君の心とすれ違うたび、僕の世界線がずれていく。

都築 はる

前編

 今、始まりの世界線で生きている君は、その世界線から消えてしまった僕のことを覚えているだろうか。

 すれ違うたびにずれていく次元、世界線に戻ることはできない。

 ならば、君と再び巡り逢える世界線に辿り着こう。

 一体いつになったら、君と僕の想いは重なるのだろうか。



 生まれる前から結ばれる運命が決まっている、"運命の二人"がいる。

 二人は出逢った瞬間から惹かれ合う。それはもう他の誰にも邪魔することなどできないほど惹かれ合い、"運命の二人"は結ばれる。そして、一生涯幸せな人生を送る。

 けれど、出逢った瞬間からすれ違ってしまった"運命の二人"はすれ違いを重ねる運命までも背負ってしまう。


 "すれ違いの時計"という、世にも珍しい時計がある。"すれ違いの時計"の盤には0から11の数字が刻まれていて、長針と短針の2つの針だけが世界を刻む。

 生まれる前から決まっている"運命の二人"がまず出逢い、出逢ったその時からすれ違ってしまった時、"すれ違いの時計"の針は動き出す。

 そしてすれ違うたびに針は進み、二人が生きる世界線がずれていく。けれども当人は気付かない。気付くとすれば、それはもうどうしようもないほど遠い世界線で二人は生きている。

 二人の"すれ違いの時計"がゼロで合わさるまで、どれほどの時を要するのかわかる者はいない。瞬きほどの時間で戻る者もいれば、永遠にも等しい膨大な時間を過ぎる者もいるという。

 逢いたいと望むなら、待たなければならない。

 "すれ違いの時計"の2つの針が再びゼロに戻る世界まで。




 雑踏の中で、彼女だけが異質な存在として切り離されている。


 そういう風に、僕には見える。


 この世界で、僕と彼女に接点は無い。一筋の細い糸の繋がりさえも無く、僕と彼女は本当の本当に赤の他人だ。


 すれ違う、その余地さえない。

 けれど、すれ違わなければ時計の針は進まない。"すれ違いの時計"の針が進まなければ、時計の針は元には戻らない。すれ違わなければ、僕はあの時出会った彼女と同じ世界を生きることはできない。


 この世界が、彼女と何度すれ違った結果の世界かはわからない。


 ただ彼女の姿を見るたびに思い出し、後悔する。

 彼女と一番初めに出会ったその時にすれ違う原因を作ったのは僕で、彼女を傷つけたのは僕で、それからも僕は彼女を傷つけ続けて、気付いた時には僕と彼女が生きる世界線は全く違うものになっていることを。



 いつかの世界線で、記憶を思い出した僕は彼女に話しかけたことがある。

 毎日午後3時、彼女はあるカフェの常連客だった。

 そのカフェを経営するグループの別会社から配属された僕は、普段は厨房に立ちながら店内の様子を観察していた。仕事に夢中な人、友達とお喋りをする人、自分の時間を大切にする人、待ち合わせをしている人、色んな人間が入れ替わりでやって来る。

 そんな中、彼女はいつも午後3時にやって来て紅茶ラテを頼んで15分ほど過ごす常連のお客様だった。仕事の合間の休憩か、大学生なのかはわからない。

 厨房の隙間から、どこかで見たことのある顔だな思いながら、僕は紅茶ラテを作っていた。


 ある時急病で休んだ従業員の代わりに店に立った僕は、初めて彼女の接客をしていた時に記憶はパッと浮かんで身体中に染み込んできた。

 僕を覚えていますか?、と。

 会計を終えて帰ろうとする彼女の腕を咄嗟に掴んで呼び止めた僕を不審な目で見て、知りませんと小さな声で呟いた後は一目散に走り出して消えた。それから彼女は二度とお店に来ることはなかった。店の前を通りかかることもなかった。

 そして、別の場所でもう一度彼女を見かけた時、考える間もなく僕は走って走って、視界がぐにゃりと歪んだ。

 その世界で最後に見たのは、走り寄る僕に気付いた彼女が恐怖に戦く顔だった。



 また別の世界線で、その世界にはまだ僕と彼女を繋ぐ最後の細い糸があった。

 それを断ち切り、繋がりなど一切無い全く無関係の世界線に動かしたのは、彼女だった。

 友人の彼女としてやってきた彼女は、同じ幼稚園に通っていた同級生だった。どこかで見たことのある顔立ちだと思い、大学、高校、中学と遡って聞いてみると同じ園の同じ組として数年を一緒に過ごしていた。

 盛り上がる僕達に嫉妬する友人をからかい、二人の馴れ初めを聞いた時、僕にそれまでの世界の記憶が流れ込んできた。

 確かに、彼女のパスケースを交番に届けたのは友人だった。けれどそのパスケースを見つけたのは僕で、友人と共に交番に行って言われるままに書いた連絡先は友人のものだった。その時ちょうど僕は携帯をなくしたばかりで、書ける連絡先など無かったからだ。

