北条綾乃の妙な恋愛相談

青見銀縁

第1話 北条綾乃の恋愛相談

 高校一年のクラスメイト、北条綾乃はコーヒーカップへ口をつけるなり、ため息をこぼした。

 僕、赤坂太一は自分が頼んだオレンジジュースを飲みつつ、彼女の姿へ視線を移す。

 髪をヘアピンでサイドアップにまとめ、片方の肩に後ろ髪がわずかに乗っている。整った目鼻立ちと相まって、私服姿はどうなのだろうと想像をしたくなってしまう。お互いとも制服姿で背丈は僕と同じくらい。だが、ブラックコーヒーを飲む彼女とソフトドリンクの僕という差。高校生から、こういうところの違いが大人になると、さらに引き離されるのだろう。

「赤坂くん?」

 見れば、北条が首を傾げ、僕の方へ目を向けてきている。

「何か、わたしについてる?」

「いや、何もついてないです」

 僕がかぶりを振ると、北条は「そう」と言うなり、コーヒーカップを皿の上に戻した。

 今いる場所は、駅前にあるチェーン店のカフェ。席はほとんど埋まるほど混んでいる。他の学校だろう、僕らと異なる制服姿の女子や、パソコンを開く男性など、色々。

 で、僕は放課後、テーブル席にて、北条と向かい合わせに座っていた。

「それで、相談なんだけど」

「はい」

「秋葉くんと友達よね?」

「一応は」

「秋葉くんって、彼女とかいる?」

「いや、いないと思うけど」

「そう、なんだ」

 北条は言葉をこぼすなり、なぜかため息をこぼした。安堵したかのような表情とともに。

「あのう」

「何?」

「もしかしてだけど、秋葉のこと……」

「好きよ」

「えっ?」

「じゃなきゃ、赤坂くんとこうして、話とかしようとしないもの」

 あっけらかんとしたような調子で、北条は声を漏らした。

 僕は耳にするなり、友達の秋葉はモテるなと改めて感じる。

 秋葉は入学時の席で隣同士だった時からの付き合いだ。僕だけでなく、男女からも評判がよく、既に複数の女子から告白を受けている。ただ、本人曰く、それぞれの相手に興味がないとかで、断ったとのこと。僕からしたら、何てもったいないと思ってしまう。だが、本人は自分が本当に好きとなった相手なら、付き合うと聞いている。純粋なのだろう。

