1章 2

 日が変わって水無月が教室に到着すると、いつものことだがいつもとはちょっと違って教室内は騒がしい。


 自分のイスに荷物をおいて

「なにかあったの?」

 談笑していたクラスメイトに話しかける。

「あ、それがさー。男子が言うには今日このクラスに転校生が入ってくるんだってさ」

「へー」

「それでさっきから男子が、転校生は女の子だよって騒いでいるわけ。

 もっともどっちかはわからないみたいだけど」

 なるほど。と相槌を打ちながらクラスの男子の方へと目をやる。確かに浮き足立っている様子で男子は男子で会話に花を咲かせている。

「男子ってほんと、単純だよねー」

 笑いが起こる。

「でもあたしとしては女子でもいいけどね。っと、みんなおはよー」

 たったいま教室に入ってきた少女が、カバンも置かずに会話に入ってくる。

「うん、おはよ理恵子」

「おはよー」

「相良さんおはよう!」

 それは会話をしていたこのグループだけでなく、教室内にいた全員が彼女へと挨拶を返していた。


「それで、理恵子は女子でもいいの? ほら、かっこいい男子かもしれないよ?

 うちのクラスの男子とは違ってさ」

「おいなんだよそれはー」

 今度はブーイングが水無月へと飛ばされてくる。

「そういうことさらりと受け流すのが、かっこいい男子の条件だと思うよ」

 教室内で起こる笑い声。

「あらあら留美きっつー。でもさ、女の子だったら一緒に話したり遊んだりできる友だちが増えるじゃない。それってあたしたちにとってもいいことなんじゃないかな?」

「うーん、言われてみればそうかもね」

「そ、そうなのそうなの。もちろんかっこいい男子だったら嬉しいけどね」


 だよねだよねと盛り上がる女子たち。その後も転校生の話題は尽きずに、担任の教師が教室にやってきた頃にようやく打ち切られるが、喋らないだけでクラス中の視線は教師が入ってきたドアの先に向けられていた。

 くもりガラスに誰かの人影が写っている。

 写っている人影は背丈はそれほど高くなくこれでは性別はわからない髪型はしっかり写っていないが長くはなかった。ショートカットの女の子。男子たちの目が輝きっぱなしである。

「えーっとだな」

 わざとらしく咳払いするが、クラスの誰も姿勢を正さないので

「今日転校生がこのクラスに来るってことはどうやら全員知っているようだから、早速入ってきてくれるか」


 教室内が騒がしくなるなか、ドアがゆっくりを開かれて入ってくる人物。クラスの全員の視線が自分に集まっていることに怯えつつ黒板前まで移動。ついてくる視線にやはり怯えつつ、教師に手渡されたチョークで黒板に自分の名前を書いていく。

「秋山玲です。今日からこのクラスでお世話になります。よろしくお願いします」

 軽く頭を垂らす。頭を上げて自分を見てくる視線視線また視線。

 深呼吸してもう一度

「お願いします」

 そう口にした。


 一瞬の無音のあとに

「きゃーかわいいー」

「私は桐谷です! よろしく秋山くん。……秋山くんでいいんだよね?」

 騒ぎ出す女子とは別に男子はまだ戸惑っていた。自己紹介していた女子と同じ戸惑いで、秋山玲の姿を眺めながら各々首を傾げる。この中学校は他と同じで、男子の制服はズボンで女子はスカート。秋山玲はズボンを履いているので男子、のはずなのだがどこか女の子のようにも見える。声変わりしていないので声も高く、例えばこれが女子の制服に身を包んでいたら女の子と見間違えてもおかしくない。

 この手の疑問に離れているのだろう。クラスメイトの質問に答える。

「うん、君でいいですよ桐谷さん。ボク、男の子だからさ」

 質問の答えに女子から黄色い悲鳴が飛び交った。


 フィーバーは昼休みでもまだ収まらない。止まらなさすぎて一部の女子が他の女子に止められるほどだ。ここまで彼一人が騒がれれば男子から疎ましく思われるかと思えば、壁を作らない少年の性格に、男子たちからも受け入れられていた。それは水無月留美も同じだった。