 彼女から連絡をもらった友人は、僕には秘密で付き合いを重ねていく内にそれを話したと言う。それでも、彼女は僕にとっても大切な友人を選んだ。

 それを知った時、僕の視界はまたぐにゃりと歪んだ。



 最初の世界、始まりの世界で、僕と彼女は幼なじみだった。

 隣の家に住んでいるだけの、ただの幼なじみだった。

 両親たちは仲が良く、ちょうど同じ年に我が子が生まれるということで遊び相手になってもらおうと考えていた。しかし、元気の良すぎる息子と大人しすぎる女の子では性格が違いすぎると、しばらくの間は引き合わせようとしなかった。

 月日が経って、物心つき始めた時に僕は彼女の家に招待され、母親の後ろに隠れている彼女と出逢った。


 すれ違いは、そこから始まる。


 かわいいかわいい、女の子だった。眉を下げて不安そうに初対面の同い年の男の子、僕を見ていた。

 あまり男の子と関わったことがないから優しく接してあげなさいと言われた母親の言葉なんか頭から抜けて、当時の僕はいたいけな女の子を指差して言い放ったのだ。


 お前は今日からぼくの子分だ!、と。


 ビクッと驚く彼女の中で、僕は逆らってはいけない力関係の強い存在になってしまった。

 どこかでカチャ・・・と、音が鳴ったような気がした。


 僕と彼女は幼なじみでありながら、その関係はまるで主人と奴隷のようだった。彼女の友人から聞く限り当人はそんな風に思っていたし、端から見るとそう見えることにも僕自身気付いていた。

 けれど、僕は彼女を守っていた、そのつもりだった。

 彼女の健気さ、時折見せる微笑みに心惹かれる有象無象を牽制し、異性嫌いな気がある彼女が男子に関わることのないように用事を言い付けて遠回りをさせて僕から離れないように縛り付けた。

 しかし、僕の我が儘からきている言動の真意が、当事者の彼女に伝わるはずはない。


 そして、そんな状況は第三者にはよくわかるものだ。僕の友人を好きだった彼女の友人とは、情報交換という等価交換を行っていた。それはいつも空き教室で二人だけで話していた。その空き教室からは、僕の友人の姿が見えていたからだ。

 運動する友人の姿を二人して見ながら、お互い不毛な恋をしているねと笑い合ったその瞬間、ガラッと開いたドアから現れた姿は間抜けにもぽかんとした表情をする彼女だった。

 口を開きかけた彼女は、口を噤んでさっとその身を翻らせて駆け出した。

 いつかどこかで聞いたことのある音が木霊してきて、・・・カチャリと鳴った。

 彼女の名前を叫びながら、僕の視界がぐにゃりと歪んだ。



 こうして僕は彼女の世界線からずれていく。

 ずれていくたびに僕と彼女を繋ぐ糸は無くなり、関係性は次第に薄くなっていく。

 どこか違和感を持っているのに、その違和感の正体に気付くことができないまま、自分の想いに気付けないまま、すれ違ったその瞬間に全てを思い出しては世界線がずれていく。

 彼女の心とすれ違うたび、世界線がずれていく。



 すれ違いを重ね続けた僕は、ある時"すれ違いの時計"の番人に呼び出された。

 "すれ違いの時計"の存在を知らなかった僕はそこで初めて"すれ違いの時計"について教えられ、僕と彼女はもう何周も針を動かし続けているのだと言われた。

 カチャリという音は、針が進む音だった。

 そして、針が進むごとに僕は、僕と彼女の世界線から彼女の世界線から遠ざかっているらしい。そうしていつか、僕と彼女に何の繋がりもないどこかの世界線に飛ばされてしまうと番人は言った。

 もう"すれ違いの時計"の気の向くままに身を委ねるしかないと、番人は言った。

 いつ戻れるかわからない。それでも彼女と同じ世界に戻りたければ、このまま針を進めろ。すれ違いを重ねて、重ねた想いの全てで形作られる真実に答えを出せ。



 すれ違うたびに世界線がずれてしまっても、彼女と結ばれる確率が無くなってしまうわけではない。ただ二人を繋ぐ糸が解かれ、次第に関係性が消えてしまうだけ。

 ならば、また彼女と関係を一から築いていけばいい。育った場所、進学先、就職先、住んでいる場所、生まれる場所から違っていても彼女を探し続け、縁を信頼を関係を築いて、些細なことでもすれ違いを重ねていけば、僕達の世界線はいつか同じものに戻る。


 これ以上すれ違わないために、彼女と出逢ったら必ず素直に想いを伝えようと決めている。

 僕は"最初に出会った彼女"と出会うために、すれ違いを重ねていく。いつか最初の世界線に戻るために、すれ違いを重ねていく。

 時計の針をゼロに合わせて、"すれ違いの時計"から"想いを重ねる時計"に変える。


 今この時、まだ出会っていなかったこの世界の彼女が他の男からの告白に応える場面に出会したとしても。

 雑踏の中、すれ違った彼女の満面の笑みを見て、一番初めの時からずっとこんな笑顔が見たかったのだと遠い記憶を僕は思い出す。

 視界がぐにゃりと歪む。

 それは涙のせいなのか、世界線が変わる前兆なのか。

 それがわかるのは、きっと、次の世界線で僕が彼女とすれ違った時だろう。


 どこかでカチャリと、音が鳴った。



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