ホワイトチョコレートとジューンベリーの小即興曲

名取

殺し屋と作家は小説を愛している





 俺は読書が好きだ。

 だが単刀直入に言って、ショートショートは大嫌いだ。




 特に自慢げに「五分で読める」とか謳ってるのは最悪だと思う。読書ってのは、俺にとって自分の世界観を変えることだ。たったの五分で、しかも文字をパラパラと斜め読むだけで自分の人生が変わることを良しとするような、そんなバカに興味はない。そんなに読む時間が惜しけりゃ、読まなきゃいい。それだけの話だ。


 だから今回の依頼は、俺にとっては願ったり叶ったりといった話だった。


 まあ、なぜ『ショートショート専門の小説家』なんていうあまり害のなさそうな堅気の男が、俺のような裏社会の殺し屋を差し向けられることになったのか、そのいきさつはよく知らない。とにかく俺はまさに今そいつの書斎に入り込み、椅子に座った動こうとしないそいつの頭に銃口を向けていた。

「何か言い残すことはあるか?」

 一応そう問いかけてみると作家は、俺の銃をさほど驚いたふうでもなく、妙に冷え冷えとした青い両目でじっくり眺めながら、「君は読書が好きな人だね」と言った。

「もしよければ、君のために一作書かせてくれないか」

「結構だ。俺はショートショートが心底嫌いなんだ」

「だろうと思った。僕も嫌いだよ」

「は? じゃあなぜ書くんだ」

 年若い作家は死人のように暗く笑った。

「世の中には馬鹿ばかりだよ。たった数千字で人生の全てを知りたがる。五分そんなんじゃ、世界観も没入感も現実逃避もあったものじゃない。でも僕にはどうやら、その馬鹿共の、身の程知らずでちっぽけな欲を満たす才能があるらしい。だから本当は長編を書きたかったけれど、それを諦めて、自分にできることで飯を食っていくと決めた。君ならわかってくれるんじゃないかな?」

 俺は少しだけ作家の、銃を突きつけられても動じない、人を食ったような態度が気に入った。

「フン、まあいい。書いてみろ」

 そう言うと、作家は無表情で万年筆を握り、手元の原稿用紙にさらさらと淀みなく筆を走らせ始めた。その所作はまるで熟練のピアニストの艶やかな演奏のようで、思わず見とれるほどに美しかった。執筆は三分とかからなかった。作家は俺に原稿用紙を数枚手渡した。


 題名は『ホワイトチョコレートとジューンベリーの小即興曲』。


「なあ、もう一つ聞いていいか?」

 原稿用紙を片手で受け取りながらも、銃は一ミリも動かさずに俺は聞いた。

「何だい、殺し屋さん」

「お前はどうして命を狙われてる? やばい金にでも手をつけたか? それとも、やばい人間の秘密を知っちまった、とかか?」

「僕は何もしてない。ただショートショートを書いただけ」

「あっそ。で、お前はもうこの世に未練ないのか? えらく落ち着いてるが」

「ないよ。僕は最期に大好きな小説が書けただけで十分だ」

 作家は今度は打って変わって、あどけない子供のようににっこりと笑った。

「さあ、遠慮なく僕を殺してくれ」


 ゆっくりと引き金に指をかけながら、俺は思った。


 こいつのどこかネジの外れた、コロコロと変わる表情から、俺は少しばかり悟っていた。こいつはやはり狂っている。「殺される心当たりがない」というのは本当なのだろう。少なくとも過去に悪意で何かをして、その報復を受けているわけではなさそうだ。そういう純真な目をしている。

 こいつはたぶん心の底から、小説を愛している。

 でもこいつの願いは叶わなかった。こいつには、自分の書きたい「ちゃんとした小説」を書く才能がなかった。代わりに神に与えられたのは、たった五分で終わってしまう、時代が時代なら正式な小説とも呼べないような代物ショートショートを、ただただ大量生産する能力だけだった。

 それでこいつはどうしたか。


 この男には「諦める」という選択肢は初めからなかったに違いない。それがこいつの狂気の本質なのだ。きっとがむしゃらに小説にしがみついた。「それでいい」と。自分に与えられたのがたった二千字程の文章を書く力だけだったのなら、それでもいい。それに命を、魂を掛けよう。そのたった五分間に全力を込めよう。この世のどんな作家にも為し得ない極上のショートショートを書けるのなら、他の何を犠牲にしたって構わない。

 己の正気も、己の喜びも、己の人生も、

 己自身の、統合された人格さえも。



 ああ、俺がわざわざ撃ち殺すまでもない。


 

 




「……どうしたの?」

 俺は銃を下げ、書斎を出た。凶器を下げた時、作家は豆鉄砲を食らったような顔をしていたが、ほんの少しだけ嬉しそうな目をした。どうせ「これでまだ小説が書ける」とでも思ったのだろう。どこまでもバカな男だ。俺が去っても、またすぐに新たな殺し屋がやってくる……そいつらが奴の書斎に来るのが早いか、俺が作家の死を偽装するのが早いか、だ。

 俺は、自分があの狂った作家を存外気に入っていることに自分でも驚きながら、夜の闇の中を歩いた。まだ作品すら読んでいないのに、どうして自分はあの作家がこんなにも気に入ったのだろう。あの生死の曖昧な目だろうか。それとも、あの書斎の時が止まったような雰囲気だろうか。あるいは、物を書いているときの美しい佇まいだろうか。

 何一つ、確かな理由はわからない。

 けれどそれを知るには、この手にある数枚の原稿があれば十分だろう。

 

 空から降ってきた月明かりが、不意に闇を照らした。


 たまにはショートショートを読んでやるのも、悪くはない。


 

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