第5話 俺は賢者じゃありませんので、帰ってください

「とりあえず二人とも、中に入ってくれ」


 プリシラを振りほどき、彼女の両肩を掴んでひょいと降ろす。

 膝を曲げて「おりたくなーい」とジタバタしていた彼女であったが、俺が手を離したら「ぶー」とか言いながらも、あっさりと着地した。

 

 こいつらを神聖な我が家の中になんて入れたくはない。

 だが、争いに巻き込まれそうなまま放置しておくことなんてできないじゃないか。

 お近づきにならなくていいように、ちゃんと理解してもらわないとな。

 

 無くなってしまった扉へ思いを馳せながら、中に入ると二人もバチバチと火花を飛ばし合いながらついて来る。


「何か飲み物……って、おおおい!」


 キャットファイトが始まりそうになっていたから、慌てて掴みかからんとする二人に向け両手を伸ばす。

 プリシラの額を押し込み、女騎士の肩を押し二人の間に体を滑り込ませた。

 

「バルトロ―、どいてー、こいつヤレないー」


 ビスクドールのような愛らしい顔でぶっそうなことをのたまうプリシラ。

 彼女はグルルルルと子犬のように唸っている。

 

 一方で女騎士もこの狭い家の中で大剣を引く抜こうとしているし、凛とした目を細め口元をキュッと引き締め臨戦態勢だ。


「騎士さん……えっとたしか……イルゼさん。剣はダメだ。絶対ダメだ!」

「聖者殿……いや悪魔の手先? 分からぬ」

「どっちでもいいから、とにかく剣は抜くな!」


 身の丈ほどの剣を引き抜いて振り上げたら、我が家の天井が真っ二つになるじゃねえかよ。


「プリシラも」

「えー」

「分かった。特別に、そこの熊の毛皮の上に座ることを許してやろう。だから、な」

「特別ー?」

「おう、そうだ。特別だ」

「やったー」


 おっし、何とかプリシラの方は収めたぞ。

 さっそく毛皮にダイブして、ゴロゴロと転がり始めた。

 あ、あああ。

 俺の熊さんの顔をムンズと掴んで――。

 

「引っ張るな! 千切れるだろ!」

「聖者殿」


 お、おっと。もう一人はまだ剣に手を伸ばそうとしていたところだったな。


「イルゼさんも、そこの椅子に座って。一旦、お茶でも飲んで落ち着いてくれ」

「貴君のこと。聞かせてくれるか? それならば座ろう」


 何故か潤んだ瞳で見つめてくるもんだから……あ、そういうことね。

 

「プリシラ! 埃が立ちまくるから。毛皮を引っぺがすな!」

「えー」

「そいつは寝そべるものであって、投げるものじゃない。あ……」

「はーい」


 熊さんの顔が……。

 仕方ない。熊さんは犠牲になったのだ。俺は、この犠牲を乗り越え安穏とした人生を手に入れる。

 そっと熊さんに祈りを捧げる俺なのであった。

 

「聖者殿?」

「あ、ごめんごめん。分かった。話せることは話をしよう」

「了解した」


 ようやく二人とも矛を収めてくれたところで、お茶を淹れようか。

 

 ◆◆◆

 

「聖者殿。この飲み物は美味しくは無いな」

「にがーい」


 俺の特性ブレンド雑草がおいしくないとか、信じられないことを言いやがる。

 様々な苦みとアクが混ぜ合わさった体にも良い飲み物なのに。

 

「先に俺のことから話をした方がいいか?」


 二人はコクコクと頷きを返す。

 スキルのことを馬鹿正直に伝えることは悪手だ。真実を知ったら、どちらかに抹殺されるかもしれん。

 いや、その気がなくても手加減スキルが発動していない時に、二人の攻防に巻き込まれて死亡は充分あり得る。


「俺の目的はここで畑を耕すこと。一番大事なことだから、二度言うぞ。畑を耕し、収穫することを楽しみにしている」

「おー」

「隠棲されておられるのだな」


 分かってくれたか。

 満足気に頷き、言葉を続ける。

 

