人形だったものたちの遊び場
チクチクネズミ
第1話 廃校に侵入
コンクリートの檻の入り口が、LEDに入れ替わった街灯の青白い光で錆びを浮かびあがらせる。この檻の中に入るのは何年ぶりだろう。あの中で人形だったころを今でも思い出せる。
柵に足を引っかけて私はその檻の中に入っていく。まだ人がいた時は事務員さんが丁寧に刈っていた裏庭の草は、自由を取り戻して伸び始めていた。底が平たいスニーカーを履いていたから、くるぶしに刺さりチクチクする。これ選んだの失敗だったな……
母校が廃校になるとの話を聞いたのは二週間前だった。帰省で家に帰ったタイミングでたまたま友人のラインから『生徒数減少で他校と統合する』とスクショで撮ったお知らせの紙を添えて。紙にはそれ以外には、特にお別れ会も催すこともなかった。私のおばあちゃんも通っていた伝統ある中学校であるくせに、感動の余韻も何もなく壊すなんて大人の都合とは無常なものだ。
私個人としては、この中学校に特別な愛校心は持ち合わせていない。
だからこそもうちょっと芸とかドラマぐらい見せてほしかった。タイムカプセルを掘り起こすとか、昔の生徒を集めてパーティーをするとか。でもタイムカプセルは埋めたこともないし、パーティーのお知らせの紙一枚も来なかった。私の母校はどこまでも堅物で子供を入れる容器でしかない。
放送に流れる音楽もクラシックとかディズニーとか当たり障りもないものばかりでつまらなかった。それをそばで延々聞き続けていたのは苦痛だったのが今でも思い出せる。
二宮金次郎像を抜けると、窓が一つ空いていた。空いた窓には月明かりが道を作るように銀の光を差し込んでいた。もうあいつ入っているのかな? 不安と期待がチョコバニラアイスのように混じって、そいつが侵入したであろう窓に後追いで入っていく。
風でスカートのようにふわっと浮かんだカーテンを暖簾のように払って抜けると、不思議の国のアリスのような錯覚に陥った。教室が小さい、目の前に乱れなく真っすぐ一列に並んでいる机は子供のおもちゃのように小さい。けど黒板の前にある目をやると、アリスが薬で元の大きさに戻ったように錯覚が消失していく。
「ここ一年の教室か。どうりで小さいと思った」
黒板に消し残ったチョーク跡が浮かんでいて、薄っすらと『一年』の文字が見えた。伸ばしたら自分の腕より短い机と、二十になってふっくら大きくなった私のお尻ではみ出てしまう椅子で教室は構成されていた。
ここから見ると、黒板と教卓以外全部お人形遊びのセットのようだ。けどそのセットの中に私たちはなんとも思わず座って、授業を聞いていた。
そして人形を操るのが先生。少しでも自分の指示通りに動かない子は怒り、指示通りに言うことを聞く子は褒められる。教室とは人形遊びを大きくした場所だと、自分もお人形遊びしていたくせに小学生の私は気付かなかった。
突然ドアが開かれると、見知った顔の男子が現れた。
***
突然ドアを開かれると、見知った顔の男子が現れた。
「真田、今日何かけんの?」
先生から指定された曲のリストとにらめっこしていたら、君島がポケットに手を入れながら放送室に侵入した。
君島は放送委員でない。ただの馬鹿なお調子者、何かと失敗しては先生に怒られる。お母さんからも、あんなのと相手してはだめと念を押されるほどだ。
今日の給食に好きなおかずがあってもを楽しむ余韻もないほど早めに食べ終え、昼休みに流す音楽を決めるのが私に与えられた仕事。それを邪魔される前に追い返そうと試みた。
「ここ放送委員以外は立ち入り禁止よ」
「いいじゃん、先生来ていないし」
「来ていなくてもダメなものはダメなの」
警告虚しく君島は無遠慮に入ってきて、後ろの机に置いていたCDケース箱の中に手を伸ばしてケースの中身を見る。プラスチックのケースがカチカチと小さく軽い音を鳴らしながら曲を探していた。
「え~と『星に願いを』これディズニーだろ。それと第九まじわりひびき曲?」
「第九交響曲よ。ベートーベンの」
曲名を伝えるがピンと来ていないようだったので鼻歌で再現して歌ってみせた。第九交響曲の結構有名なフレーズの部分に差し掛かったときに君島が「ああ~!」と上ずった声を上げて思い出した。けど、すぐに消沈した表情に戻った。
