魔王さま、あのね


「……ア」


 誰かに体を揺さぶられているような気がする。

 なにか、言っているみたい。

 なんて言ってるの?


「プレセア!」


 ぼんやりとする意識の中、ひどく懐かしいように思える声が、わたしを包み込んでいた。


「プレセア、しっかりしろ。俺が分かるか?」


「……まおう、さま?」


「ああ」


 眼の前に、悲しそうな顔をした魔王さまがいた。

 体が、ひどく冷たい。

 気がつくと、わたしは血溜まりの中に立っていた。

 

「あ……れ……?」


 なぜかわたしは神殿の祈祷場にいた。

 周りには、怪我をして呻く人たちでいっぱいだった。

 エルダー殿下も、ひまりちゃんも、みんな血溜まりの中に無残に転がっていた。

 異常な状態だった。

 けれど何よりもおかしいのは、わたしだろう。

 これだけのものを見ているのに、何も感じない。


 魔王さまは地面に膝をついて、わたしに視線をあわせて、言った。


「迎えに来るのが遅くなって、すまなかった」


「わたし……」


 そうだ。

 これ、わたしが全部やっちゃったんだ。

 わたしのせいで、こんなことになっちゃったんだ……。

 

 見下ろせば、血まみれの手が見えた。

 身体中に返り血が飛んでいる。

 自分自身も怪我をしているみたいだった。


「プレセア……」


 それなのに、魔王さまはわたしをぎゅっと抱きしめてくれた。

 強く、強く。

 絶対に離さないとでもいうように。


 魔王さま、あったかい……。


「魔王さま、あのね」


 胸にぽっかり穴が空いてしまったように、なんだか虚しい。


「わたし、本当は子どもなんかじゃないの」


 魔王さまは黙って、わたしの話を聞いていた。





「本当は十五歳で、聖女だったの」


「魔王さまにずっと嘘ついてたの」


「魔王さまのところにいるの、幸せだった、から……」




 嘘ついて、ごめんなさい。




 ぽつ、ぽつと本当のことを話す。

 なんとなく、これで終わりかなって、思った。

 けれど魔王さまはわたしを抱きしめて髪を撫でたあと、一度わたしを離して、目をしっかりと見て言った。



「知ってたよ」


 

 言葉にならない疑問が、口からこぼれ出た。

 ひゅ、と音が鳴って、体が震える。


「お前と出会ったときから、ずっと知っていた」


「なん、で……?」


「知っていて、お前を拾ったんだ」


 魔王さまは言う。


「お前が聖女だろうが十五歳だろうが、関係ない。俺はお前が『プレセア』だから、そばにいて欲しいと思ったんだ」


「まおうさま……」


「本当のことを聞いたら、お前は多分、俺のことを軽蔑するだろう。嫌いになるかも知れない」


 魔王さまは泣きそうな顔で言った。


「でも、どうか信じてほしい」


 わたしの、欲しかった言葉。


「ずっとずっと、言えずにいた」


 たった一度でいい。

 処刑されたときも、欲しいと願った言葉。



「俺はお前のことを、愛している」



 ぽたぽたと、涙がこぼれ落ちた。

 体から力が抜け落ちる。

 持っていた杖がカラリと軽やかな音を立てて、床に落ちた。

 崩折れるわたしを、魔王さまは抱きとめた。


 わたしは号哭した。


 今までの苦しいことを全部吐き出すみたいに。

 魔王さまにしがみついて、泣きじゃくった。

 息がうまくできなくて、ひっく、と何度も嗚咽を漏らす。


「いつもいつも、迎えに来るのが遅くなって済まない……」


 魔王さまの手は優しい。

 血みどろになったわたしでも、抱きしめてくれる。

 泣いて泣いて、泣きつかれて、わたしは魔王さまの腕の中で、ぐったりとしていた。


「魔王さま、でもわたし、もうだめだよ」


 かすれる声で、笑う。


「いっぱいいろんな人、傷つけちゃった」


 自分のせいで、先生も、ここにいる人たちも。

 わたしに殺される義理なんか、なかったろうに。


「わたし、自分がこんなことするなんて、思わなかった。頭のなか、真っ暗になって……」


 自分の中の見にくくて暗い感情が、わたしを支配したと思った。

 わたしはきっと、自分で自分を制御することができない。

 あのサークレットは、きっと、つけていて正解だったんだ。

 もう、全部おしまいだ。


 魔王さまはわたしの頬を撫でながら、言った。


「プレセア、お前には酷なことだと思うが、どうか俺の願いを聞いてくれないか」


「……」


 霞む瞳を魔王さまに向ける。


「お前は優しいから、きっとあとでひどく後悔するだろう」


 この惨状を、と魔王さまはささやくように言う。


「あの者たちは、お前が望むなら、あとでいくらでも俺が殺してやる」


 だから、と魔王さまは落ち着いていった。


「どうか、治してやってはくれないか」


「……魔王さま」


「お前は優しすぎる。復讐をしていいのは、最後まで罪を背負う覚悟がある者だけだ。後で後悔して心に闇を飼うのなら、それはまたそいつらに苦しめられるのと同じだ。お前は何も背負わなくていい。罪を背負うのは、俺一人で十分だから」


 わたしはゆっくりと目を伏せた。


「わたし、できないよ……」


「いや、できる。さあ、杖を持つんだ」


 魔王さまは杖をひろうと、わたしの手に持たせた。


「負の感情に飲み込まれるな」


「……」


「自分をしっかり持つんだ」


 魔王さまはそれから、わたしに懇願するように言った。


「俺を、見てくれ」


 自分の中にある黒い感情ばかりでなく。

 どうか、俺を。


 魔王さまにそう言われて、ようやくわたしの意識は覚醒した。

 胸に巣食っていたどす黒いものから、意識をそらされる。

 魔王さまの目、不思議だ。

 なんだか力が湧いてくるような気がするから。


「わかったよ」


 わたしは魔王さまに支えられて、杖を持った。

 祝詞はもういらない。

 そんなものなくても、わたし、白魔法を使うことができる。


 殿下も、ひまりちゃんも、大神官さまも、神官たちも。

 どうかわたしが傷つけてしまった人たちを治してほしい。

 お願い、どうか……。


 杖の先の魔法石が、まばゆく輝いた。

 わたしを中心にして、柔らかな光が神殿全体を、おそらく王宮一帯を包み込んでいく。

 光は怪我人たちに降り注いで、やがてその傷口を塞いでいった。


 うめき声が聞こえなくなる。

 かわりに穏やかな寝息が聞こえてきた。


 殿下も、ひまりちゃんも、みんな無事みたい。

 よかった。わたし、なんとか、力を使えたみたい。


 今度こそ、全身から力が抜けて、立てなくなった。

 目を開けることすら、辛い。


「よく頑張ったな、プレセア」


 魔王さまの優しい声が聞こえたかと思うと、ゆっくりと抱きかかえられた。

 

「城に帰ろう」


 ……うん。


 魔王さま、わたし、帰るよ。


 みんなの待つお城へ。



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