紅の苺
賀浦 かすみ
第零話 紅葉
私は紅に染まった夕日に照らされながら、一人の女と対峙していた――
太陽にうろこ雲がかかり、秋の夕暮れを幻想的に演じている。今年の夏は猛暑だったからか、
今年も残り二ヶ月を切り、高校入試を控えた私は受験勉強に追われる日々を送っていた。毎日机にかじりついて勉強ばかりしているとストレスが溜まってくる。
そんな時、私は自宅近くにある川沿いの道をゆっくりと歩くのが何よりの息抜きだった。
私の町、茨城県鉾田市は大きなショッピングモールもSNS映えするおしゃれなカフェもほぼ無いが、こうやって自然の中に浸り心を落ち着けることが出来る、私にとってかけがえのない場所だ。
「うーん、綺麗な景色だ。やっぱりこの町は最高だっぺなあ」
私は川の上を飛ぶ赤とんぼの群れを眺めながらそう呟いた。腕を伸ばして目を閉じると、体の中に溜まっていたストレスが抜けていくような気がして思わず「気持ちいが(良い)っぺー」と声を出していた。
「くすっ」
その時、かすかな笑い声が聞こえた。私がハッとして振り返ると、そこには一人の女が立っていた。こちらを真っ直ぐ見つめている。
「何か用ですか」
私は独り言を聞かれた恥ずかしさを隠すため、冷静を装って尋ねた。
「別に。ただ、やたらと語尾の上がるなまりが聞こえたので思わず笑ってしまっただけ」
その女は美しい顔をしていた。黒いセーラー服に白いリボンを結んだ女は、私よりも一つか二つ年上だろうか。黒髪の長いストレートヘアに切れ長の瞳はどことなく憂いを帯び、色艶やかな唇からは狡猾さが感じられる。
そして、その綺麗な唇から発せられる少し低い声の標準語に、私は恐怖と怒りを同時に覚えていた。
「何なんですかあなたは。初対面でいきなり人のこと馬鹿にして、一体何者だっぺ」
私はその女を問いただした。
すると、女は口元に笑みを湛えながら自分は千葉県人だと言った。そして、私が愛してやまないこの場所を、その女はあざ笑っていた。私は地元を馬鹿にされたことで憤慨し、名所を次々と列挙していった。
だが、ことごとく上を行かれ、反論出来ず黙り込んでしまった。すると女が唐突に、
「どうやらお前とは話をしても無駄のようだな」
と、言い放ち、立ち去ろうとした。
「待て!」
私は女を呼び止めた。こいつだけは許せない。女は立ち止まって私の方を振り返り、また少し笑った。
私は言いようのない感情に戸惑っていた。冬の香りの混じった風が頬を撫で、ススキが揺れた。
虫の鳴き声が止んだその時、女が動いた――
女は一瞬にして間合いを詰め、左フックを放ってきた。私はその動きの速さに反応が遅れ、かわすことが出来ず右手でガードするのが精一杯だった。
この女……強い。
女のフックは強烈で、私は少しよろめいてしまった。女はさらに後ろ回し蹴りを叩き込んできた。
「くっ」
私はなんとかヒザでガードしたが、後ずさり
女は美しい顔に微笑を浮かべていた。
「もう、終わりか?」
この女、私を……茨城を馬鹿にしている。許せない。
私は立ち上がってゆっくりと近づいた。そして、一瞬右にフェイントを出し、左フックを放った。
「ぐっ」
女はガードしたがダメージが大きかったのか二、三歩よろめいた。そして顔には驚きの表情を浮かべていた。
「どうした?そんなもんか?」
私は女を挑発した。自分でも驚くほど怒りの感情が私を支配していた。自分は冷静な人間だと思っていたが、こんなにも自分を見失いそうになるなんて、思いもしなかった。
女は私の顔を睨みつけていたが、ふっと鼻で笑うと先ほどの微笑を
「田舎者にしては中々やるな。お前はまだ中学生だろう? 私の攻撃をガードし、反撃してきた奴など今までいなかった。まさか田舎者の中学生にやられるとは、夢にも思わなかったぞ」
女はなぜだか嬉しそうに語っている。
「一体どうやってそこまでの力を身に付けた?」
「おめーに答える必要はねーべ。それよっかさっきから田舎者田舎者って、千葉がどれほどの都会なんだっぺ。のぼせんじゃねーぞ。東京に比べたら全然田舎だっぺよ」
「そのなまりが田舎者の証拠だ。虫唾が走る」
言いながら女は再び距離を詰めてきた。さっきよりも速い。
「うっ」
私はボディーブローをくらい、思わず声を出してしまった。
女は続けざまにストレートを放ってきたが、かわしながらボディーブローをかえした。
「ぐっ」
女が一瞬ひるんだ隙に、私は右ミドルキックを女の腹にヒットさせた。
手応えはあった……そう思っていたが、女はその場で踏みとどまっていた。そして、笑っていた。
「いい蹴りだ。普通の奴なら一撃で沈んでいる」
女は余裕たっぷりに言い放った。こいつ、私の攻撃をわざと受けたのか。
「それにしてもその体でここまでの攻撃力があるとは驚きだな。お前、もしかして……」
「うっせえ、行くぞ!」
私は女に右ストレートを放った。が、しゃがんでかわされ脇腹にフックをくらってしまった。
「くっ」
私は後ずさったが、すぐに体勢を立て直してローキックを放った。
が、女はヒザでガードし逆にストレートを放ってきた。
「つっ」
女のストレートを顔面にもらい、私はよろめいてしまった。口の中に鉄サビの味が広がる。
「まだまだ青いな。その程度じゃ私に土をつけることは出来ない」
女は冷たく言い放った。今の私じゃこいつには勝てない。だが、私は愛する地元を馬鹿にされた怒りの感情に支配されていた。
私は構えをとり、女の目を睨みつけた。
「まだ終わってねえ!」
私は女の顔めがけて渾身のストレートを放った。だが、女が後ろに下がったかと思った瞬間、女の右足が垂直に伸び、かかとが私の頭に落下してきた――
私が覚えているのはそこまでだった。
気付くと女の姿は無く、辺りは薄暗くなっていた。私は地面に寝そべり、川沿いに植えられた紅葉の木を見上げていた。
紅葉の葉が風に揺られ、散っていた――
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