「それ先週もかけていた曲じゃん。もう飽きた」
ほんとそれ。もう飽きちゃった。
放送委員は学校で放送を流すのが役目、昼休みの間は音楽を流して生徒を盛り上がらせる。けど実態は、先生に言われた原稿を読み上げ、指定された音楽をかける。けど他の音楽を流したら先生に呼び出させる。
帰りが遅くなった理由をお母さんが問い詰めて、内申点が取れなくなると怒られる。私立に行くんだからと成績と日ごろの評価は大事と口酸っぱく。
それならもう先生に従った方が変な気をもまずに済む。
君島が変な気を起こす前にさっさ追い返す。
「別に君島が飽きてもほかの子がそうじゃないかもよ」
「みんな飽きたって言ってたぞ。今どきの音楽とか流せよって。嵐とかSMAPとかAKBとかさ。絶対そっちの方が盛り上がるから」
君島がお返しと言わんばかりに嵐の曲を鼻歌を歌ってみせた。無機質な放送室の中で、君島の歌は良く響いていた。鼻から流れる旋律に流れるように、いつの間にか目をつむっていた。
iPodを持つのは早いとテレビで流れてくる音楽しか聞いていない。テレビの音が消えると、自分の部屋で無音の中、受験勉強をしているときゅうと心臓が縮こまってしまうさびしさを紛らわせるため、心の中でくりかえして曲をかけていた。だからさっき鼻歌で音楽を再現できた。けど、みんなから同じ話題を共有できない。だって私が知っている音楽は、私の頭の中で再現した音楽だから。
ノリノリの曲調に差し掛かったところで、咀嚼音が混じってきた。目を開けると君島が今日の給食で余っていたコッペパンをご丁寧にマーガリンまでつけて食べていた。
「ここ飲食禁止!」
「いーじゃん。真田さ、せっかく先生から見つからない秘密基地があるんだからもっと自由にしたらいいのに」
「だめ。先生が来たら本当に怒られるから」
自由にした方がいい? こっちの事情も知らないで!
放送室の扉の向こうで先生がいついるかもわからない中で綱渡りなんてしたくない。もう出てってと、彼の脇を抜けて扉のドアノブに手をかける。
「今日まだ曲流れてないね」
向こうの廊下で生徒の声が聞える。扉についているガラス窓から覗くと私より少し背が小さい、たぶん一年生の子だ。
「いつも同じ曲だから別にいいんじゃない、つまんない同じ曲しかかけないを委員に入れないでほしいよな」
「だよね。なんか先生が曲を入れて流しているみたい」
生徒二人はここのまえが放送室だと知っていたのだろうか、そんなことをいいながら話題を変えて過ぎさると私は先生に注意されないほど模範的な長いスカートをぎゅっと握りしめた。
あの生徒二人がどこの誰か知らない。でもあの二人は私を知っている。
つまらない曲を流し続ける放送委員として。
私だって好きで同じ曲をかけたくない。嵐もミスターチルドレンも、いろんな曲を聞いて流したい。でもできない、怒られるのも嫌だし。なにより、フレーズは知っても曲の名前を知らないから。
君島が歌ったあの曲も何て名前か知らない。
だから私はつまらない曲しか知らない、つまらない放送委員なんだ。
みじめだ。
突然、ウィーンと放送室のCDを入れる機械が入っていくのが聞こえた。
「曲入れておいたから」
「ちょっと勝手に」
扉から、CDラックから一体何の曲を入れたのか探した。今日流す曲はディズニーソングと決まっていた。他の曲を入れたら怒られる。
焦燥にかられてケースを探る。けど、どのCDもケースに全部入っていた。そして機械から流れてきた音楽は、低音の男の人が英語で歌う音楽だった。
「コレ、CDラックに入っているものじゃない」
「昔父さんがクイーンってグループにハマっていてさ。俺も聞いたらめっちゃ良くて、真田にも聞いて流してもらうと思って」
流れてくる音楽は不思議だった。手拍子と足を踏むだけの音かと思えば、次の音楽はギターだけと私の頭で記憶できないほど全く曲調が違う。
「全然違う音楽を歌っているね」
「さっそく真田ハマったな。聞かせて正解正解。さっきの曲は」
その曲の名前を教えてもらいながら、初めて聞く音楽を何度も頭でリピート再生する。こんなことしないでさっさとCDを取り出せばいいのに。
でも。
私はどこか安心していた。
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