ひとくちミステリ
はんげつ
運の尽き
礼子の殺害を実行するため、彼女の家へ車でやって来た俺を、礼子は優しく出迎えた。俺と彼女が抱えている問題のことを考えればおかしな態度ではあるが、俺は礼子の家へあがった。
その後、牛乳が好きなあまり、決して他人に分け与えることのなかったあの礼子が、二杯のコップに牛乳を注ぎ、そのうちの一つを俺に差し出してくれた。
これまた妙だとは思ったが、向こうから飲み物を用意してくれたのはラッキーだった。俺の計画では、彼女に睡眠薬入りの飲み物を飲ませなければならなかったのだ。渡りに船とはこういうことではないか。
礼子が席を外した隙に、彼女の牛乳に睡眠薬を入れた俺は、勝利を確信した。
眠った礼子を車に運び込む作業はつらかったが、これもなんとかなった。その際、彼女を寝かせておく後部座席に、担架と、礼子が愛用している座布団二枚を事前に敷いておくことも忘れなかった。俺の考えたアリバイトリックの要となる部分だ。
眠っている彼女を乗せた車を自宅まで走らせてガレージに停めた俺は、かねてより約束していた会社の同僚たちを家に招き、麻雀卓を囲んだ。しばらくしてからトイレに立つふりをして卓を離れると、ガレージに向かい、礼子を絞め殺した。その後、何事もなかったように同僚たちのもとへと戻り、徹夜で麻雀を続けた。
同僚たちが帰ると、俺は亡き者となった礼子を車に乗せて、彼女の家まで送り届けた。担架の上に載った座布団と礼子を、担架ごと背に担ぎ、彼女がよく昼寝をしている居間へ運んだ。そして、座布団の上で死んだという状況に見えるよう、床に置いた担架から礼子と座布団をスライドさせた。
物盗りに殺された風を装って、一応、金目のものを奪い、部屋を荒らしておくが、これは小手先に過ぎない。俺には鉄壁のアリバイが発生するからだ。
おそらく、死亡推定時刻は俺が同僚たちと麻雀卓を囲んでいる時間帯におさまるはずである。その時間帯、俺が中座したのは最大で五分程度ということになる。その短い時間に、俺の家から車で往復三十分もかかる礼子の家まで行って彼女を殺すということはできない。礼子は彼女の家で殺されたと警察は考えるだろう。そう考える限り、俺のアリバイは揺るぎのないものとなるのだ。
俺は自宅で、事件を知った警察がやって来るのを待ちながらほくそ笑んでいた――
……というのが、俺の描いたシナリオだった。
なのに俺は今、腹が痛くてしかたがなかった。
――クソッ! なんでこんな時に!
礼子を車の中で殺す。ここまでは順調だった。しかし、居間で麻雀をしている同僚たちに気づかれないよう玄関の戸をゆっくり開けたところで、俺は腹の異変に気づいたのだ。
――きっとあいつが出した牛乳のせいだ……
一時間前、彼女が入れてくれた一杯の牛乳のことを思い出す。普段、決して自分以外に牛乳を分け与えることのなかった礼子が、俺に差し出してくれた牛乳。
礼子が席を外した隙を狙って、相手のコップに睡眠薬を入れた俺は、まさか相手が同じようなことをするとは夢にも思っていなかった。
――礼子のやつ、下剤を入れやがったな! ぐっ……
尻の下でまた水が音を立てる。
腹痛に耐えられず、自宅のトイレに籠もりはじめてから、かれこれ二十五分が経過していた。三十分以上席を外してしまうと、俺のアリバイトリックは成り立たなくなってしまう。
――五分の中座のはずだったのに、二十五分の便座になってしまった……
一方の牛乳に入れられた睡眠薬が相手を殺し、もう一方に入れられた下剤が自分を殺した相手の人生を終わらせようとしている。
時間は刻一刻と過ぎていく。
二十七分、二十八分、二十九分……
――クソッ……運の尽きか。
俺が中座してから三十分が経とうとしている――
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