和音に引きずられるかのように、またしても彼女の肩に手を置こうとしてします。案の定、暴風がヴォーリオに襲い掛かり、昨日と同じ惨状になってしまった。彼女は演奏を終えると、光り輝く女神像を背に、ヴォーリオの元へ駆け寄った。


 「…あんた、私の名前を誰かに言おうとした?」


 ヴォーリオが頷くと、ベティはため息をつき、ヴォーリオの腕を引っ張って祭壇まで連れて行った。


 「真似して。ああ、全能の神、オーディールよ…」


 「ああ、全能の神…オーディールよ…」


 「わが故郷に天災が起こりませぬよう…」


 「わが故郷に天災が起こりませぬよう…」

  

 「我が生命、神のもとにありて…どうか…お救いください…」


 「我が生命、神のもとにありて…どうか…お救いください…っと」


 ヴォーリオが立ち上がろうとした瞬間、ベティはヴォーリオの腕を掴んだ。


 「まだ!まだ早いから!」


 ヴォーリオが女神像を見ると、輝きはより増し、その瞬間にヴォーリオは昨日の記憶を思い出した。彼女の肩に触れようとして暴風に遭ったこと、彼女に怒られたこと。そして、彼女の名前。


 「…ベティ」


 ヴォーリオが彼女の方を見て名前を呟くと、ベティは呆れながらも微笑み、「私の名前は、誰にも言っちゃダメ」と優しく忠告した。


 その後も、ヴォーリオは仲間の手を借りて夜遅くに宿に帰る日々を送った。夜の七時に教会へ行き、彼女と祈りを捧げた後、彼女と雑談なんかをするようになった。彼女の話によると、彼女は生まれてすぐに故郷からある街に連れられたらしく、幼い時から教会のピアノを使ってピアノを習うようになったという。どうやら、前に仲間が言っていたように、『神の使い人』の一人であり、ある日ピアノを弾いているとある曲が頭に思い浮かんだという。その曲を聴いた神父やシスター達は十日のうちに亡くなり、さらに十日目にはかつての彼女の生まれ故郷が大豪雨で全滅したという。それから、彼女が七つの時から周りの人々が彼女と触れ合わなくなり、教会に閉じ込め、夕方時にその曲を誰もいない部屋で弾かせ、贖罪の祈りを捧げていたらしい。それから十つの時にこの街にやって来たようだ。この街に来てからは、周りの人とは触れ合っても名前を決して名乗ることはせず、ピアノを弾いて聴かせる程度にしていたそうだ。まさかヴォーリオのように、ここまで来る人がいるとは思わなかったとベティは言った。


 逆に、ヴォーリオも自分の身の回りについて話した。いつも手助けをしてくれる三人の仲間や、起こると怖い上官。そして、自分の将来の夢。ヴォーリオは幼い時から青空が大好きだった。そんな青空をいつか飛んでみたいと夢見て、今、訓練兵として空軍を目指しているということ。次第に、ヴォーリオとベティは互いに惹かれあうようになるが、ある日、ヴォーリオにとうとう、いずれ来るはずだった時が訪れてしまう。


 その日も何時もと同じように七時に教会に行き、女神像に祈りを捧げた後、彼女と話をする時間になった。彼女が笑顔で「今日どうだった?」と話しかけてくるのをよそに、ヴォーリオは暗い顔をして呟いた。


 「…たんだ」


 「え?聞こえないわよ?どうしたの?」


 ヴォーリオは声を振り絞って、ベティに伝えた。


 「空軍に、入れたんだ」


 そう。ヴォーリオは訓練兵を卒業し、空軍に入隊することになったのだ。しかし、ヴォーリオは念願の空軍入隊の反面、ベティに言わねばならないことがあった。


 「…人手不足でさ。本当はあともう少し訓練のはずだったんだけど、明後日から戦地に行かなくちゃならなくて。だから…」


 「いいじゃない」


 「…え?」


 「いいじゃない!ずっと空を飛びたがってたじゃない。また、もしこの街に戻ってきたら、いろんな話を聞かせてね。明日は、もう来なくていいから。じゃあ、頑張んなさいよ!!!」


 ヴォーリオが「えっまって」と言うのも無視して、ベティはヴォーリオの腕を引っ張り、外へ放り出した。そして、扉を閉める直前、ベティはヴォーリオに別れの挨拶をした。


 「さようなら。…愛してるって、こんな気持ちのことなのかしら」


 扉は締まり、衛兵がヴォーリオを教会の敷地から引きずり出そうとする。ヴォーリオは抵抗しながら、「まって、まだ話がしたいんだ!」と喚いた。ヴォーリオは名前を呼びたかった。しかし、教会の外から彼女の名前を呼ぶことは許されない。その日はひとまず帰路に着き、仲間に慰められながら眠った。そして朝、仲間にこう提案されたのだ。「今日の夜、もう一度会いに行くんだ。これが最期かもしれないだろう」と。ヴォーリオはその一言に突き動かされ、夜七時に教会へ訪れた。


 しかし、衛兵に何度「開けよ神門」と言っても全く通してもらえる気配はない。衛兵は頑なにヴォーリオが教会の門をくぐることを許しはしなかった。しかしそこで、ヴォーリオは強行手段に出てしまう。


 「開けよ…神門!!!!」


 ヴォーリオは唱えるように叫びながら衛兵を突き飛ばし、門をくぐった。すると衛兵は星屑のような塵になって空へ舞い上がった。ヴォーリオは勢いよく扉を開けた。すると、ピアノをいつも以上に強く弾いている彼女の姿があった。彼女に近づこうとすると、やはり暴風が立ち込める。しかし、ヴォーリオはそれも気にせずに立ち向かう。そして、遂にベティの背中を抱き寄せることができたのである。ベティは驚いて弾くのを止めてしまった。そして泣き出してしまった。


 「どうして、どうして」


 ああ、自分のためにこんなに泣いてくれているのだとヴォーリオは思った。しかし、ベティの涙はそれのみではなく、また大きく違った意味での涙なのであった。


 次の日、ヴォーリオは戦地に赴いたが、戦地にて大水害に見舞われ、空を飛ぶ前に息絶えてしまった。それを知ったのは、ヴォーリオの遺骨の入った木箱がベティの元へ届けられたからであった。


 軍人がベティに問いかける。「悔しいか、神の使いよ」…ベティは座り込み、泣きじゃくった。ベティがあの日、演奏を止めてしまったが故に、大水害が引き起こされてしまったのだ。軍人は木箱をベティの元へ置くと、こう言った。


 「正式に神に仕えるならば、この命、還してあげないこともないけれど」


 軍人は、女の顔をしていた。


 「ベティ…いや、ヴェデルティ。空を統べる女神になりなさい。その狂った戯曲などもう弾かなくてもいい。貴女がこの天災の全てを維持するのです。神から与えられし力によって。…あなたの愛する翼とともに」


 ヴェデルティの背中に大きな翼が生える。ヴェデルティはその翼の温もりに、あの日自身を抱き寄せたヴォーリオを感じた。軍人は眩い光に包まれ、女の姿に変わった。


 「今日は星がよく輝く。きっと空の女神が愛する人と出会えたのだろう」

 

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