第15話 オルトロスの犬
「そもそも双子を受け入れた時点で君も覚悟すべきだったんだよ」
奇妙な翼を持つ堕天使ことルシフェルが低く笑う。まるで俺たちを嘲るように。
「味方がいるとでも思ったかな。だがここは天界から見放された連中が集まる場所だ」
ここが俺たちの戦いにふさわしい場所なのだと言いたげだ。確かに天界と比べれば空気は澱んでいるし、光もない。
闇のなかにとらわれていた間なら疑いようもなく俺も受け入れていただろう。だが俺はもう諦めたくなかった。
「ここからは私たちの戦いだ。地獄には知り合いもいてね。だれも私を邪魔立てできない」
ルシフェルは愉快そうに笑う。俺たちに勝ち目はないのか。彼は疑いようもなく己の勝利を確信していた。
「くそっ。舐められたもんだな」
「そうよそうよ。涼やっちゃいなさいっ」
「涼……がんばって……」
双子も気落ちしながらも俺を応援してくれる。ここからは相手以上に自分も覚悟を決めなければならなかった。
「まずは俺から行かせてもらうっ」
一歩前に踏み込んで拳をぶつける。捕らえた、そう思った瞬間に相手は幻影のように消えてしまう。
「拳でとは単純だな」
「あいにく学がないもので」
何度も何度も繰り返し拳を振りかざす。時おりサイドにステップも折り混ぜて。
「バカの一つ覚えみたいにやっても無駄だ」
確かに拳はかすりもしない。これは自分の力に自信がある俺としても想定外だった。
続けていれば一回くらいは当たるのではないかという考えは甘かった。
「君にはいいものを見せてあげよう」
そして堕天使はにたりと笑って霧のかかった曇天の空からなにかを映し出す。
それは死んだ母の姿だった。
「母さんどうして……? 」
母親は悲しそうに俺を見つめるだけだった。もう会えないと思っていたはずなのに。顔を見れば心が揺れた。
「ルシフェル、どういうことだ? 」
「私からのごほうびだと思えばいい」
これには裏がある。そう感じた。
だがそれ以上に母に会えたことがうれしくて俺はなにも考えていなかった。
「母さん、俺だよ。涼。元気にしてるよ」
「……涼……」
彼女がかすかにそう呟くのが聞こえた。でもそのあとに聞こえたのは。
「どうして助けてくれなかったの? 私はあんなに苦しんだのに。涼は一人でなにもしてくれなかった」
「母さん……」
優しかった母親は気がつけば鬼の形相で俺の首を絞めていた。苦しい。だけど相手が母だと思えば抵抗できない。
確かに俺はおろかだった。母が無条件に自分を受け入れてくれると無邪気に信じていたのだから。そんなことあるはずなかったのだ。
じわりと涙がにじむ。俺はここに何をしに来たのだろう。恨まれるためか。それとも誰かを救うためか。
母のことに頭をとられ他のことが目に入っていなかった。
「涼っ。後ろっ」
「……危ない」
振りかえればルシフェルが新たな召喚を始めていた。そこには地獄の僕たちが集まりだし。
気がつけば囲まれた。不味い。これではアイとセイのことを守れない。母に裏切られたことがよほどショックだったのか完全に失念していた。
「ふふふ。君のしていたことを茶番だと笑ったのは詫びよう。いい余興だった」
ルシフェルはそう高らかに笑うと魔物たちを双子に差し向ける。
「ええい。私たちも負けていられないわよっ」
「絶対……脱出するっ……」
傷ついた様子の彼女たちもピンチを前に奮起したようだった。少しずつだが魔物たちの数は減っていく。
だけどそれ以上に。
地獄の僕たちの数に押されていく。
「きゃあっ。なによっこれ」
「へんたい……」
蔓状の魔物が二人にまとわりつき体に蔦を巻き付ける。それで身動きがとれなくなったのか双子は息を詰まらせた。
「これは君たちへの復讐だ。ルールを破るものには罰を、だ」
「くそっ」
俺自身はというと。まったく歯が立たない相手に気力を奪われてしまいなかなか次の一手に動けないでいた。
そうこうしているうちにピンチは迫ってくる。母の姿をしていたものは俺に飛びかかり爪先で攻撃してくる。
こんなことをされて平気でいられるはずがない。大事な人に恨まれて命を狙われているなんて。メンタルの自信のある俺でも苦しかった。
「涼っ。早く逃げてっ」
「一人だけ……でも……」
アイとセイは俺を逃がそうと必死にもがく。敵の気を引くために。そして自分達を犠牲にするために。
