#56 不正ログイン

 自宅に戻った頃には既に夜。外から聞こえてくるスズムシの鳴き声がいかにも夏の夜ですよって風情を醸し出している。


 シャワーを浴びて日中にかいた嫌な汗を洗い落とし、すっきりした後は冷蔵庫に入れておいた朝食を機械的に口の中に放り込み、そして飲み込む。


 これで準備はOK。


 アリサから奪ったVRヘッドギアを頭に装着し、部屋のベッドに横たわる。香水のような女の子特有の匂いが微かに感じられた。その匂いがいかにもアリサの持ち物だってことを主張しているようで厭になってしまうね。


 そんな匂いを無視して俺はヘッドセットのスイッチを入れる。


 そうしてしまえば匂いなんか感じられない。俺の意識は仮想世界へとダイブしていく。続けてアリサの言っていたログインIDとパスワードを入力すると、何の問題も無くログインが出来た。


 さて、俺は今からアリサとなってDOMに降り立つ。中身が変わろうとも、ゲーム内のアバターと声はアリサのままなのでよほど変なことをしなければ、バレることも無いだろう。


 あの写真と音声をすぐに拡散してしまおうかとも考えたけど、ただ殺してしまうのはなんだか惜しい。ほら、一気に首を切り落として楽にさせてしまうよりも、腕を切り落としてから殺した方がより相手に苦痛を与えられるだろう? その腕を斬り落とすよりも前に爪を一枚一枚剥がし、指を切り落としていった方が更にダメージを与えられる。そんなわけでネット上に拡散するのは後に回しておくことにした。


≪フィロソフィの家≫


 目を開けると以前に俺が忍び込んだ時に見たベッドの上。つまり、ここはフィロソフィの家のベッドの上だ。


 自分の身体に違和感がある。頭を触ればサラサラの長い髪、胸には小さな2つの柔らかな膨らみ。ああ、俺は女の子になってしまったんだ。


 辺りを確認してみるけど、幸いなことに家主の姿はない。ベッドの上に居るという事はチャHをやった後ということなのだろう。


「現実世界でもヤッて、ゲーム内でもヤッて、フィロソフィの性欲底知らず。絶倫かよ……」


 まったく呆れてしまうな。いくらゲーム内とは言え、こんなベッドの上に居るのは気持ちが悪い。とっとと抜け出そう。


 階段を下りて、玄関のドアを開けようとしたときフレンドチャットが飛んできた。


『おー、アリサ、ようやく戻ったか』


 フィロソフィに声を掛けられ、一瞬ドキリとする。アリサのアカウントでログインしているのだからアリサとは俺のことである。大事なのはここからだ。口調をアリサに似せなければ怪しまれるかもしれない。ここからが俺のネカマプレイの腕の見せ所だな。


『マスター、ただいま戻りました』


『そういや、アリサ。連絡入れたのにどうして反応してくれなかったん?』


 うん? 反応が無かった? 当然連絡が行ったのはアリサのスマホにだろう。反応がないということは、アリサは言われた通り怪しまれるような行動は慎んでくれているってことだ。脅しをかければ言うことをちゃんと聞く、案外従順な子なのかもしれない。


『……実は、テストの点数が悪くてスマホを親に没収されちゃったんです』


『ったくアリサはアホやなあ、テストの勉強くらいちゃんとやっとけよ』


 とりあえず適当なことを言って誤魔化しておく。まずは軽いジャブから攻めていこう。


『えへへ……。それで夏休みにもなったので今度は現実世界のマスターの家に遊びにいこうかなって思っているんですけど、マスターってどこに住んでいるんですかぁ?』


 俺は甘ったるい声を出してフィロソフィに尋ねる。こうやってストレートに聞くのは流石に不自然だろうか。だが本人にこうやって聞き出すほか方法はない。


『おいおい、俺の家は家族が居るから駄目だって前に言ったやろ~?』


 はい、早速出てきましたね。1つ目の情報“家族が居るから”。


 家族が居るってことは、恐らくフィロソフィは既婚者。年齢からしてもそう考えるのが妥当だろう。自分の家ではなく、ラブホで会うようにしていたのもそれが理由のはずだ。


 その言い方からして、アリサは既に既婚者という事を知っていたんだ。にも関わらずアリサは純愛だなんだと言っていたのをみると、相変わらず脳内お花畑というか、なんというか……「家族を捨てて私のもとに来てくれるのよ」みたいな感じで信じ切っていたんだろうな。


 だが未成年と付き合っているということは自覚しているらしく、それなりに警戒しているようだ。アリサに名前を教えていないのも、こういった危機管理が出来ていたからなのかもしれない。流石は大人と言ったところか、アリサのように一筋縄ではいかない。