「俺の力なのだが、大したものではない。相手の力に合わせて力を打ち消すだけだ」

「そうなんだー」

「それで魔の力もお使いになられていたのだな」


 さて、お次はどっちからでもいいけど「はいはいー」と手をあげているプリシラに振ることにしよう。

 

「はい。プリシラくん」

「わたしはくあくあの散歩をしていたら、バルトロがいたからー」

「それじゃあ、何のことか全く分からん」

「んーと。バルトロがわたしより強そうだったから追いかけてきたのー」


 はた迷惑な話だけど、俺と会うという目的ならもう達成しただろ。

 そろそろお帰り頂きたいのだが。

 

「そうかそうか。俺の目的はさっき言った通りだ。プリシラを害そうとかそんなつもりは毛頭ないから安心してくれ」

「ううんー。最初は討伐されたらいやだなーとか思っていたけどー。でもー」


 プリシラは唇に手をあてもじもじと体を揺する。


「でも?」

「バルトロが魔の力も持っていたなんてー。だから、パパに紹介したいなあって」

「……」


 誰が上級魔族の元へ行くかよ!

 黙っていたら、プリシラがとんでもないことをのたまう。

 

「でもー。バルトロは畑を耕したいんだよね。だから、わたしもここにいるー」

「ちょ……」


 絶句した。

 俺の穏やかなファーマーライフに似つかわしくない膨大な力を持つ魔族が……。

 もっとこうあるだろ、強者には強者の世界ってやつがさ。


「バルトロのお手伝いをいっぱいするのー」


 無邪気にそんなことを言われたら無碍に断り辛いじゃないか。

 

「分かった。でも、絶対に他の人に危害を加えるなよ。それだけは約束してくれ」

「うんー。バルトロのお願いなら!」


 首から先が無くなってしまった熊の毛皮を掴み、立ち上がったプリシラは全身で喜びを表現する。

 どうやら、興奮したら背中から翼が生えるらしい。尻尾もフリフリと犬のようにバタつかせているじゃあないか。

 少し可愛いと思ってしまった自分が憎い。

 

「聖者殿……いや賢者殿。私もここに居させて頂く」

「え、あ、はい」


 有無を言わさぬ圧倒的な雰囲気でイルゼは言い放つ。

 理由は想像がつくけど、騎士ってそんなに暇な職業じゃないと思うんだけど……。

 

「ここに大陸一の魔が存在する。それを私が放置することなどできませぬ」

「あ、ああ。それなら俺が見ておくから大丈夫だよ」

「いえ、世捨て人の賢者殿は畑を耕すという崇高な命題がおありだ。ならば、些事は私が受け持とうと愚考した次第」

「じゃ、じゃあ、頼むよ。でも、一つ約束してくれ」

「はい」

「プリシラと殺し合いをするのは禁止。ここでは平和に穏便に頼む」

「だが、魔族が手を出してきたらどうされる? 何もせずにされるがままになれと?」

「そんなことしないもーん。おっぱいに栄養が取られてる人とは違うんだもんー」

「こ、この魔族が!」


 だ、だあああ。

 プリシラが余計な口を挟むから、また収拾がつかなくなってきたじゃないか。

 

「お互い手出しをしない。もし手出しをしたら、俺が仲裁にはいる。これでいいな」

「うんー」

「分かった。賢者殿の顔を立てよう」


 お堅い騎士様の方が天真爛漫な悪魔よりお約束を交わすのが大変だ。

 でも、彼女は一度約束したことは必ず守ってくれそうな気がする。その分、契約条項はちゃんと吟味するんだろうけどね。

 

「あ、そうそう。一つ聞きたかったことがあったんだ。でもその前に、イルゼさん」

「何だろうか?」

「俺のことは聖者でも賢者でもなく、バルトロと呼んでくれ」


 賢者とか呼ばれると体がムズムズするからな。

 

「分かった。バルトロ殿」


 そう言って右手を差し出すイルゼと握手を交わす。


「よろしく、イルゼさん」

「よろしく頼む。バルトロ殿」


 手を離し、お互いに椅子に座る。

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