「まぁ、実際かわいいもんねぇ」

 相良の言葉に水無月も、弁当箱から卵焼きをつまみ上げながら頷く。

「母性本能をくすぐるって言うのかな? あたしたちにはまだまだ早いけど、子どもを持ちたい気持ちってこう言うのかな?」


「でもさ」

 卵焼きを半分ほど口に入れて、それを飲み込んで

「一部の男子がなんて言うのかな? おかしな目線で転校生のこと、見ていない?」

「おかしな目線?」

「うん、なんだっけこう言うの? BLって言うんだっけ?」

「ブッ!」

 飲みかけていた牛乳を吹き出す寸前まで戻して、相良は自分のキャラとしてそれはできないと、かろうじて口元から一筋牛乳を垂らす程度に納めた。

「あー、留美?」

「ん? なに理恵子?」

 深い意味は知らないのだろう。キョトンとしてる水無月に顔を近づけて

「えっとさ、そういうのはあまり口にしない方が賢明だよ」

 言われてもいまいちよくわかっていない彼女だったが

「そうなの?」

「そうなの」

 親友の言葉にとりあえず頷いた。

「あーもう、留美は本当にさ、純粋だよね」

 ため息つきつつ呟く。イスに座り直して

「でもさ、それがちょっと危なっかしくもあるんだよね。純粋ってことは汚れを知らないって言うかさ、危ないと危なくないの境界線がわかっていないって言うかさ」

「ねぇねぇそれって褒められているの?」

 首をかしげて聞いてくる彼女に、また相良は深々とため息をついた。一方の転校生の秋山は、質問攻めにあってしまってなかなか昼ご飯に取りかかることができなかったが、なんとかそれも一段落してようやく箸をつけ始めていた。弁当箱のふたを開けて、箸を取り出して小さく「いただきます」と呟いて中身を口まで運ぶ。


 一週間も過ぎれば転校生が運んできた騒乱も収まりを見せ、しかし転校生自身はこのクラスになじんでいた。

「おはよう水無月さん」


 先に教室に来ていた水無月の席は窓際後方。あとから教室に入ってきた秋山はやや前方中央の席。わざわざ教室の後ろまでやってきて、至近距離から挨拶する。クラスメイトだから別におかしくはないと、この時の彼女はそう思っていた。

 おはようと返してすぐに水無月は窓の外を眺めた。今日はあいにくの曇り空。念のためにと通学カバンの中には折りたたみ傘を入れてきている。雨が嫌いではなかったが、雨によって濡れるあるいは汚れるのが嫌いだった。出来れば降らずにこのままの曇り空でいて欲しいと、願望の色を込めてじっと空を眺めていた。

「留美、もしかして眠いの?」

 いきなりそんな言葉をかけられて

「え?」

 いつの間にかしていた頬杖をやめて振り返ると

「やっ、おはよ」

 そこには相良理恵子が立っていた。

「おはよう。うーん。なんだろう。眠いってのは否定出来ないかなぁ。万年眠いからねー。いつも元気な理恵子がちょっと羨ましいよ」

「じゃあ分けてあげようか?」

 すると相良は椅子に座る水無月の横で膝をついて、彼女の首筋に手をかけて軽く引き寄せて――

「うわあのちょっと理恵子? さすがにこれはすっごく恥ずかしよ……」

 おでこ同士をくっつけあって水無月のすぐ目の前に目を瞑っている相良の整った顔がある。

「ん、でもこれであたしの元気が留美に移ったと思うよ。

 どう? 元気出てこないかな?」

「恥ずかしさだけ溢れてきたかな……」

 おでこを離されて顔を赤くする。あたりをちらちら見るが誰にも見られていないようで、ひと安心する。と思ったらまた顔を近づけられて

「ひゃ!」

 またおでこをくっつけられるんじゃないかとイスから立ち上がろうとするが、肩を押さえられて顔が近づいて

「あたしのところからは見えなかったんだけどさ、留美がいま安心していたのを見ると誰もこっちに注目していなかったってことだよね?」

「え?」

「いやさ、今さっきあたしが教室に入ってきたらなんだか転校生くんが留美のことをずっと見ていたんだよね。あたしが入ってきたのに気がついたら目を離したんだけどね」

「秋山くんが?」

 今は相良が近づいてきているので、秋山が座っている辺りをうかがうことはできないが、さっき見回したときは彼を含めて誰もこっちを見ていなかった。だからこそ安堵のため息をついていた。

「あたしが教室に来る前になにかあった?」

 言われて思い出す必要もなく

「ううん。だって秋山くんが来たのも理恵子のちょっと前のことだよ。おはようの挨拶をしたぐらいだし」

 答えられて首をかしげて

「じゃあなんだろう……」

 考えて考え込んで「あっ」ひらめいた。

「いやいやでもそれは……」

 ジッと水無月の顔をのぞき込む。?を頭に浮かべている彼女から今度は振り返って教室内を眺める。


「意外と悪くない組み合わせかも?」

 うんうんと自分の考えに頷いた。

「なになに、なにがなの?」

 そんな親友の行動の意図が理解できなかったので同じように教室内を見回すが、親友は振り返ってニヤニヤと笑みを浮かべているだけでなにも教えてくれない。それどころか

「いやいや留美はまだ気づかなくていいんじゃないかなー。っていうか、気づかないままそのときを迎えればいいんじゃないかなー」

 ますます脳内にクエスチョンを浮かべる。

「あー、でもそういうことにあるとアイツが可哀想になるかな。でもここぞと言うときに根性がなくなるアイツが悪いんだし、それにまだ留美がどう想っているかってのもあるし、うん。がんばれ」

 別のクラスの誰かへとエールを送った。

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