「ダメだ。ここは全員で出ていかないと」
彼女たちの強い意思を感じて俺は自分を奮い立たせる。
何が立派な男だ。少し揺さぶられたくらいで動揺するのが俺か。
情けなくて恥ずかしくて自己嫌悪に陥りそうだが呼吸を落ち着けて冷静に対処しなければ。
そうしなければ俺たちは負けてしまう。
まず俺がすべきことは。
過去を捨て去ること。母は俺を恨んだりしない。だからこれはルシフェルが見せている幻影だ。
だったら。
「母さん、ごめんっ」
暴れまわる母の姿をしたなにかを地獄の底に落とす。すると悲鳴をあげてその物体は姿を変えた。
やはりそうだったのか。あれは母ではなく母の姿をした地獄の僕だった。
ルシフェルはそれを知っていたから俺に揺さぶりをかけてきたのだろう。
「アイ、セイ今から助けるからなっ」
「やめてっ。逃げないと死んじゃう」
「せっかく……チャンスだったのに……」
自由奔放で子供っぽくてわがままな双子たちは俺のことを見捨てるはずもなくただ俺の無事を祈っていた。
彼女たちの気持ちは嬉しい。だがここで逃げたら男が廃る。
「大丈夫だ。俺に策がある」
先ほどからルシフェルの行動はおかしい。自分から何一つ動かないのだ。
確かに魔物たちは召喚したがそれ以外は俺たちの様子をうかがっているだけで己の動きを封じられることも意に介さないようだ。
その証拠に彼は突っ立っているだけで愉快そうに笑うだけだ。
もしかすると彼は堕天使の姿をしているだけで中身はここにないのではないか。これはルシフェルが見せている幻影だとしたら。
だとしたら抜け出す方法はあるはずだ。
ここが地獄ではなくそれを模した空間に過ぎないとしたら。
逃げ出すには十分すぎる情報だ。
「ルシフェルっ。俺はお前を倒すっ」
そして堕天使に向かって駆け出す。ぶつかるかぶつからないかすれすれのところまで近づくと。
「ふん。小賢しいな」
ギリギリのところで避けられる。そこに手を伸ばして触れようとすると。
「ならば見せてやろう。本当の絶望というものを」
そして最後に双頭の犬を召喚する。
それはオルトロスの犬だった。地獄の果てで獰猛な魔物を目にしても俺は絶望していなかた。だって希望はそこにあるはずだから。
「アイ、セイ。絶対助けるからな」
俺が声をかけると二人は泣き笑いのような表情をしていた。
「そうよね。大丈夫よね。きっと」
「涼……信じる」
俺が動揺しなければ世界ははっきりと見えてくる。
そこにあるのはいつものアパートの一室で。アイとセイは縄で縛られていて。
俺だけがなにも見えていなかったのだ。
「なめてもらっては困るのはこちらも同じだ」
そして奇妙な翼の生えた男は写真部の成宮の顔のまま俺に掴みかかってくる。
「つまりあんたができるのは大したことはないってこと。成宮のからだを乗っとるのと幻影を見せることくらいか」
「ふん。ばれてしまったら仕方のない」
それは諦めではなく。新たな戦いの始まりを意味していた。
俺はアイとセイ、成宮の命を盾にとられ駆け引きをしなければならない。
相手もそれがわかっているから下手な手は打たない。
「では昔話をしようか。かつて双子が忌み嫌われていた時代の話」
「やめろ」
それが意味するのはアイとセイの決して明るくはない過去の話だ。彼女たちを傷つける意図でしているのは明白だ。
「昔々あるところに双子の娘がいました。一人は運命の女神。すべての人間の運命をもてあそぶ存在。もう一人は死神。こちらも人間の命をもてあそぶ存在でした」
アイとセイは顔面蒼白だ。これ以上話をさせるわけにはいかない。
「彼女たちが生誕した後、母は自害しました。二人の背負った業の深さに絶望して」
その一言で俺は耳を塞ぎたくなる。だが彼は話を止めない。
「その後姉は浮き名を流し周囲の女たちは彼女を嫌った。でもそれだけでなくて狂った男たちにつけ回された姉もどこかで絶望していた」
アイの眦から涙が一筋こぼれる。やめてくれ。俺はこれ以上傷つく姿を見たくないんだ。彼女はいつだって楽しそうに笑っていた。好きなドラマを見て、セイと二人で仲良く嬉しそうに。
「妹は人の死を見送る仕事をしていた。決して助かることのない命を看取るだけの仕事だ。周囲からは死神と言われ彼女もまた絶望していた」
