春に、心の瞳で
篠岡遼佳
春に、心の瞳で
夏だ。
そう、夏休みだ。
夏休みだというのに、自分はなぜか学校に来て、合唱部の練習に精を出している。
とまあ、言ってもうちの合唱部はそんなに厳しいわけではない。
何代か前の部長さんが「合唱に人生を変えてもらった」とまで言う人で、顔が広かったから、ついでに仲間も集めた。で、それの後輩の後輩のまた後輩の……という流れで、今の合唱部は部として機能している。
だから構成はめちゃくちゃで、男声はほとんどいなくて助っ人だのみ。女声もそんなに多いわけではない。ほとんどが兼部だ。
で、秋の文化祭までの貴重な時間、集まれる人だけ集まって、なんやかやと歌ったり、ぼんやりしたり、暑いから窓を全開にしたり、今のように近くのコンビニまでアイスを買いに”アイス休憩”したりもする。
そんなわけで、いまのところ、音楽室にいるのは、自分と、目の前に居る背の高い男だけだったりする。
窓から、少し強い風が入ってきた。音楽室は5階の端にあるから、割と風が通る。
風は男のもしゃもしゃとしたくせの強い茶色の髪を揺らして、汗を少し冷ましていった。
とりあえず声をかけてみる。
「なにしてるんだ」
「ん? 今日はピアノ伴奏があるでしょ? せっかくだからいっぱい歌いたいなーって」
うれしそうに言いながら、譜面を手に微笑む。
歌うことが好きだと聞いたことはあるが、そんなに好きなのか……? よくわからん……。
そういう、ふんわりした空気をまとっているのが、同じクラスのこいつだ。
首から下げた不思議な色の鉱石と、一部で”南海の碧”と呼ばれるみどりいろの瞳が特徴。
なんでも、父親が日本人ではないらしい。けっこうそういう人が集まる学校だから、通常はあまり頓着しないが、よくよく見ると派手な外見である。
聞くところによると、それなりに鍛えているらしく、割と胸板が厚い。
腹筋もあるので、彼の歌声はかなり良い。
ふつうに話している声は、やっぱりどこかふわふわしているが、腹から声を出すと途端に変身する。それがずるいし、うらやましい。
ザッと何かが飛んでいく影に、チカッと彼の右手が光った。銀の指輪だ。
これも本人から聞いた話だけど、「彼女」とおそろいなのだそうだ。
右の薬指だってところだけが救いだろうか。
……これだけ延々と語っていればわかると思うが、自分はこの男のことを、いろいろと、とてもいろいろと、想っている。
慕わしく、親しく、尊敬し、目が離せない。
つまり、だから、まあカタコイってやつなわけだ。
……正直言ってる自分が気持ち悪ぃ!
恋する自分というのは苦手だ。
今まで、そりゃあ何度も、好きになったり、時には告白もして、その度、逃げられたり、謝られたり、ほっとかれたりしている。場数はふんでるけど苦手で、だが恋多き存在なのだ。コーヒーが好きだが牛乳と砂糖を入れないと飲めないのと同じだ。……違うか?
やつは譜面を見て、窓の外に視線をやりながら、詩の一部を口ずさんだ。
「”あの空の青に手をひたしたい――ぼくはもどかしい”」
真夏の青ではないだろうが、しかし、今日の青も雲ひとつないブルーだ。
続けてやつは微笑む。
「――きっと、作者もなんとも言えないものを持ってて、でもそれを言葉にして、それでなんとも言えない感情を伝えられるって、詩ってすごいよね?」
そんな風に言う君の方がすごいんじゃないか?
そう、ロマンチストなのだ、彼は。そこも、自分は気に入っている。ロマンが人生には必要と思っているので。
頬杖をつきながら相手に問う。
「なあ、お前さ、なんでそんなモテるん?」
最後は右手の指輪をついつい、と指さしながら問う。
「う、うーん……。僕は自分ではモテると思ったことがないから……」
「あー、出たよ自覚ないやつ。いっぺん殺したいー」
言うと、ヤツはふふふ、と笑う。
「こんなところで死んでたまるか」
まあ、実際のところは、女子から聞いて少しだけわかっている。
モテるってわけではない。雰囲気がソフトで、さらに聞き上手なので、女子に好かれるのである。
だからちょっと意地悪を言ってやる。
「じゃあさ、なんで彼女が出来ても1ヶ月くらいで別れるのー」
「うっ」
「あれか、積極性に欠けるのか。ちゅうもなんかさわりっこもしないのか」
「それは……いや、いや~……」
頭をひねりながら、彼は考えているらしい。
つまり、彼の方に未練はないということだ。なんてやつ! 女の敵である!
「うーん……その、いろいろと、あるから?」
「女に興味ないの?」
「まったくないというと語弊があるけど……今はあんまりないかも。いや、スカートがひらっとか、ちょっとぶつかっちゃって柔らかいなーとか、そういうのはどきどきしなくもないよ?」
そういうヤツに、ふふふ、と笑って続けてやる。
「あれだな、お前はむっつりなんだな。そして自分の恋心に無頓着!」
そう、自分の心に無頓着。
その代わりに、相手の心には誰より早く気付いている。
なんならコインにでも賭けようか。自分のことがどのくらい気付かれているか。
裏が出たら? もしくは、表が出たら??
――いや、そんなことは関係ない。
自分の気持ちは、自分だけのものだ。
”この気もちはなんだろう”、ではない。
わかっている、はっきりしているのだ。
だから、だから、いま、つかまえなくちゃ。
「あのさ」
「なあに? 部長さん」
「”心の瞳”って曲、歌詞知ってる?」
「知ってますよ。有名だからね。”心の瞳で 君を見つめれば”」
「つづきは?」
「”愛すること それが どんなことだか わかりかけてきた”」
わたしは、大きく息を吸って、スカートの端をぎゅっと掴んで、
――声に出した。
「――君を愛してるっていったら、君はどうする?」
春に、心の瞳で 篠岡遼佳 @haruyoshi_shinooka
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