第18話・後光のひと
秋になった。もうすぐ、上京してからまる一年だ。マンガを描いて一日をやり過ごす生活にも、江古田の酒場をめぐる生活にも馴染んできた。デビューを機に、アシスタントの仕事はとっととやめた。名実ともに独立を果たし、気持ちはスッキリだ。
キンモクセイが香っている。「コミュニティ銭湯・浅間湯」からの帰り道だ。昼間のひとっ風呂は気分がいい。ラフな出で立ちで、小脇に風呂桶をかかえ、日芸の正面門の前を通りかかる。そんなある日のことだ。
「おっ、学祭・・・?」
日芸キャンパスが華やかに飾り付けられ、盛大に「芸祭」が開催されているではないか。すごいにぎわいだ。中庭に組み上がったステージ上の巨大アンプから、ド下手なギターと女子のキンキン声のロックが鳴り響いている。「おでん」「焼き鳥」「韓国風なんとか」「タイ風かんとか」・・・学生たちが企画した思い思いの屋台が軒を並べている。客引きの声も高らかだ。日もまだ高いうちに、健全なことだ。わが金沢美大の学祭は、夜から朝にかけてのめちゃくちゃな雰囲気だった。騒ぎっぷり、乱れっぷりは、母校のバンカラな雰囲気とは比べるべくもない。が、東京の大学におけるオシャレな雰囲気が味わえて、こちらもなかなか愉快だ。しばし楽しもうと、屋台で缶ビールを買い、タコ焼きを片手にそぞろ歩く。
ふと、このキャンパスにおける支配者階級・カイさんに出くわした。顔の広い彼女は、いつも校内をパトロールし、隅々にまで目を行き渡らせてくださっているのだ。この日も、何人かの取り巻きの中心にいる。
「あ、杉山さん。紹介するよ、これ、あやちゃん」
彼女はいつもオレに、自分の友だちである女の子を紹介してくれる。しかし、決して手は出させまいと、ブロックは怠らない。いったいなにをしたいのだろうか?
そのときだ。オレは突然、まばゆい光に照らされた。南無不可思議光。なんと尊い輝き。光源は、デザイン棟の方角だ。そこに階段があり、ひとりの人物が上階からエントランスに姿を現したのだった。「後光さす彼女」はこちらに顔を向けた。その光の塊とも表現すべき女の子は、ぽわ~んとした視線をゆらゆらと落ち着かなげに投げかけつつ、小首を傾げている。近眼なのだ。
「あ、みさちゃん。こっち!」
カイさんが、女中を呼びつける温泉女将のように、手をしゃくった。みさちゃん、もカイさんの配下のモノのようだ。そのときだ!
「ハセガワさん・・・」
オレの記憶がスパークした。大マンガ家・山田さんの忘年会で、薄みどり色の長すぎるタイツをひざにたわませていた、あのポカンとした謎少女ではないか。周囲の喧噪から完全に独立して、茫洋とたゆたうような空気感が印象に残っている。いや、正確に言えば、印象にはほとんど残っていない。凡百の容姿に、静的な性格。そんな彼女が、なにゆえに今、光に包まれているのか?
「あ、かいさん~」
ハセガワさんは、てててと音を立てながら近づいてくる。どの一歩一歩もおぼつかなく、次の足を繰り出せばつまずきそうだ。が、転びそうで転ばない。そんな調子なのに、彼女から放たれる後光は強まる一方だ。ところが、カイさんには彼女がまぶしくないのか、平然とした顔をしている。
「みさちゃんは、私のタロット占いのお手伝いをしてくれてるんだよ」
常に自信満々のカイさんは、この芸祭でタロット占いの小部屋を設け、迷える小羊たちを正しい道へと導いているのだという。ハセガワさんは、魔女見習いの格好をしてカイさんの傍らに立ち、惑いを払った子羊ちゃんに向けてマジカル棒(?)をくるくると振って、「しあわせになりますように・・・」と言う係なのだそうな。
ハセガワさんが、ついにオレの真向かいに立った。
「こんにちは。わたしをおぼえていますか?」
彼女は、すべての言葉をひらがなで発音する。幸いなことに、オレのことは覚えていてくれたようだ。それにしても、この目くらむような光線ときたら・・・なんという激しい信号だろう。これは極めて強い神様からの示唆であることは疑いがない。まぶしい。耐えられない。
「あの・・・」
ハセガワさんはキョトンとしている。彼女はいつでもキョトンとしているのだが、いつもよりも多めにキョトンとしている。オレはその場で、翌週にデートをしてくれるように申し入れていた。
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