セイは人の寿命を縮めてしまう力があった。人の死が近づくと数字が現れるというのも彼女の持っていた力のひとつだ。
だけど俺は知っている。セイが人の死を面白がっているわけではないことを。冷静にひとりの人間として受け止めていることを。
「君だって本当は二人の力を恐れていたのだろう」
男は低く笑う。そんなことない。そう答えると。
「強がりもここまで来るとただの強情だよ。意味がないし見ていて滑稽だね」
あんたになにがわかる。俺はアイとセイと二人で暮らしていたんだぞ。辛いときも楽しいときも一緒で。
「でもなにも知らなかったんだろう」
苦しんでいたことも人から疎まれていたことも。
「確かに俺は二人のことなにも知らないかもしれない。だけどな。笑った顔だけ見たいんだよ、俺は。辛い過去があろうと人から後ろ指さされることがあろうと今は関係ない」
ただ助けたいんだと告げる。この現状からどうにかするすべがほしかった。
「ふん。自分の無力さを思い知るがいい。なにもできないのは君の方だ」
そして男は再び詠唱を始める。
幻影を見せようとしているのだ。
でもそこにある地獄にとらわれることなく。ただまっすぐと前を見据えた。
「成宮、聞こえているんだろう」
先ほどから苦しむ声が聞こえていた。男の体は徐々に力を失いつつある。それは成宮の命が危ういということで。
「セイ、あいつの寿命が見えるか? 」
「まって……あと少し」
彼女たちの力を逆手にとることで堕天使は俺たちを翻弄しようとした。だが今は成宮を救うため手段は選んでいられない。
「寿命……短くなっている……」
その言葉で十分だった。俺たちが戦う理由はひとつ。
全員を助けることだ。
「成宮、俺だ。聞こえるか」
その一言で男のからだが震え始める。どうやら成宮の意識に訴えかけるのはうまくいったようだ。
「大丈夫だ。俺たち全員で戦っているから」
「ふん。何が友情だ。しゃらくせえ」
その言葉は成宮らしくて彼の強い意思を感じる。だが。
「こいつの命がどうなってもいいか」
男はベランダに手をかけ飛び降りようとする。彼の命と俺たちの行動を天秤にかけようとしているのだ。
「くそっ」
俺は慌てて駆け出す。成宮が死なないように。彼も必死に戦っているはずだから。
「ルシフェルっ。あんたは確かに強いかもしれない。俺たちに幻影を見せて絶望させ面白がる。いい根性しているよ」
だけどなと付け足す。
「あんたがバカにしたものの中にだって俺たちには譲れないものがあるんだ」
「詭弁だよ」
「そう聞こえるのはあんたが人を信じることを諦めてしまったからだよ」
だから人を嘲笑い、苦しみを求める。信頼していたもの同士が裏切る様を見て楽しむ。
全うな人間であることを捨て、負の感情を糧にしていきる。
それがどれだけむなしいことか。どれだけ悲しいことかわからないのだろうか。
「うるさいうるさい」
男は耳を塞ぎ喚き始める。それがチャンスだった。
「成宮っ。戻ってこい」
声をかけると同時に男にしがみつく。取り押さえるようにしてロープで縛り上げると最後の力でベランダに駆け寄る。
助かった。そう思ったのもつかの間。
男は取り押さえる俺を巻き込んで飛び降りた。
最後に見えた景色はやたらときれいで。
俺は天国を見た気がした。
母さん、俺ようやくそっちにいくみたいだ。
寿命が短いということはセイはこの未来を予測していたということなのだろうか。
だとしたら悲しいところを見せてしまった。
俺だったら彼女が涙を流すところは見たくない。
だから俺一人が悲しめばいいと思った。大切な人がいなくなるのはとても寂しいことだから。
【滝川涼GAMESET】
どこからか聞き覚えのある声がする。
嫌な予感とともに現れたのは玻名城姉妹だった。
「ゲームオーバーといいいたいところだけれど」
玻名城の姉はたんたんと呟く。いつもの明るさがどこに消えたのかと思わせるほど冷たい声で。
「呪いの壺は私たちが預かりました。そのお礼とはいってはなんですが寿命、あとで確認してください」
ここで俺は理解した。
天界からの使いが決して一人だったわけではなく。
彼女たちも天界から使わされた人間の一部だったということが。
そして意識を失いながら。
すべてが解決したのだと悟った。
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