第283話 化学実験と後輩ちゃん

 

 目の前を歩く後輩ちゃんと楓の仲良い姿を見て、数歩後ろを歩いていた俺は、隣にいるイケメンの裕也を問い詰めた。雪女らしく冷たく睨む。



「わたくしの彼氏が貴方の彼女さんに奪われたのですが、何とかしてくださる?」


「うわぁー。その声止めろ…」



 ドン引きするな。俺から数歩距離を取るな! こっちは演技してるんだ! 本気で引かれると傷つくだろうが!


 俺はちょっと落ち込んだものの、すぐに復活して、再び裕也を冷たく睨む。



「早く何とかしてちょうだいな」


「そう言われてもなぁ。俺からすると、俺の彼女がお前の彼氏に奪われたんだが? お前が何とかしろよ、颯子ちゃん」



 イラッ! 揶揄い口調の裕也がとてもムカつく。口元に浮かぶニヤニヤ笑いが憎たらしい。そして、周りから俺が裕也の彼女じゃないかと噂されているのが気に喰わない。コイツの彼女は、目の前の愚妹だぞ!



「それにしても、滅茶苦茶似合ってるなぁ、二人とも。パッと見誰かわからなかったぜ。男装女装するって聞いてたけど、ここまでのクオリティとは…。そのメイクは誰がしたんだ? 義姉ねえさんか? おっと…今は男になってるけど」


「ああ、そうだよ。基本的に、全部後輩ちゃんがやったよ」


「うわっ。その顔で素の声は違和感ありまくり。キモッ!」



 俺はどうしたらいいんだ!? お前がドン引きしてたし、女声を止めろって言ったから止めてみたのに、その反応は酷くないか? 俺は黙っていればいいのかっ!?


 ムクムクと殺意が湧き上がる。裕也を懲らしめる方法を探す。一番有効な手段は……楓をけしかけることか。



「ふっふっふ…」


「今度は不気味に笑い出した…情緒不安定だな。熱あるのか? 頭大丈夫か?」



 手を額に伸ばしてきたので、ぺちっと叩き落とし、反対の手が伸びてきたので、またぺちっと叩き落とす。それが何度も繰り返され、俺と裕也の間で、どうでもいい戦いの火ぶたが切られた。


 シュパシュパ繰り出される手を、俺はペチペチと叩く。裕也の手が真っ赤になるように叩いて叩いて叩きまくる!



「はーいストップ~! 何イチャついてるの! 嫉妬するよ!」



 ムスッとした楓が俺たちの戦争を止めた。後輩ちゃんも頬をぷくーっと膨らませて拗ねている。


 だから、その顔で可愛くなるのは止めてくれ! 心臓に悪いから!


 楓は裕也の腕に、後輩ちゃんは俺の腕に、それぞれ抱きつくと、ある教室を指さした。



「あそこに行こー! 二人の意見は聞きませーん! 問答無用なのです!」


「なのです!」



 俺と裕也は、恋人に引きずられて教室の中に入った。


 その教室は、何やらいい香りが充満していた。食べ物系ではない。アロマの香りだ。


 ここは化学実験室。黒板には『簡単! 手作り入浴剤!』とお風呂の絵と共に書かれていた。どうやら、手作りの入浴剤が作れるらしい。ちょっと楽しそうだ。



「ようこ…そ…」



 白衣を着た生徒が、俺たち四人を見て固まった。これにはもう既に慣れている。ここにいるのは、イケメンと化した後輩ちゃんに、本物のイケメンの裕也、そして、美少女の楓だ。この三人がそろっていれば、誰だって言葉を失うだろう。



「それで? わたくしたちはどうすればいいのかしら?」



 この四人の中で一番地味な俺は、雪女らしく冷たく睨みながら、凍えるように言い放った。硬直していた生徒がハッと我に返った。その男子は、顔を爆発的に赤らめる。



「え、えええっと! お、おおおお好きな席にお座りください!」


「そう。ありがと」



 俺は後輩ちゃんと隣同士に、裕也と楓のバカップルは対面で隣同士に、一つの机に座った。机の上には説明書が置かれていた。どうやら、二種類の入浴剤が作れるらしい。バスボムとバスソルト。バスボムがシュワシュワする普通の入浴剤で、バスソルトは香りがついた塩らしい。



「葉月さん、どちらを作りたいですか?」


「そうですね。肌の汚れを落とし、疲労回復などの効果があるバスボムと、身体から水分を抜き、むくみを解消するバスソルトですか…。そうなると、バスボムですね。むくみとか無縁なので」


「葉月ちゃん。今、世界中の女性を敵に回したよ。くっ! このリアルチート美ボディめっ! 何が悪いんだ! 私と葉月ちゃんの差は一体何なんだ!」


「まず、胸…ぐはっ!?」



 余計なことを口走った裕也のお腹に、見事なボディーブローが叩きこまれた。裕也は口から泡を吹いて机に突っ伏した。



「ふっふっふ! 私は先輩にマッサージを受けているのです! それが美しさの秘訣の一つです!」


「な、なるほど! そういえば、その通りかも。お兄ちゃんにマッサージされたら調子が良かった気が…」


「俺はしないからな。そこで伸びている奴にしてもらえ」



 俺は口から魂が抜けている裕也を指さす。少し不満げだったが、楓は渋々頷いた。


 結局、俺と後輩ちゃんはバスボムを、楓たちは両方作ることになった。バスソルトは本当に簡単らしいから。


 担当の生徒に準備してもらい、説明書に従って楽しくワイワイと作り始める。


 準備するものは、重曹にクエン酸に片栗粉。あとは精油と水。精油は香りづけ。


 粉を混ぜて、精油を垂らし、少しずつ水で固めていく。入れすぎると反応してしまうらしい。


 家事能力皆無の後輩ちゃんにできるかな、と思っていたら、粉をドバドバ入れて、美しく輝く笑顔でスッと差し出してきた。俺がやれってことね。うん、分かった。もう既に粉をこぼしてるし…。


 俺は二人分作り、裕也が水を入れすぎてシュワシュワと反応してしまうというハプニングもあったが、俺たちは楽しく作ることが出来た。



「完成ですね」



 何もしていない後輩ちゃんが、イケメンボイスで言った。完成したバスボムを見つめながら、その言葉に頷く。



「そうですね。使ってみるのが楽しみです。早速今日如何ですか?」


「いいですね。一緒に楽しみましょう」



 俺と後輩ちゃんが今日のお風呂を楽しみにしていると、周囲に大きなどよめきが走った。全員が俺たちをまじまじと見つめている。ほとんどが顔が赤い。手で覆ったり、瞳をキラッキラさせている。



「な、何か?」


「どうしたのでしょうか?」



 対面に座る楓が、やれやれと呆れたため息と同時に言った。



「美男美女のバカップルが、さも当然のように一緒にお風呂に入る約束を、人が多いこの場所で堂々と言ったからだよ。理解した?」



 俺と後輩ちゃんは顔を真っ赤にして、恥ずかしさで背中を丸め、俯きながら小さく頷いた。


 うぅ…恥ずかしい。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る