 とまあ、秋葉のことを知ってる僕としては、伝えられることはひとつしかない。

「秋葉は、告白してダメならダメ、オッケーならオッケーだから」

「赤坂くんは、わたしのことをバカにしてる?」

「いや、そういうわけじゃ……」

「今の言葉は、とりあえず、告白すれば的な、投げやりなアドバイスにしか聞こえない」

「別にそういうわけじゃなくて……」

「それとも、わたしの秋葉くんに対する気持ちが薄っぺらいって思ってる?」

「それもないから、その」

「その、何?」

「何ていうか、僕が今言ったことは語弊があったかもしれない」

 僕は言うなり、テーブルの縁にぶつけそうなぐらいの勢いで頭を下げた。

「その、ごめん」

 まだ許していないのだろうか。返事がない。

 僕が恐る恐る顔を上げてみれば。

 北条は瞳が潤んでいた。いや、涙を流さないように堪えていたようだ。

「北条、さん?」

「何?」

「その、ハンカチ」

 僕は制服のポケットから取り出そうとしたが、北条はかぶりを振った。

「目にほこりが入っただけだから」

 北条は強い語気で口にすると、自分が持っていたハンカチを取り出し、目のあたりを拭う。

 女子を泣かせたなんて、クラスメイトらに知られたら、厄介だな。

「北条さんは、まだ、告白とか、してないんですよね?」

「してたら、赤坂くんとこうして、話とかしようとしないから」

「だよね」

「でも、いつかはしようと思ってる」

「いつかって、いつ?」

「それは、まだ……。でも、学校でするのは恥ずかしいから、家に監禁して、それで」

「ちょっと待って」

 僕はまだ話し続けようとする北条に手のひらを突き出して、止めた。

「今、聞き捨てならないような単語が聞こえたんだけど?」

「わたしを泣かせたこと?」

「それは、その、申し訳ないって思うけど、そうじゃなくて」

「監禁?」

「そう、それ」

 僕がうなずくと、北条は不思議そうに首を傾げる。

「それがどうしたの?」

「いや、どうしたのじゃなくて、その、物騒というか……」

「大丈夫。手荒なことはしないから」

「そうじゃなくて」

 僕は北条に対して、うっすらと警戒心を抱き始めた。

「監禁は犯罪だし」

「それがどうしたの?」

「あのう、北条さん。僕の話、聞いてます?」

「聞いてるわよ」

 北条は当然のように返事をすると、コーヒーカップに口をつける。

「それぐらい、わたしの秋葉くんに対する気持ちは本気だから」

「それは、わかるけど、その気持ちが偏った方に向いてるような……」

「それは何? わたしの気持ちがおかしいっていうわけ?」

「別に、北条さんのことを否定してるわけじゃなくて……」

「じゃあ、どういうこと?」

 北条は鋭い調子で、僕を問い質してくる。

 まるで、僕が悪いことをして、北条に怒られてるかのようだ。

 実際はただ、「監禁」という怪しい言葉に対して、指摘をしただけなのに。

「せっかく、学校だと秋葉くんがいて、声を掛けづらいから、駅で別れる間際まで尾行して、赤坂くんに声をかけたというのに」

「尾行してたんですか?」

「いつもね」

「いつもって、まさか、毎日登下校時とか、じゃないですよね?」

「何か悪い?」

 北条の反応は、別に気にすることじゃないでしょと言いたげな感じだ。

 僕は額に手のひらを当て、俯き加減になってしまった。

 これは色々とまずいのでは。

「北条さん」

「何?」

「秋葉に対する気持ちはよくわかりました。ですけど、その、尾行とか、監禁とかは、そのやめた方がいいと思います。世間的に」

 僕は至極真っ当なことを北条に伝えてみた。

 一方で、彼女は。

「赤坂くん」

「はい」

「殺してもいい?」

「はい?」

 僕は一瞬聞き間違いかと思った。

 だが、北条がそばにある学校の鞄から出してきたものを目にして、それはないとわかる。

 店内の照明により、光り輝く刃先の小型ナイフ。

「ちょ、ちょっと、北条さん」

「わたしは本気だから」

「いや、そんなの持ってたら、校則違反どころじゃ」

「それぐらい、わたしは本気だから」

 北条は真剣そうに言うなり、ナイフを元に戻した。

「赤坂くんにはわからないだろうけど、本気になった女はそういうものだから」

「いや、それは別の意味だと思うんだけど」

「とにかく、わたしはそれぐらい、秋葉くんのことが好きだから」

 北条は頬をうっすらと赤く染めつつ、言い切る。

 僕はただ、相手の告白を受け止めるしかなく。

 同時に、北条がいずれ変なことをするのではないかと、より強く不安を抱いた。

「あのう、北条さん」

「何?」

「まずは、秋葉と友達から始めてみたら、どうかなって。僕が間に入るから」

「それは、恥ずかしいから」

 北条は視線を逸らし、より頬を真っ赤にしてしまう。監禁とか口にするのに、そういうのはできないらしい。

「だけど、その、監禁なんかするより、難しくはないと思うけど」

「監禁は簡単よ。秋葉くんを尾行して、隙を突いて、スタンガンとかで気を失わせればいいから」

「いや、でも、そしたら、秋葉をどう運ぶつもり?」

「それはひとりで何とかする」

「いや、それ、全然簡単じゃない気がするけど……」

「なら、赤坂くんがその時手伝ってくれたら」

「いや、警察に捕まりたくないんですけど……」

 僕がかぶりを振ると、「そう」と残念そうな顔をする。いや、そもそも、監禁という手段はダメでしょと突っ込みたくなってしまう。だが、北条に言っても、もはや意味ないだろう。今まで話している様子から。

「これって、恋愛相談のはず、だよね?」

「赤坂くんは何だと思っていたの?」

「犯行計画の相談的な」

「殺してもいい?」

「いや、それは勘弁してください」

 僕は頭を下げ、命拾いをしようとする。

「僕はてっきり、秋葉のことを聞きたいだけかと思って」

「それは大丈夫。影から色々と見て、家族構成から休日どう過ごしてるとかまで把握してるから」

「て、徹底してますね」

 僕はゆっくりと顔を上げ、苦笑いをするしかなかった。もしかして、僕の行動次第で、事前にひとつの犯罪を防げるのではと脳裏によぎる。既にストーカーみたいなことをしているけど。

「別に、赤坂くんがしたいなら、警察に通報してもいいから」

「えっ?」

「でも、そういうことをしようとするなら、わたしは秋葉くんと心中するから」

「いや、それはまずいって。まだ、ほら、人生は始まったばかりだし」

「説得するのね」

 北条は口にするなり、表情を綻ばす。僕の言葉にどこかおかしさでも感じたのだろうか。

 彼女はコーヒーを飲み干すと、カップが乗っていたプレートごと手にして、立ち上がる。ナイフがあるであろう学校の鞄を肩に提げて。

「とりあえず、今日はこのへんで」

「終わり?」

「終わり。また赤坂くんには相談に乗ってもらおうと思ってるから」

「というより、今日のって、相談というより、犯行予告に近い気がするんですけど」

「赤坂くんは、わたしのことをどうしても、単なる犯罪者呼ばわりしたいみたいね」

「いや、監禁や尾行とか、『殺してもいい?』とか言われたら、誰だってそう思います」

「かもしれないわね。でも、安心して。そういうことはまだしないから」

「まだ、なんですね」

「何か言いたそうね」

「いえ、大丈夫です」

 僕はかぶりを振ると、北条は学校の鞄から何かを取り出す。まさか、ナイフを取り出して、カフェ内で殺人事件でもやるのかと、背筋に冷や汗が走る。

 だが、実際は小奇麗な折り畳み財布で、北条は小銭をテーブルに置いてきた。僕のオレンジジュース代以外に端数のお釣りが出るくらいの金額。

「とりあえず、今日はありがとう」

「いや、いいです。それぐらい、自分で」

「遠慮せずに受け取って。それに、赤坂くんにはこれから色々とお世話になると思うから」

「それって、僕を犯罪に加担させるってことじゃ……。なら、一層大丈夫です」

「赤坂くん。あまりそうやって強情張ってると、どこかで命を落とすかもしれないわよ」

「それって……」

「半分冗談、半分本気」

「反応に困るんですけど」

「とにかく、それはもらっていって。じゃあ、また明日」

 北条は言うなり、片手を軽く振りつつ、プレートを店内の返却口に置き、外へ出ていく。

 ひとり残された僕は、いつの間にか緊張をしていたのか、体をぐったりとさせた。

 目の前には、氷が解け、薄くなりつつあるオレンジジュースのコップがある。

「厄介だな……」

 僕はため息をつくと、コップの中身を飲み干した。

「通報したら、最悪な展開になりそうだし……。ここは、北条さんを注意深く見るしかないんだろうな」

 僕は言うなり、スマホを取り出し、SNSや動画を適当に流し見つつ、時間を過ごした。

 北条と先ほど話したことを少しでも忘れようとするために。

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