第5話 梅雨(後編)

「えー! 答えは見せてよ、困るんだってば、私が」

「僕は困らないけれど?」

「ううっ、隼人の意地悪っ! そんな風に育てた覚えはありませんよっ!」

「育てられた覚えもねえよ」


 そんな会話を交わしていきながら、僕は話をし続ける。


「そもそもだな、ちゃんと勉強していればこういう風にはならないんじゃないのか? ……まあ、そう言うと、僕もブーメランになってしまうんだけれど」

「ブーメラン?」

「つまり、自分の言った発言が返ってくるということよ、お姉ちゃん」


 のぞみが僕の言葉に補足する。


「……つまりどういうことかしら?」

「駄目だ、こいつさっぱり分かっていないぞ。……やっぱり頭が悪いんじゃ」

「頭が悪いというか、脳味噌も筋肉になってしまった、というのが正しいのかもしれません」

「……二人とも、言わせておけばさっきからああだこうだ言いたい放題言いやがって……」

「おや、流石にそれは理解出来るのか?」

「出来るに決まっているわよ。馬鹿にするんじゃない!!」

「……まあ、良いじゃないか。取り柄があるってのは良いことだと思うよ。別に君が馬鹿だろうが、誰も君を嫌うことはないだろうし。実際そうじゃないか?」

「……うう、そう言われると何だかムカついてくるんですけれど」

「物は言い様だよ」


 僕は言い返す。


「単刀直入に『馬鹿』と呼ばれるより、『脳味噌も筋肉になってしまったようだ』なんて言えば、少しは盛り上がるんじゃないかな?」

「何だよ、それ。盛り上がるって何だよ、何が盛り上がるのかさっぱり分からないよ」

「それは言い方の問題なのか分からないけれど……、でも馬鹿にして言っているならもっと切り込んで言うと思うんだよね、私は」

「結局馬鹿にしたいだけなんじゃないの!? そんなこと言ったって騙されないからな、私は!」

「はいはい。言ったところでお姉ちゃんの立場が向上することはないから」

「何それひどくない!?」

「全然ひどくありませんよーだ。……そんなことより宿題全部書き直しなんでしょう、お姉ちゃん。だったら急がないと間に合わないのでは? 今日は部活動出ないつもり?」

「……うん……。今日はもう部活動難しいかな……」

「そんな簡単に休んで問題ないのか? ほら、大会とか」

「大会は秋だから、未だ決める時期じゃない。けれど、ほんとうだったらもっと練習するべきなんだけれど……、でもやっぱり、人の回答を丸写しするのは良くないよね。うん……」


 ひどく落ち込んでいるようだった。

 しかしながら、悪いのは彼女。ここで甘えさせる訳にはいかないのだ。

 だから僕は何も言わずに――宿題の続きをやり始める。


「あー、分からない! 分からないよ、これ!」


 そう言って音を上げたのは、それから十分も経たない頃だった。


「何だよ。一人で宿題片付ける! って意気込んだのはお前じゃないか」

「でも! だって! ここに三人も居るのに、誰一人ヒントを与えないっておかしくない!? だったら自分の家で勉強すれば良いのに」

「それで。お前は自分の家で勉強が捗るのか」

「捗らない!」

「だろうね」

「……じゃあ、どうすれば良いと思う? あと二時間でこの宿題を終わらせるためには」


 現在の時刻は午後四時。図書室に居ることが出来るのは午後六時までだ。そして、僕達に課せられた宿題は教科書七ページ分の問題を解いてくること。それをレポート用紙或いはノートにまとめて提出する、というスタイルだ。

 僕達はそれを是とし、先生もそういうスタイルにすると公表している。刑部高校では一番の変わり者を自称している。榊原先生はそんなことを言っていたっけ。


「あーあ、いつもからこんなに課題を出してくるんだったら、夏休みの課題なんてとんでもないことになりそうよね。そのためのワーク集買わされて全部やってこい、なんて言い出したりしないわよね?」

「どうだろう……。あの先生、自分で変わり者呼ばわりしているし、案外有り得るんじゃないかな」


 出来ることなら、あって欲しくないことではあるのだけれど。


「……さあさ、急いで片付けないと時間が過ぎてしまいますよ?」


 のぞみがそう言った。

 のぞみの言う通りだった。このままでは、宿題が片付かないままエンドを迎えてしまう。それだけは避けなくてはならない。僕達にとって、午後六時のタイムリミットはずらすことの出来ない状態だったのだから。


「しかし……、やる気出ないよ。隼人、何か元気の出ることして!」

「ええっ!? またそんな無茶ぶりを……。出来る訳ないよ。ほら、さっさと宿題を片付ける!」

「いやだー、私は急いで片付けたいけれど、やる気が出ないよー!」

「うーん、そんなことを言われてもなあ……」


 何も思いつかないし。

 というか、さっさと宿題を片付けてくれよ。ゼロベースでやることになったのは何処のどいつだって話なんだから。


「あ、あの」


 言ってきたのは、のぞみだった。


「うん? のぞみ、どうかした?」

「私にも出来ればして欲しいのですけれど」

「何を?」

「元気が出ることです」

「でものぞみは……殆ど宿題終わっているじゃないか。何なら僕よりペース速いよ?」

「それでも! やって欲しい時があるんです!」

「うーん、そう言われてもな」

「そこで私から提案です」

「提案?」

「はい。終わったら、隼人に頭を撫でて貰うのはどうでしょうか!」

「……はい?」

「だーかーらー、終わったらご褒美に頭撫でて貰うのよ。全然悪い話じゃないでしょう?」

「いや、そういう問題じゃないというか、何というか……」

「良いのよ! 私達が良いと言えばそれで良いのよ!」

「いや、言いくるめようとしたって無駄だからね?」

「褒めてよー! 褒めて褒めて褒めて褒めてー!」

「……あのな、ここ図書室だぞ? もう少し静かに行動出来ないのか」

「頭撫でてくれるなら考えてあげなくもないけれど」


 どうしてそんな上から目線なんだ。

 そんなことを言うのは、普通こちら側だろうが。いや、そういうことを言うかどうかはまた別として。


「……はあ。分かった、分かったよ。宿題が終わったら頭を撫でてやる。だから静かに勉強をしろ。分かったな?」

「うん!」

「はい!」


 二人はほぼ同時に返事をして、黙々と宿題に取り組み始めた。

 これで僕も漸く宿題に取り組むことが出来る――そう思いながら、宿題をやり始めるのだった。


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