タナバタノソラ

長渕水蓮

タナバタノソラ - 01

「そらは、おほしさまなの」


 ここだけ抜き取るとまるで意味不明な台詞だが、聞くところによればこいつの名前はソラというらしい。それを踏まえた上で言わせて貰おう。全く意味が分からない。

 この着物姿の少女は自分のことを、遥か夜空に浮かぶお星さまなのだという。比喩でもなんでもなく、そう言い切るのだ。


「……で、オレはお前を交番にでも連れてってやればいいのか?」


 鵜呑みにするほどオレもバカじゃない。現実的かつ良心的な提案を持ちかけてやる。

 第一、少女が名乗った七夕天(たなばたのそら)という名前にしたって、ううんと頭を悩ませたうえで「いまきめたの」などという始末であった。信用を得る気がまるで無い姿勢はいっそ清々しくすらある。


「そらのおともだちになってほしいの」

「あのな、オレは一人が好きでここに来てんの」


 すでに日も沈み、暗闇を落としこんだ丘の頂上に人気は無い。家族連れで天体観測に来たのでもなければ、こんな時間こんな場所で見かけていい年齢の子ではない。

 保護者がいるなら勘弁してくれ、オレはお守りをしに来たわけじゃねえぞ。


「お友達なら、空にでも飛んで行って同属のを作ってくれ」

「できないの」


 そりゃあそうだ。内心そう思いながら、オレは意地悪く「どうして」と尋ねてみる。そして、返ってきた返答にオレは素っ頓狂な声をあげた。


「天の川からはぐれた、だあ!?」

「もどれないの」


 ソラはまるで故郷を想うかのように空を仰いだ。

 仮に本当なら一大事だろうに、その声は一貫して抑揚が無く、表情からは一切の感情を感じられない。そのことがオレの神経を逆撫でさせる。


「あのな、無粋だとか言われても知らねえぞ。お星さまが人の格好してふらつけるわけねえだろうが。デタラメ言うのも大概にしとけよ」


 いい加減ガキのままごとにも付き合っていられず、馬鹿げた妄想を一蹴してやる。それなのに、あくまでソラは大真面目だった。


「おねがいして、おねがいして、おねがいしたらね、なんだってかなうの」


 天の川からはぐれた手の届く星は、そんな絵空事を、星空のように深く青く澄んだ瞳をして言ってのけた。

 聞いて一番に、アホかと思った。設定が笑えるほどに雑だ。星から人へ化けられるほどお願いってやつが万能なら、それで今すぐ天の川にも飛んで行ってしまえばいいだろうが。

 次に、くだらねえ戯言だと反吐が出た。願いなんて都合の良いものに縋れたなら、オレの人生も少しはマシに転がっていただろうさ。それをこいつは、苦労の一つも知らないような顔しやがって。お星さまだかなんだか知らないが、一迷子の分際で……ガキの戯言と知っていてなお、腹が立つ。そんな余裕の無い自分にも、腹が立って。

 つい、いじわるを言いたくなってしまう。


「お星さまっていうんなら、オレの願いの一つや二つ、叶えてほしいもんだ」


 口にしながら、まるでガキ相手に縋っているようだと気付いて声が尻すぼみになる。

 ソラはそれを最後まで聞いたうえで、首をふるふると左右に振った。


「おほしさまじゃないそらは、なにもできないの」


 さっきその口で、自分をお星さまだと言ったばかりだろうが……おおかた、今の人の姿では、とでも言いたいのだろう。不便なことだ。


「なにもできないそらは、ひとりぼっちなの」


 俯くソラ。それは理解しがたい言葉ばかり並べてきたソラの、素直に飲み込めるようやくの心の声だった。オレは急に心にざわつきを覚えた。小さな少女が自分と重なった気がして。抑揚が無くても、無表情でも、その感情は確かに伝わる。

 もしも願いが叶うなら、果たしてオレは――。

 触発され、無意味なことを考えてしまう。分かってる。どうせ叶いっこないし、変わりはしないんだ。無価値のまま。ひとりぼっちのまま。


「おそらにね、いちばんちかいの。おやまはそらのおうちなの。だけど、ひとりぼっちなの」

「……なんだよ。こっち見んなよ」


 ソラの目は口ほどに物を言い、たまらず目を逸らしたオレは睨めっこでも無いのに負けた気持ちがした。


「これはオレの日課みたいなもんで。だから、明日も来るからって、別にそれはお前のためじゃなくて……分かったら、とっとと寝床に帰れ」


 ああクソ、なにを言ってるんだ、オレは。


「みのる。やくそく、なの」

「っ、約束!? オレは別にそこまで――」


 目線を戻すと、そこに人影は無い。

 まるで始めからオレ一人だったかのように、慣れた静寂が辺りを包むだけだ。


「……。消えた……」


 勝手な約束を取り付けて、ソラは忽然と姿を消してしまった。オレの頭はどうにかなってしまったのだろうか。まるで釈然としない気分だが――まあ、でも。オレは自分に言い聞かせる。別に、オレの知ったことじゃない。



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