 まだまだ聞きたいことはあるのだけど一気に聞くのは少々危険だ……時間はまだまだある。一旦ここまでにしておくか。


『せや、23時からギルド戦に向けた会議をするから。俺んちに集合な』



『会議ですか、分かりました。ところでマスターは今何をやっているんですか?』


『レシピ狩りで金策中や』


『レシピ狩りなんて珍しいですね』


『金が必要になったんでね、面倒だけどやらなあかん』


『そうですか、頑張ってください!』


 …………


 そんな感じで話を一旦終わらせる。


 さて、フィロソフィが居ないうちに、あの圧縮ボックスでも掘り返してくるか。シエルで取っても良かったんだけど、持っただけで垢BANされたらたまったもんじゃないからな。アリサには汚物を触るゴム手袋になってもらうとしよう。


≪クレーア平原≫


 ワープリングでマレットの町まで飛び、そこから南下して圧縮ボックスの埋めてあるクレーア平原に到着する。草原に大きな岩がぽつぽつと点在しているだけで、相変わらずここらへんは過疎エリアだ。この調子なら掘り返されるという心配も必要ないだろう。例の岩の陰に移動し、再び圧縮ボックスを掘り返す作業に移る。


 残念なことにアリサも魔法職なので、杖で掘り返していく形になる。苦労しながらガリガリと地面を掘っていき、カツンと何か固いものに当たる感触。ここからは手作業で土を払っていき、目的の圧縮ボックスを取り出す。


「……よし、あったな。あとはこれをフィロソフィに渡せば完璧だ」


 フレンドリストを確認するとフィロソフィは現在レシピ狩り中。カジノの仕様の裏をついた金策はもう修正されてしまったので、渋々レシピ狩りに移行したんだと思う。フィールドで金策なんて滅多にしない人なのに、こうしているってことはフィロソフィも恐らく金欠。工作員を雇うことでお金が必要になっているんだろう。人件費って予想以上に必要になるもんな、そこは同情するよ。


 つまりだ。金欠のフィロソフィはこの圧縮ボックスに入っているこの“穢れた遺産”に手を出さざるを得ないってワケだ。


≪アリサの家≫


 アリサの家の前でフィロソフィの帰りを待っている。フィロソフィには会議の前に「渡したいものがあるの♪」なんて胸ときめく台詞を言っておいたので、間違いなく来てくれるはずだ。


 ちなみにアリサの家はレンガ造りの四角い家だが、インテリアに興味が無いのか庭具や家具が全くと言ってもいいほど置かれていない。そもそもアリサはフィロソフィの家に入浸っているのだから、こんな家など必要ないのだろうな。


 それと、アリサのステータスや所持金なども確認させてもらったが、なかなか金を持っている。これは後で利用させてもらうとしよう。


 ……なんて思っている内に、フィロソフィはワープリングを使ってここに飛んできた。


「おかえりなさい、マスター♪」


 俺はパタパタとフィロソフィのもとに駆け寄り、笑顔を作って見せる。そうして、手にはあの“圧縮ボックス”。


「で、渡したいものってなんや?」


 こんな美少女が愛想よく振る舞っているのだから、もうちょっと喜んでくれてもいいのに、なんて不満を心の中で呟きながら俺は圧縮ボックスをフィロソフィに差し出す。フィロソフィは片手でそれを受け取り、怪訝そうな顔でそれを見つめている。


「換金すれば大量のお金が手に入る物が入っています。開けてみてください」


 フィロソフィは乱暴な手つきで圧縮ボックスを開封する。すると出てきたのは12個の天使の宝玉。これが推定6億ヴィルのアイテム……。他のアイテムとは明らかに別ランクのものですよって言わんばかりに眩い輝きを放っている。


「ファッ、天使の宝玉!? アリサ、そんな高額な物を俺にプレゼントしてくれるんか?」


「えへへ、いつもお世話になっているお礼です」


「そうか……そんなに俺のことを思ってくれているんやなッ!!」


 そう言ってフィロソフィは俺にガシッと抱き着いてくる。いくらフィロソフィのアバターが女でも、中身がおっさんだと知っていては気持ち悪いです……。苦笑いをしてどうにかそれっぽく装ってみるけど、アリサはよくこんなの耐えられるよなぁ。これも愛の力ってやつなんだろうか。


 フィロソフィはその天使の宝玉を怪しむ様子もなく、そのまま道具袋の中にしまい込んだ。それを見届けた俺は心の中でガッツポーズを決める。


 よし、これで穢れた遺産の受け渡しは成功だ。あとはセレスティアスの作戦会議とやらに出てくるとしよう。

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